第四十八話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その四十
一面見渡す限りという表現に相応しい途切れることのない田園の上空。
瑞雲を踏み疾駆する狻猊背に乗る悠抄と天猫が、流れる風景を肴に油條を齧る。
「随分と僻地に向かって進んでいますが、現世に向かわなくてもいいんですか?」
道行きというか進行方向に不安を表明する彩藍に、天猫が一つ頷いて遥か下方に広がる水田を指差す。
「この辺で栽培されている稲は、水稲と言ってな、炊くと特有の粘みと甘みを持つ種なんだ」
「いや、意味わかりません。なんでいきなり稲の話題になるんですか」
唐突に農作事情を説明し始めた少年剣士に、彩藍が意味不明生物を見る目線を隠さず問いただす。
「なんでも何も、現世に向かわなくて良いのかと聞いたのは彩藍だろ」
「そうですね。職人さんのところに向かうと聞いたのですが、こんなところまで来てどうするのかと」
「あぁ、食料を調達をどうするかの話だろ? この辺は農村が多いから心配はいらないぞ」
まるで噛み合わない天猫との会話に疲労を覚えた彩藍が、眉間の皺を解かぬまま二本目の油條に手を伸ばす悠抄へと視線を向けた。
「悠抄さん、天猫さんはかなりお疲れのご様子です。なので、お二人揃っての有給取得をお勧めします」
ここぞとばかりに有給取得を進言する生粋の新人事務青年の言葉に、悠抄が慌てることなく油條を咀嚼嚥下すると、天猫より手渡された龍井茶で一息吐いた。
「つかぬ事を聞きますが、彩藍くんは職人さんの隠れ里がどこにあると思いますか?」
青年の有給ごり押しを自然と無視し、そもそもの論点に立ち返る理外少年の問いに、常識人を自認する青年が一瞬口籠る。
「え? 勿論、現世のどこか辺境ですよね?」
それ以外のどこにあるのだ、と態度で語る青年に、悠抄はなるほどと大きく頷き、天猫はつまらなそうに肩を竦める。
「お前な、庁で使うものは庁で管理するのは当然と言ったのは自分だろ。なら、庁があるのは幽世なんだから、庁で使うものを作る連中が幽世にいるのは当然だろ」
な? と幼子を諭すかのような天猫の言葉は道理ではあるが、では先程の食料云々は何だったのか。
理不尽に拳を握る青年を応援するためか移動式足場を担うくろさんが大きく尻尾を振ってみせるが、応援するふりをして煽っているように見えなくもない。
「でも、筍の皮だの龍神の抜け髭だので散々現世を駆け回ったじゃないですか。それなら隠れ里も現世にあると思っても仕方ないですよね」
「彩藍くん彩藍くん、素材の採取場所と、職人さんの所在地に因果関係はないですよ?」
使えるものがあるから取りに言っただけです、と無意味に胸を張る小型混沌は如何にしたものか。
付け加えて、友より素材を貰うという当初の発言と素材採集場所という今の発言のずれは当人の中の許容範囲なのか。
「ついでに言うと、隠れ里と言っても世の中から完全に隠れているわけではないですよ」
まぁ落ち着け、と喋る混沌が不貞腐れる青年に干し棗を手渡す。
「まず、彩藍くんは勘違いをしていますが、辺境とは辺境であって辺境ではないのですよ」
常のように持論を展開する解説魔に被害者青年がしまったとほぞ噛むが、時既に遅し。
長丁場になると踏んでか、茶刀で黒茶を削り出す天猫の傍らで、悠抄が上機嫌に人差し指を立てる。
「丁度いいので、ちょっとお勉強をしましょう。世の中にはですねー、文化中継点という場所があるのですよ」
「悠抄さん、ちょっと待ってください、僕は単に隠れ里の場所を……!」
「前提としてですね、幽世とは現世に勝るとも劣らないほど広大かつ複雑なのです」
