第五十一話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その四十三
「返事はないですねー。どうやら、ただのかばねのようです」
泰山庁幽鬼調査課の調査課員執務室に併設されたの応接のための空間で、自らの角で卓の表面を傷つけぬよう自前の手布を敷いて突っ伏す異形を目にした悠抄が、ふむと頷き呟いた。
「良い機会です。来年彩藍くんが受ける昇級試験の為に、九相図のお勉強をしましょう」
特に心配をするでなくすぐに話題を転じる切り替えの良さは、細かいことに拘らないというべきか、人でなし度がいや増したというべきか。
「九相図というのはですねー」
「悠抄さん、これ以上無体を強いるのはやめましょう。さすがに疲労困憊の営業猫鬼その一さんが哀れです」
本当に解説を始めた小型理不尽の眼前に手を翳した青年が、説明の勢いが乗り切る寸前で待ったを掛ける。
「大体、九相図が今のその一さんの状況と何の関係があるんですか」
ないですよね? と反語的に会話を打ち切ろうとする僅かな間隙を縫って問いのままの状態として悠抄が首を傾げる。
「んー、そうですねー。九相図は亡くなった後の自分の状態変化という諸行無常を観想して生のありがたさを認識する為の教えなので、彩藍くんの勉強になって更にその一さんも元気になるので一石二鳥かな、と思ったのですよ」
関連性の根拠として謎の飛躍を見せる悠抄理論に、営業猫鬼その一がよろよろと右手を上げ、途中で力尽きて墜落する。
ここぞとばかりに哀れを訴える小物妖に、天猫が差し出した菓子皿の縁で毛むくじゃらの後頭部を軽く小突いた。
「その一、へばるのは良いが程々にしておかないと、悠抄が解剖したいとか言い出しても俺は止めないぞ?」
「さあさ、いつまでも管を巻いていては話は進みませぬ、光陰矢の如しとも申しますし、私が如何に艱難辛苦を乗り越えたかとくとお聞き願いましょう」
定格出力として斜め上の感性を誇る人型混沌ならば実際に言い出し兼ねないと思ったか教材として解体されては堪らないと考えたか、発条仕掛けのからくりも斯くやの勢いで跳ね起きた小物妖怪に、同情をして損したと言いたげな視線を向ける彩藍である。
さて、と威儀を正した営業猫鬼その一が芝居がかった動作で、ふにゅりとした口元を袖で覆い隠した。
「仮面様猫面様より貴重なる品々をお預かりした私はそのまま出入りの行商人を呼び付けこう申したのです。これなるは世のため人のための宝集めなれば、私欲を捨てご奉公仕るが妖の道である、と」
「随分と大きく出たものだな。真相は厄介事を押し付けられたから、何とか力を貸してくれ、じゃないのか?」
寸前の虫の息はどこへやら、あまりに大上段な口上に茶々を入れる天猫に、俗物代表がふい、と面白くなさそうに顔をそらして横目で不平を表す。
「なんと、猫面様とも思えぬ無粋なお言葉。武勇譚とは針小棒大に誇張してこその華にございましょうに」
「……まぁ、お前が大袈裟と自覚があるなら止めはしないけどな」
一片の曇もない姑息さを披露する妖に、さしもの天猫もそれ以上積み上げるでもなくさっさと次に行け、と手を振り続行をうながす。
ひと息間を置いて仕切り直すと、その一がひたと悠抄を見据えて再度口を開いた。
「仮面様、私は仮面様のご期待に沿うべく、出入りの行商人と共に叱責を覚悟で天の織女星様に面会を申し出ました」
「はい、お疲れ様でした。歓迎は程々にしてもらえるようお知らせはしたので、時のずれるほどのおもてなしはなかったと思いますよ」
切々と語り始めた営業猫鬼その一に、しかし応える悠抄の声は常と変わらぬ平たいままである。
そこまでは予測の範囲内であるのか、したり顔で頷く営業猫鬼その一とどういうことか説明を求める彩藍の対比に、悠抄が楽しそうにくるりと人差し指を回して見せる。
「異界の人は往々にして時の流れを変えて遊ぶ癖がありますからねー。御伽噺の一夜百年も大げさではないのですよ」
「はあ、それは随分と壮大な遊びで……」
「ついでにだな、長命種連中は定命の耐久とかあまり考慮しないから、異界の一夜を過ごした人間が人の世に戻って反動に耐えきれずに砂になった、もよくある事故だぞ」
天猫によってどうでもよさそうに付け加えられた補足事項に、その一が一瞬大きく狼狽えるが、すぐに見栄を取り戻し乾いた笑い声をあげた。
「も、勿論承知のことでございましたので、天人様方の度重なる宴のお誘いをどうにかお断りして、いざ皮を糸に変じんという段で仮面様よりの後追いのお知らせが届いたのです」
気障ったらしくかかるはずもない前髪を払う仕草は動揺の裏返しであろうが、現世の芝居役者でもあるまいに、と見守る彩藍の眼差しは極めて冷たい。
そして本人視点では見事難局を滑らかに乗り切ったつもりの営業猫鬼その一は、ここが話の山場、とくわっと目を剥き牙を見せた。
「なんとなんと、織より染にした方が楽しそうだから、中止して幽世の里までお届けせよ、とのお申し付けではございませんか!」
「大袈裟ですよー。織女さんなら、趣をわかってくれましたよね?」
「ええ、ええ! それは面白いと膝打ちお喜びになられて、善は急げと送り届けてくださいましたとも!」
