第四十七話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その三十九
泰山庁名物・調査課による大食堂仕事持ち込みが開催される昼の一幕。
周囲の迷惑そうな視線を物ともせず悠抄と天猫が書類の塔を積み上げる。
「ところで彩藍くん、今度作ってもらう試験ですが」
何がところでなのか全くもって不明だが、書類から顔を上げた悠抄の口走る妄言に、彩藍が額に拳を押し当てた。
「作られません。いくら悠抄さんでもそんな無茶は通りません。以上です」
「そうですねー。で、実施されたら彩藍くんも受けますよね?」
人の話を聞くという概念のない悠抄による、確認作業という名の断定に、ですから、と彩藍が糖分補給用の杏仁豆腐を脇に避けて真正面から迷惑生物と対峙する。
「悠抄さん、悠抄さんの想定する試験項目の内の武術試験は、武術試験という名の乱戦ですよね? そんなのに僕が生き残れるとでも?」
「初手を誤らなければ乱戦になりようがありませんよ? この手の一対多の制圧戦は手順が全てです」
火を見るより明らかな理屈だという姿勢の悠抄に、そういう問題ではない、と彩藍が髪を掻き混ぜる。
「ですから! 僕は実働員ではなくて一介の事務官です。全くの素人なんですよ!」
「はい、初心者の彩藍くんでも使いやすい戦術というと、うーん、まず突風と雷撃で全員の無力化を狙って、もし生き残りさんがいたら微毒か極少量の毒で動けなくなって貰うのが正解ですね」
本人に取り繕っている気はないのだろうが、最早隠すでもなく戦術と言い切っている少年型修羅に、彩藍が指摘するべきか悩んでみるも、残念ながら言葉を挿し込む隙もなし。
考えているうちに興が乗ってきたのか、悠抄が懐紙を抜き出すと、さらさらと何事かを書きつけると、麝香と竜脳の奥から白檀が仄かに香るそれを彩藍に手渡した。
「中々うまく出来ました。彩藍くん、これでどうでしょう?」
子供が落書きを見せびらかすような感覚で渡されるも、書き込まれていたのは青年の目には意味不明な紋様の羅列であった。
さり気ない経済格差に慄きながら紙片の端を摘む彩藍の姿に、悠抄が上出来というだけあってご機嫌で解説を始める。
「これに念を込めるとですねー、雷公さんと風伯さんと、あとおまけで雨師さんも力を貸してくれます」
おまけというには随分と豪華な助力要員ではあるが、悠抄が力を貸してくれると断言した以上はそこに疑いの余地はない。
問題は、何故か助力を乞うような状況に至ることが確定している点であろうか。
「雷撃と突風の打ち漏らし対策としては、これが有効だな。生き残る根性がある連中はすぐ接近してくるだろうから、至近距離で毒を嗅がせても良いし、纏わりつかせても効果的だ」
真面目にずれた想定を繰り広げる悠抄の横から悪ふざけの天猫が取り出したるは、飴色の艶を纏う本煤竹の親骨を一本の紙扇であった。
持ち主の指示を受けて青年が扇を開いてみると、銀粉煌めく砂子の上を秋風に棚引く芒と群れなす蜻蛉という、些か淋しさを纏う意匠が視界に飛び込む。
「なるほど、八洲の志能便さん達が使うという霞扇ですね。確か、よく使われる毒は金鳳花の仲間の菫の微粉末でしたか」
「その通りだ。扇はな、骨で叩くと相手は痛いし腹は立つしで結構いい道具だぞ」
今度試してみろと勧められるが、どこで試せと言うのだろうか。
「お気持ちはありがたいのですが、僕には素養がないので恐らくは宝の持ち腐れになると思いますが……」
「そうでもないですよ。世の中相性です。彩藍くんは全体の相が良いので、天を司る神様達に好かれやすい性質をしています」
「はあ?」
「五行と易学だよ。藍つまり青は方角は東、五行にして木、八卦にして震と巽。つまりは雷と風に向くな」
故に雷公と風伯の助力を願うのは比較的難易度が低いだろう、との天猫の言葉に、なんとか突破口を探すべく彩藍が視線を天井付近に彷徨わせる。
「……雷公様と風伯様に関してはわかりましたが、僕の名前からは雨師様が関わる要素はないのではないですか?」
「彼奴等は結構のりが良いからな、仲間がこれだけ揃って声を掛けられているのに、一人だけ気を掛けないはずはないだろ」
輩が徒党を組むような感じで答える天猫であるが、真に受けて良いものか戸惑うのは無理もないことである。
「彩藍くんはご両親にとても良い名前をつけてもらってますから、良い子でいると雷精さんや風精さんが手助けしてくれますよ」
良かったですねー、と頭を撫でてくる外見年下の少年に、事務青年が困ったように眉根を寄せる。
