第四十六話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その三十八
仕切り直しにと供された茶菓に悠抄が手を伸ばしたのと時を同じくして、黄花梨の重厚な両開きの扉が勢いよく押し開かれた。
蝶番の寿命を気に掛けたか表面の彫刻の無事を案じたか、小間使い一同が声にならない悲鳴を上げる中、扉を開け放った勢いを保ったまま軍装の少女が入室する。
「おい、猫面。良いか、あれで勝ったと思うんじゃないぞ。いつか見返してやるから、それまでは貴様を師と仰いでやる」
約束の如意宝珠を携えて戻って来た翠琳が、宝珠を悠抄に投げて寄越しながら天猫に指を突き付け押しかけ弟子入り宣言をする。
「だから、たまには顔を見せて私に助言をするのを忘れるなよ」
とてもではないが弟子が師に向かってする発言ではないが、向けられた天猫は面倒くさそうに手を振った。
「助言が欲しいなら、まずは相手を見て展開を考える癖をつけろ。猪突猛進ばかりだと何も変わらんぞ」
何事も思考することこそ肝要だ、と諭す猫面相棒の言葉に、異形面少年が腕を組んで感心の唸り声をあげる。
「そうですねー。天猫の言葉を考えると、武官にも座学の必要性がよくわかりますね。翻すと、文官にも練武が必要となりますか」
要らないことを口にするな、というのが周囲の共通感想であろうが、そんな事を気にするようでは理不尽の具現化は務まらないであろう。
少しの間俯いて考えていた悠抄だが、やがて何か余計な事を思いついたのか、そうだ、と顔を跳ね上げた。
「今度、見どころのある子向けの特別昇格試験というものを作るよう提案するのも良いかもしれないですね。その際、武術試験も必須にすると、新人さんの単独任務達成率が上がりますね」
世紀の名案、と手を鳴らす悠抄に、発言者とその相棒たる天猫を除いて同室の一同が自分の耳の性能を疑った。
壁際に控える小間使いの一人はこっそりと異形面少年を観察するが、確かに俊敏そうではあるもさりとて激しい活動とはまるで無縁の印象も受ける。
何を企んでいるのか真意を問え、という同室者一同の無言の圧を受けて、不運代表の青年が恐る恐る口を開いた。
「え? いや、悠抄さんも武術試験? 武術受かるというか、できるんですか?」
「はい、できますよー。要するに、最後の一人として立っているのが武術ですよね?」
対一の勝負ではなく生き残りを掛けた乱戦想定なのは何故なのか。
気負うことなく堂々と危険発想を口にする危険人物に思わず彩藍が仰け反ると、青年の右肩を天猫が右膝を猫面少年の膝で寛ぐくろさんが叩いた。
「悠抄、武術の定義を挙げてみろ」
「はい。武術とは、敵性存在の無力化あるいは対抗勢力の殲滅を目的とした武力行為です」
天猫の指名に応じて、悠抄が自らの武術観を披露する。
開口一番で世間一般の常識から大きく乖離している気がする彩藍ではあるが、あながち間違えているとも言い難いため、ひとまずは聴衆に徹する。
「次いで、武力とは、身体的攻撃力のみならず心理的攻撃力や超常的攻撃力も含みます。よって、あらゆる技法術法は武術と総称できます」
「いえ、違います。それは戦術の定義です」
修羅の国の使者による救いのない理論展開に、常識の守り手たる青年は聴衆たり得ず堪らず口を挟んだ。
「悠抄さん、それではただの過剰防衛ですよ」
「はい、なので、過剰防衛にならないよう初手の前に最大効率で相手の行動選択権を制圧するわけですね」
世のため人のため、なんとか認識を抑えようとする青年であるが、人型兵法書の前提条件は強固に過ぎた。
頭を抱えて苦悩する青年の世間的感覚に伴う反応を受け、天猫が厳かに頷く。
「どうだ、彩藍。こんな奴も受ける武術試験採用の昇格試験を受けたいか?」
「すみません、僕が間違えていました。仮に悠抄さん提案の試験が実現しても、決して発案者は受験させないように総務に進言いたします」
きりりと背筋を伸ばす総務期待の星の発言に、非常識の塊がことりと不思議そうに首を倒してみせる。
「ぼく除外ですか? まぁ、ぼくも天猫も、これ以上昇格のしようもないので、受けたくても受けられる試験がないんですけどね」
あっさりと前言を翻す常識の敵に、なら最初から言うなよ、と彩藍が密かに拳を握り、悠抄の膝に移ったくろさんが前足を微妙に曲げて真似して遊ぶ。
この憤りは誰かに共有すべき、と彩藍が龍神の小間使い達の共感を乞おうと視線を向けかけ、小首を傾げた。
「そう言えば」
何かに気がついたらしい彩藍が、きょろりと首を巡らせて室内の様子を確認する。
「今回は漁師さんの影法師が見えませんが、どうかされたんですかね?」
常ならばふらりと姿を見せる影の姿を見ないことに心配をしたのか青年が首を傾げる。
二等事務官の人の良さに感じ入ったのか、悠抄の膝から降りたくろさんが青年の膝を叩いて威勢の良い軍人少女を前足で示した。
一瞬不思議そうに足の先を追うも到達点で事情を察して顔を逸らす青年に対し、少女は意味不明の面白くなさを感じてか真正面から事務官を見据える。