私の決死のご奉公何だったのです、と泣き崩れる再び突っ伏す妖の角を、主の膝から躍り出た小型神獣がかじかじと噛んで遊ぶ。
「急な展開にどうにか気持ちを切り替えて、ならばこのまま里長と面会をと意気込めば、行商人は急ぎの商用を思い出したとかで止める暇もなく遁走と、一体全体私に何の罪咎があるというのです!」
我が身の不幸を嘆く性根が小物の妖の姿に、直近で自らも遭遇した技術集団の里長の姿を脳裏に浮かべ、さもありなんと深く同情の意を表した。
悠抄の理論は独特の感性に強固に裏打ちされたどうしようもない意味不明さがあるが、里長の発想即実行は一見悠抄と同様の混沌生物に思えるが、ひと言説明を聞くと嫌でも理解できてしまう別種の恐怖体験であったであろう。
ここは下手に構わずそっとしておくのも情けか、と結論づけた青年が恐る恐る会話に割り込む。
「悠抄さんが悠抄さんなのはいつものことですが、織女様がそんな急な変更をよく許してくれましたね」
「あぁ、まぁ、織女は織女ではあるが、天帝の姫でもあるからな、基本暇を持て余している分面白いことには目がないんだよ」
だから何かのおりに完成品を見せれば納得もするだろう、と天猫の言ではあるが、ごく短いうちに天や仙に関する憧憬が音を立てて崩れる錯覚に捕らわれる彩藍である。
生まれ持っての変わった感性が永の寿命の果てに加工されて尖るのか、飽きるほど世を見たが故に独創性が他より降り積もるのかと疑問を持つ彩藍であるが、眼前で素知らぬ顔をする変人代表例二人を見るに、両方かつ個体差によるのかという無難な回答に行き着く。
一人納得して茶を啜る青年の内心を推し量るのは、一連のやり取りを見届けた後、主の下に戻り撫でを強請る神獣のみであった。
「それはそれとして一つ聞くが、行商人連中はどんな面相の奴らだ?」
営業猫鬼その一による嘆きの独壇場に飽きでもしたのか、頬杖をついた天猫が極めて冷徹に話題の転換を図る。
むくり、と起き上がった営業猫鬼その一も、つい先程までの嘆きをまるで感じさせずに首を捻った。
「さようでございますね。あの者たちは目深に笠を被っておりましたので、私共も行商人達がどのような顔をしているか存じ上げません」
「……顔も知らないような人達との取引って、それでよく信じようと思いましたね」
自らの常識に則り妖怪たちの身を案じる彩藍に、案じられた当人はそれがどうした、と不思議そうに頭を横に倒した。
「はぁ、私共にとりましては人の姿形はほぼ同じと言いましょうか。付人様が私共の個体判別が付きかねるのと同じと申せましょう」
そちらとて区別がつかぬのは大差あるまい、と言外に反論をされた青年の鼻先に、剣士少年が指を突きつけた。
「彩藍、お浚いだ。泰山庁職員が現世出向する際に着用を義務づけられている面の機能を挙げてみろ」
「え? あ、はい。僕達泰山庁職員が着用する面には、存在固定補助と認識阻害、それと行動記録があって……、あの、もしかして行商人は幽世関係者だったりしますか?」
天猫からの突然な出題にしどろもどろながらも答える彩藍が、途中で覚えた引っかかりをそのまま言語化する。
「俺は特徴を浚えと言っただけだが、彩藍は何故そう思ったんだ?」
「当てずっぽうですけど、僕達は現世の人間ではないので存在を固定化するための基点が必要で、不特定多数の人に世界が違う人間だと知れ渡ると余計な混乱を招くから認識阻害は必須、でも条件を満たせれば面に拘らなくてもいいのではないかな、と」
どうにか考えを纏めようと指折り説明する青年に、出題者たる天猫が背もたれに上体を預けて大きく足を組んで意味深にそっぽを向く。
「そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない、だな。確たる証拠がない以上は、詰め寄ったとしても暖簾に腕押しで躱されるだけだろ」
天猫がそこで一度呼吸を区切ると、ただし、とひとつ肩を竦めて再度言葉を紡ぐ。
「お前がそう思ったということは、思ったことが事実であってもおかしくないということだ。なら、どう動けば良いか考える余地が得られる、ということでもあるな」
良かったな、と珍しく朗らかな天猫の声音に暗にいずれ一悶着あるを示唆され、平凡な一事務官を自称する青年はやすやすと乗せられた自らの迂闊さに頭を抱える。
苦悩する青年の姿に会見の終わりを見て取った営業猫鬼その一は、最後に気懸かりを晴らすべく改めて悠抄に向き直った。
「時に仮面様。此度の私の働きは到底ご期待に沿えているとは思えませんが、まことにこれで宜しかったのでしょうか?」
不安を綯い交ぜにした正直な感想を吐露する営業猫鬼その一の猫毛に包まれた頭を、悠抄が小さな手で撫で混ぜる。
「はい。ぼくと天猫が本当にお願いしたかったのは行商人を名乗る行商人さんを現場で連れ回すことなので、その一さんは十分頑張ってくれましたよ」
いつになく優しい混沌少年の労いの言葉に営業猫鬼その一が胸を張り、続く報酬として約束の師匠筋を紹介するので存分に修行してくれとの言葉に、即座に鮮やかな土下座を披露する小物であった。