「いえ、うちの両親はそんな意図で僕の名前をつけていないです。むしろそんな意図が込められていたら僕は泣きます」
一向に抜け出せない会話の底なし沼に、彩藍が攻略点を変えるべく地獄の使いから顔を逸らして一度大きく深呼吸をする。
「大体、なんで僕がそんな過酷な試験を受けなくてはいけないんですか」
「まぁ、聞け。お前が受験するとなると、当然推薦人は俺と悠抄と課長と、あとは受付の鬼になるな」
「誰が鬼ですか」
指折り嫌な名前を連ねる天猫の背後から、凛とした声が振り注いだ。
「なんだ、受付、珍しく自主休憩か」
持ち場外での珍しい遭遇を茶化す天猫に、そんな訳あるか、と鬼と呼ばれる麗しの受付嬢が麗しく鼻で笑い飛ばした。
「総務が規則を守らずして誰が規則を守りますか。もちろん、権利を兼ねる義務としての休憩です。もっとも……」
一度言葉を区切った受付嬢は悠抄と天猫を等分に見遣ると、これ見よがしに溜息を吐いて見せた。
「お二方と調査課長を筆頭に、調査課の方々はもっと自主的に連番制で長期休暇を入れてくださって構わないのですが?」
そうしてくださるならば、総務部権限で有休消化として処理して差し上げます、と彩藍の隣に着座をしながら続ける受付嬢である。
返しの鮮やかさと肩を竦める問題児二人組の様子に思わず拍手で讃える彩藍であるが、称賛者対象からの冷たい視線を受け尻すぼみに拍手を納めた。
「丁度いいところに来てくれたのです。受付嬢さんも彩藍くんに自信を持つよう応援してあげてください」
いつの間にか悠抄により開催されていたことになっていた彩藍くんを励ます会に当人は憮然とし、新参加の受付嬢は供された桂花茶と夾心蛋糕を引き寄せ説明を求める。
〜〜
「なるほど、新人強化試験の提案ですか。理には適っていますね」
天猫より一通りの説明を聞いた受付嬢が、桂花茶の香りを楽しみながら頷いた。
「呂二等事務官が受験するなら、両調査官や調査課長に並んで確かに私の名が連なるのも妥当と言えます」
「さすが受付。話が早いな」
予想外にも悠抄・天猫組の迷惑発案に理解を示す受付嬢に、そんなぁ、と彩藍が失望の声を上げた。
「呂二等事務官、私は忠告をした筈です。可変型長命種、ましてや調査課員に迂闊に餌を与えるべきではない、と」
手の平を上にして受付嬢が指し示す先には、当然のことながら何故か自慢げに胸を張る悠抄と天猫の姿。
「ですが先輩。いくらなんでもこんな無茶を言い出すとは思うはずないじゃないですか」
「そうですね。ですが、その上で如何に彼等の意識をずらして事なきを得るか、が調整を主とする我々事務の仕事です」
何を仕出かすか分からないから迷惑課であり、それをどうにか躱してこそ専属事務官なのだ、と付け入る隙のない叱咤に彩藍としては小さくなるより他ない。
「これらを加味したうえで、もし試験が実現して後進が成長……、失礼、成長するなら私は喜んで名前を貸しましょう」
「いや、先輩今吹き出しましたよね?」
不自然に区切られた咳払いに彩藍が目を眇めるが、鉄面皮でなる受付にはどこ吹く風である。
「試験が実施されるものとして、何故呂二等事務官が受験しなければならないのか、少し考えてみましょう」
「すみません、受験確定の体で考察するのは勘弁してください」
淡々と語る三人目の人非人に抗議する彩藍であるが、ここで聞き入れる人物ならそもそも鬼などと呼ばれよう筈もない。
さて、と姿勢を正した受付嬢は、真正面から書類とにらめっこする理外生物と対峙する。
「抄調査官の挙げられた試験案は、内容から鑑みるに希望制と推薦制の併用と仮定して宜しいですね?」
「そうですねー。上級職採用試験になると思うので、それが妥当ですね」
書類に自らと相棒の名を書き加えた悠抄が、紙を処理済みの塔に重ねて、うんうんと頷いた。
その頷きを得て、受付嬢は彩藍の肩を掴み、天猫は蛋黄酥を青年に供える。
「上級職試験だからこそ、各部署揃って前途洋々たる新人を差し出すのは自明の理」
「先輩、そんな自明は今すぐ破棄してください」
懲りずに抵抗する後輩に微かに向けられた視線の意味は、うるさいなこいつ、であろうか。
「ここで登録されるのは、前途洋々たる新人です。そして、呂二等事務官は抄・宗両調査官に同行できる胆力の持ち主です。よって、受験しなければ裏を勘繰られ、受験すれば潰しの筆頭対象となります」
詰まりは受けるも地獄受けないも地獄の仮想現実に、周囲の若手は巻き込まれては敵わないと必死に気配を消す努力をする。
