第四十五話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その三十七
「お祖父様! ご無事ですか!?」
和やかな雰囲気の漂う歓談の間に、音高く両開きの扉を押し開き突入してきた軍装の少女は、竜神の姿を認めるなり進行途中の彩藍を押し退け駆け寄った。
「翠琳か。どうした、そのように慌てて」
「どうもこうもありません! お祖父様が無体を強いられたと聞いて慌てて駆けつけたのです!」
「おお、確かに。久方ぶりに逆鱗を毟られかけたな」
言葉の内容とは裏腹に、ごく明るくのたまう龍神に、軍曹少女が上体を仰け反らせた。
「龍の逆鱗を剥がそうなどと、何と恐ろしいことを」
主座を占める客人二人に振り向いた少女は、きっ、と眦を吊り上げると、その指先を突きつけた。
「貴様らか! 龍に仇なす悪鬼らせ……つ、は?」
一息のもとに弾劾をしようと声を張り上げるも、指の先に端座する少年二人の姿に、見る間に勢いを失速させる。
なんとも収まりのつかない空気の中、少女が行き先を失った口上を回収すように手首を返すと、素知らぬ顔で自らの頬を掻いた。
「お祖父様、なんです? この童達は」
「小娘に童扱いされるか、中々面白いな」
戸惑いに揺れる翠琳の声を受け、天猫が感慨深げに頷く。
そして、猫面少年が少女を華麗になかったことにして宮の主へと視線を向けた。
「それで、龍神。この生き物は何だ?」
同義の問いを別々に受けた龍神がまずは天猫に視線を向けると、大きく胸を張った。
「先程話題に挙げた孫の翠琳だ」
「なるほど、玲瓏珠のごとしですか。ずいぶんと元気で賑やかな玉の音ですね」
紛うかたなき孫自慢を繰り広げる龍神に、悠抄が善意で構成された偽装悪口で応じる。
仮面少年の言葉に引っかかりを覚えたらしい翠琳は、しかし祖父の様子にひとまずは反論を飲み込む。
孫の様子に龍神が満足そうに目を細めて、次いで幽世組へと手のひらを向ける。
「翠琳にも語って聞かせたことがあるだろう。儂の友人の、悠抄と天猫という幽世の幽官だ」
あとはおまけ青年だ、と付け加える龍神におまけ事務官が不満の視線を飛ばすが、どこ吹く風である。
「ここでもまだ幽官呼ばわりか。どうしてこう現世の連中は頭が硬いんだ」
しつこく蔓延る旧官名使用に天猫が面白くなさげに呟くも、こちらも他の人間の耳に届いた様子はない。
「この異様な面の童どもが幽世の幽官……。お祖父様の繰り言ではなかったのか」
両手を戦慄かせ、何やら衝撃を受けている様子の孫娘に、彩藍が恐る恐る挙手をして発言の許しを求める。
「あの、僕が口を挟むことではないですが、さすがに龍神様に失礼ではないですか?」
「無礼は承知だ! しかし、お祖父様は都合が悪くなるとすぐ呆の真似をするのだ。ひとつやふたつ本当に呆けていたとしても、わからないではないか!」
心温まる日常の垣間見える魂の叫びに、うむ、と悠抄が膝を打った。
「天猫天猫、龍神さんは八味地黄丸が効きそうですよ」
「分かった、あとで処方を小間使いに渡そう。それと、夜番の連中には酸棗仁湯か抑肝散だな」
情け容赦という概念の欠如した少年二人組の見立てに壁際に控える小間使い達の顔が華やぐを見るに、龍神の認知機能はともかく、夜間の度重なる厠通いは確かであるらしい。
対して、手の掛かる耄碌老人と分類された龍神は、これ見よがしに肩を落として袖で顔を覆った。
「青年よ、なんとも世知辛い世の中だな。可愛い孫には邪険にされ、永の友には自らを棚に上げて厄年寄り扱いされるのだ」
「すみません、僕には口の挟みようがないので、本題に戻っていただけますか?」
さり気ない巻き込みを察知して冷徹に本題復帰を示すあたり、若年と言えど彩藍は確実に総務の筋である。