彩藍が慌てて引き留めようと手を伸ばしかけるも、水を得た魚が勢いを止める筈もなし。
本来の制御役はというと、こちらはこちらで茶器を湯に潜らせてと茶の準備に余念がない。
「ぼく達はですね、泰山府という国府の中の東岳大帝直下の泰山庁という上級省庁に所属していますね」
根本まで戻るも程があるを地でいく悠抄の講義に、彩藍が意識を反らして自己防衛をしようとするも、くるりと目の前で回される人差し指により引き戻されて退路を失う。
「ぼく達は華原の国を管轄としまつろわぬ魂の話を聞き手を差し伸べますが、すべての国を見れるわけではありませんし、面倒です」
さらりと混ぜられる本音に指摘を入れるべきかと悩む彩藍であるが、したところで悠抄が変わるはずもなし、と実行の前に悟りを得る。
「人の国の数だけ暮らしがあり暮らしがあればそれは文化や文明へと至ります。また、自然の多様性があればそこを住処とする生き物は無数に枝分かれをします」
話の壮大さに反比例するかのように遥か遠くから足早に駆け寄る眠気と戦う彩藍を他所に、悠抄が言葉の物量攻撃を繰り出す。
「それぞれの場所にはそこに住まう人達の見出した神または神々が現れ、その場の生き物達と共に過ごします。なので、幽世側もそれぞれの地域で泰山庁に似て異なる組織を作り上げ、現世の人達に対応する訳ですね」
「すみません、話が大きすぎてついていけませんので、ひと言に纏めていただきたいのですが、一体何がどうなるんですか?」
「そうですねー。人が沢山いるところが沢山できると、その間に文化中継点ができるのです。そして、幽世にも現世にも沢山あります」
青年の要望により簡潔に纏める悠抄であるが、それはそれで簡潔が過ぎて意味がわからないという別問題が浮上する。
「僕は確かにひと言に纏めてくださいとお願いしましたが、人語を放棄してくださいとはひと言も言っていないですよね?」
極端から極端に流れる人型迷惑の論に目眩を覚えた青年が苦情を上げるも、苦情の矛先は不思議そうに見返すのみ。
すれ違いを見兼ねたわけではなかろうが、折良く茶を淹れ終えた天猫が茶杯を悠抄に渡し、青年に助け舟を出す。
「要するに、生き物の縄張りと同じだよ。図体の大き連中は広い縄張りを持つけど、重なり合うことはないから、その空白地帯に小さな奴らが入り込むわけだな」
「その理屈でいくと、大勢力に挟まれた小勢力はやはり辺境と言わざるを得ないのでは?」
干果とも稲藁ともつかぬ茯磚茶の甘い香りを楽しむ悠抄を傍目に、真っ当な疑問を呈する彩藍。
「まぁ、普通はそう考えるよな」
「そうですねー。彩藍くんは素直な子なので、ご褒美に亀苓膏をあげましょう」
無難な感想に肩を竦める天猫に対し、茶杯を盆に戻した悠抄が手を鳴らして発想の素直さを讃える。
そして、差し出された白磁の器で弾むのは、褒美という語に相応しからぬ半透明などす黒さを持つ薬臭撒き散らす物体であった。
「……回答が及第しなかったからといって、罰則付きはないと思うのですが」
「亀苓膏を知らないのか? 金銭亀の腹甲粉末を何種類もの生薬と合わせて煎じた手間暇掛かる料理だぞ。喉に良いから、お前向きだな」
誤答者への人道的対処を要求する彩藍に、不思議そうに見返す人型理不尽二人の様子を見るに、言葉の通り褒美のつもりではあるらしい。
さあ食え、と差し出された匙の形をした善意に押し負けた青年が、異様な弾力という存在感を主張する半個体を一匙口に運ぶ。
舌に広がる蜜の甘みと生薬由来の苦味は、余程丁寧に調合されたためか、思ったよりは食べ難くはない。
もっとも、喉の奥に留まる素材由来の臭気を除けば、であるが。
青年が嚥下したのを見て取った悠抄が、ぱちりと楽しそうに両の手を打ち鳴らした。