「彩藍くんの推察通り、漁師さんは翠琳さんの威勢の良さに恐れをなして姿を眩ませたようですねー」
悪気と遠慮という概念を搭載していない悠抄による余計な真実の指摘に、同じ感想を飲み込んだ彩藍が慌ててその肩を前後に揺さぶった。
「ちょ、なんで余計な事を言うんですか! 失礼と思ったから折角僕が言葉を濁したのに!」
「貴様はそれで私に慮ったつもりか、このもやし事務官が」
非礼を咎める非礼に対する翠琳の言葉は、当然温かみを帯びようはずもない。
思わぬ追撃に、どうしたものかと焦る二等事務官を尻目に、そもそも取りまとめる気のかけらもない天猫が猫面の奥でつまらなそうに欠伸を漏らした。
「悠抄、そんなことよりも、他に用事があるだろ?」
「そうでした。龍神さん、先にお知らせをしていた通り、髭ください。あと、おまけに爪を付けてくれてもいいです」
当初の目的の履行を求められた龍神が快く頷きかけて、さり気なく盛り込まれた追加要求に待てと動きを止めた。
「そのおまけ発想はどこから湧いた?髭は確かに記載はあったが、爪に関しては一文字も記されてなかったはずだ。違うか?」
「龍身はですねー、滅多に市場に流れない素材なので、爪ひとかけでもお土産にすると喜ばれますよ」
素材候補からの詰問に対して悠抄の回答に温情はなく、そして問いに対する解とはなっていない。
和やかに殺伐な小型災厄に、諦念を浮かべた龍神が天猫へと助けを求める。
「一度、友情とは何かを確認する為に席を設けるべきと思うが、天猫よ、貴殿はどう思う?」
「こいつは悪気だけはないからな、意識の摺合せは悪手ではないというのは保証してやる」
ただし、得られる成果に保証はしないと言外に主張する猫面に、龍神が現実の世知辛さを噛み締めつつ、配下に約束の物を準備するよう指示を出す。
指示を受けた小間使いの一人が心得た表情で衝立の裏よりやたらと長い代物を引き出した。
「……随分と長い箱に収められているんですね」
「当たり前だ。今俺達の前にこうして座っている姿はあくまでも仮だからな。本性は長城にも例えられる程の長大さだぞ」
大の大人が両手を広げた程はあろうかという長さを誇る黒柿の飾箱は、墨を流したか孔雀が羽を広げたかとばかりに流麗な人の手ならざる紋様に、思わずといった風情で彩藍が感嘆の声を上げ、それを拾った天猫が当然だと青年の側頭部を小突いて見せる。
恭しく差し出された箱を受け取った悠抄が満足げに不可思議な袖内に仕舞い込む。
「龍神さんは、龍王さん達とはまた別に龍の一族の中でも特別な人なので、例えその身から離れた一部でも強い力が残っているのですよ」
客人達による漸くの正当な敬意に、気を良くした龍神がまさしくとばかりにふんぞり返って見せる。
しかし、と感心の裏で彩藍の冷静な部分がひそりと囁く。
悠抄の評価の起点は相変わらず素材価値に対してなのだが、そこは良いのだろうか、と。
如何にしたものかと、壁際に控える小間使い達に視線で問うと、ごくさり気なく、しかし確かに顔を背けられた事実を鑑みるに、そっとしておいてやってくれ、ということであろう。
「抜け髭は便りを受けていたので好きに持っていけば良いが、こんな物が材料になるとは、世の中面白いものだ」
「そうですねー。龍の髭は、ただひたすらに叩いて七日七晩煮込んで撚り合わせると、火に強い良い組紐になるそうですよ」
仮面の材料にはもってこいですねー、と上機嫌に宣う異形面少年に、龍神が思わず壁のさらに向こう側へと意識を乖離させる。
代謝物とはいえ己の一部であったものの悲惨な末路に聞かねば良かったと後悔する龍神であるが、それだけで済めば悠抄が悠抄たる所以はない。
「ちなみにですねー。龍の逆鱗は香料にも薬材にも顔料にも向くと引く手あまたですよー」
「……そうか、同胞には貴殿と似た気配の人物には近づかないよう、布令を出しておこう」
悠抄による恐らくは褒め言葉に、身の危険を実感したらしい龍神がしかと頷き宣言する。
近づかずとも勝手に来るからこそ災難であると、相棒と紐状生物による漫才を冷ややかに眺める天猫だが、言わぬが花かと肩を竦めた。
全身で悲哀を表現する人外老人と、どこ吹く風と気に留める様子もない小型人外により不毛な茶番が繰り広げられるが、やがて龍神が表情を和らげると小さく息を吐いた。
「やれ、久方ぶりに楽しませて貰ったが、この後貴殿らはどうするのだ?」
「そうですねー。五つの宝の残りは尊者の御石鉢なんですけど、ぼくも天猫も実は浄界にあまりお邪魔しちゃ駄目と課長に釘を刺されているんですよ」
変ですよねー、と愉快そうに呟く仮面少年とどうでも良さそうに鼻を鳴らす猫面少年に、一同がさもありなんと心を一つにする。
「まぁ、そういうわけなので、皮衣の進み具合も気になりますし、次は職人さんの里に行こうかな、と思っていますよ」
斯くして、ちょっとそこまで、と散歩途中で答えるのと同じ温度で次なる被害地が確定したのであった。