「あなた達は人の心がないんですか!」
これにて証明終了と受付嬢によって導き出された結論に調査官組は満足そうにふんぞり返り、被害者青年は絶望の叫びをあげて上半身を机上に投げ出した。
「そもそもがですね、悠抄さんのたちの悪い冗談が始まりなんですよ。なので、そんな恐ろしい可能性を大真面目に論じないでください!」
必死に抗弁を試みる青年の台詞に、ん? と悠抄が不思議そうな声を上げるも、少年の膝上で黙って状況を見守っていた小型神獣に邪魔してやるな、と窘められて口を噤んだ。
そして、彩藍の魂の抵抗を見た受付嬢は、話はわかったと緩やかに首肯する。
「呂二等事務官の真面目さに免じて良いことを教えましょう。たちの悪い冗談には、正面から乗るからこそ社会が回るのですよ」
首肯はしたが青年の要望を受け止めたわけではなかった。
「冗談はさておき、確かに総務としては損益ともに大きい扱いの難しい提案ですが」
甘く華やかな液体を一口飲み込んだ受付嬢が、しかしと澄まし返って言葉を繋いだ。
「私は総務ではありますが、対外部署所属です。人事や庶務ではありません。よって該当提案は私の関与の及ぶところではありません」
遊べども責任は負わずと宣言する受付嬢の姿勢に、彩藍含む常識人枠一同がずるいと心を一つにしたことは想像に難くない。
それよりも、と渦巻く非難を華麗にやり過ごした鬼の受付が、舳先を変えて理外存在二名に向き直った。
「抄調査官より提出されていました仮面の外部修繕委託の申請は無事承認が降りましたので、そのまま継続して頂いて結構との庶務からの言伝です」
一瞬なんのことやらと疑問符を浮かべる悠抄であるが、すぐさま合点がいったと手を打ち鳴らす。
「わかりました。今度何かお礼を持っていくので、受付嬢さんからもよろしくと伝えてくださいねー」
純粋な善意で構成された災厄による襲撃予告に、居合わせた職員一同が恐怖に固まる。
止めろ、なんとかしろ、と総意を受けた天猫がぐるりと周囲を見渡し大きく肩を竦めた。
「……まぁ、庶務連中にしてみたら、こいつが直った仮面を持って突撃をしてくるより事前承認の方がまだしも楽か」
一拍の間が空いたのは、事後承認をもぎ取るための蹴撃も面白いと思ってのことか。
事前に防げたにしろあり得たかもしれない地獄絵図に、庶務関係者であろう観衆の一部が声なき悲鳴を上げる。
流石に哀れを覚えた彩藍が軌道を修整すべくそろりと手を挙げた。
「今更ですが、仮面の修理や作成って、外注に出しても良いものなんですか?」
世のため人のため必死に話題を転換しようとする後輩を見遣る鬼の異名を取る先輩の目は、確かに今更が過ぎると極めて冷たい。
「庁支給の仮面は庁の技術課で作るか、抱えの職人に依頼を出すだろ?」
受付嬢のみならず天猫からも向けられる出来の悪い後輩を見る視線に腑に落ちない物を感じつつも、前提条件に間違いがないため不承不承頷く彩藍である。
「庁の支給品ですからね、庁で管理するのは当然です」
「だろ。で、俺と悠抄の仮面は自分で調達した物だから、自分の伝手で処理しても問題ないわけだな」
「いえ、問題しかないです」
完全無欠の理論と胸を張る少年剣士に二等事務官か脊椎反射で否定を繰り出す。
勇気ある青年の否定に音のない拍手喝采を送る周囲だが、ふむ、と厄災こと悠抄が納得いかない様子で顎に手を添えた。
「いいですか、彩藍くん。この手の制作物で大事なのは術式そのものではなく、術式の定着技術なのです」
左手の人差し指を立てた悠抄がいつものごとくずれた論点による持論を展開し始める。
「よって、定着さえさせられるならば、内部術式に手を加えて流用するのは規律違反ではないのです」
さらりと改造を匂わせる悠抄に彩藍が指差し訴えるも、受付嬢は面倒くさそうに青年を見返すのみ。
「承認は降りましたので、この後の管理および苦情処理は庶務の仕事かと」
一見まともそうな発言であるが、要するに話題に飽きた、と言外に宣言して席を立つ女傑に、ひよっこ事務官としては口を噤むより他ない。
あぁ、そうそう、踵を返した受付嬢が何かを思い出したかのごとく顔だけ彩藍に向けてくる。
「安心しなさい、呂二等事務官。今回の両調査官の庁内勤務期間内の長期出張許可と抄調査官の仮面の外部作成承認で調査課長と立て続けに対面したので、総務部長は暫く調査課に関わりたくないと公言していました。よって、当面の間は抄調査官の提案が通ることはありません」
颯爽と立ち去る歴戦の受付嬢に、やはり鬼だとの感想を共有する観衆であった。