「さて、ここで彩藍くんに問題です。彩藍くんの今いる場所は、彩藍くんにとって世界の辺境ですか? それとも中心ですか?」
もふもふとした神獣の背中に座したまま、再び手に取った茶杯から立ち昇る茶の香気を満喫しつつ問いを投げかける人型混沌生物に、青年が思わず言葉を詰まらせる。
「悠抄さん、それは詭弁です」
「詭弁ではないですよー。歴とした世の真実なのです。人の認識は、自分の立つ場所を中心と考えるのですよ」
背筋を正して反発を押し出す彩藍に、愉快そうに指を振る悠抄が弁を続ける。
「自分の足元を基準とし、目に映るものを世界とするから、人は地平の彼方を目指すのです。そして、これは動物や植物も同じなのですよ」
「ですが、いくら自分が世界の中心と自認しようと、不便な場所にはかわりないので、文化的に優位に立つことはできないですよね」
「それは誤謬だよ、彩藍。不便な場所に住んでいるからこそ、周辺の便利なものを取り込もうとして中継点になるんだろ」
立地的不利を主張する青年に対し、天猫が不利ゆえの視点で相棒の言葉の補足を入れる。
相棒の合いの手に、気を良くした混沌少年が得たりと再度手を打ち鳴らす。
「現世にも、大勢力間を結ぶ茶馬古道と呼ばれる交易回廊があります。これらの一つ一つの都市は確かに規模は小さく辺鄙な場所にありますが、だからこそ結節点として世界の中心になるとも言えるのですよ」
もっとも、幅を利かせるには目端も必要となりますが、と身も蓋もない締め方をする悠抄に、反論の余地なしと悟った彩藍が小さく両手を上げて降参の意を表明する。
「つまり、辺境は視点を変えると辺境でないのと同様、隠れ里と言われようが別段隠れているというわけではない、ですか?」
「いえ、隠れ里はちゃんと隠れていますよ?」
先程まで高説とは打って変わっていい加減な悠抄の論に、彩藍が知らず目を眇める。
「隠れ里というものはいくつか種類があってですねー、大別すると存在を知られると身の危険に繋がるため隠れざるを得ない人達と、技術あるいは知識が意図せず広まることを好まないため隠れる事を選ぶ人達に分けられるのですよ」
再度気のない返事をして茶を含んだ青年は、喉に残る亀苓膏の後味と茶の残香の相性に軽く目を瞠った。
事務官の表情の変化を捉えた料理愛好兼任家剣士は、得意げに鼻を鳴らすと、胡座をかいた自らの膝に頬杖をついた。
「後は、当人達は別に隠れる気はなかったけど、結果的に隠れ里になったというふざけた連中もいるけどな」
天猫により提示された第三要素は、隠れ里という概念の斜め上をいくものであった。
「一芸特化というかだな、技術追求が好き過ぎて気に入らない訪問者を追い返していたら、いつの間にか世間から忘れ去られていたらしい」
「そこが次の目的地ですよ。面白い人が沢山なので、彩藍くんも楽しみにしててくださいね」
朗らかに宣言する悠抄だか、その台詞のどこに楽しみにする要素があるというのであろうか。
そう言えば、と言葉を切った天猫が一度雲の流れる青空を仰ぎ見ると、事務官に向き直りおざなりに頷いてみせる。
「まぁ、玄翁を振りかぶって追いかけてくる里人がいるかもしれないが、そういう生態の連中というだけで悪意はないから気にするな」
「は?」
剣士少年が思い出したかのように付け加えた不穏極まりない情報に、彩藍の思考が停止する。
青年の意識の空白を縫ったわけではなかろうが、余計なことしいの悠抄が彩藍の視界の端でかちゃりと追加の器を何処からか取り出す。
「お勉強を頑張った彩藍くんには、霊芝亀苓膏もおまけに付けてあげます。身体に良いので、残さず食べてくださいねー」
そして、災厄の使者によって匙の進まない亀の煮凝りが新たに追加された。