龍神も大して期待をしていなかったのか、降ろした袖の影から、悲しみの欠片もない相貌を晒した。
「軽口を叩く隙もないとは本当に忙しない世となったものだが、青年が急かすならば致し方ないか」
「若い子はいつの世もせっかちなものですよ。そういうことなので、翠琳さん、使わなくなった如意宝珠をください」
どさくさ紛れの悠抄の要求に、翠琳が眉間に拳を押し当てた。
「待て、異形面。話の筋も見えないのに、譲るも何もないだろう」
人に物を頼むのならまずは状況を教えろ、というごく常識的な翠琳の要求に、ならばと非常識代表がしゃしゃり出ようとするも、小型神獣に膝を叩かれて阻止される。
くろさんの空気を読んだ捨て身の援護により、悠抄の意識が滑らかな毛皮に逸れている間に、彩藍が説明役を買って出る。
「なるほど、要するに宝集めは人助けも兼ねている、と」
孫娘による要約に、彩藍が大きく首を振って肯定をする。
「趣旨は分かった。確かに私には不要になった物だ。人助けというならば、譲るにやぶさかではない」
想定外に色よい軍人少女の返事に身を乗り出しかける彩藍であるが、だが、という逆接の接続詞に押し留められた。
「それならそれで、まずは私の意向を確認しろ。なぜ所有者不在で事を進める」
きわめて常識的な翠琳の非難に、彩藍としては口を閉ざして黙るよりほかない。
どうするのだ、と元凶どもに視線を向けてみるも、のんびりとした三人の姿に焦りの気配は欠片もなかった。
「では、お前は長の言葉に反すると?」
「失礼ながらお祖父様、この者たちはお祖父様の友として訪れ、お祖父様は私を孫と紹介しました。ですので、私も孫としてわがままを言わせていただきます」
翠琳の毅然とした口上に龍神は満足げに顎をさすり、悠抄は拍手で賛辞の代わりとした。
「悠抄よ、聞いての通りだ。先の条件に則り、孫が勝ったら代金として願いを聞いてやってくれ」
「わかりました。天猫、交渉成立ですので、翠琳さんとの手合わせをお願いしますねー」
孫娘による真っ当な拒絶に祖父は如意宝珠の譲渡成立条件を改めて提示し、悠抄は即座に快諾して天猫に対応を流す。
そして、言わずもがな、所有者との交渉は成立していない。
「聞いたか孫、妖怪変化と渡り合うにはお前じゃ役者不足だ。これ以上ややこしい連中に関わりたくなくば、一縷の望みにかけるんだな」
一世一代と言わんばかりの決め顔を晒したまま凍結した翠琳に、天猫がどうでも良いという名の追い討ちをかける。
少女に向けられた神獣含む五対の目の内、同情を湛えているのは彩藍のみであった。
〜〜
本来人の絶えない練武場は、中央に立つ二人と少し離れた場所に佇む十人程度のみという、普段を考えれば無人とも言える状況にあった。
「なんだかとんとん拍子に場が整えられていますが、さすがに運よく手合わせ場所が空いてました、はないですよね」
普段縁遠い場所に連れてこられて落ち着かない様子で周囲を伺う彩藍の言葉に、何を当然、と悠抄が首を倒して応じた。
「もちろん、小間使いさん達の努力の賜物ですよー。龍神さんが手合わせと言った時点で手配を始めてくれていたんでしょうね」
「うむ。永の仕えで儂は言い出したら引かんと承知しているからな。決め打ちで動いた方が労力削減に繋がると踏んでいるのであろう」
全くもってよくできた連中だと胸張り自慢する龍神の言葉を受け、彩藍とくろさんが背後に控える一同に同情と近親の念を送る。
一方、練武場の中央で睨み合うは、刀を腰に履き凛々しく佇む翠琳と、左袖に右手を差し入れて何かを探す天猫という対照的な二人の姿。
ようやく探し当てたのか、天猫が袖から取り出だしたるは、中程に指を通す環を持つ両端が尖った一尺程度の長さの金属棒であった。
「……なんだ、それは」
「知らないのか? 峨嵋刺という点穴針と同じ刺突特化の暗器だよ」
便利だぞ、と見せびらかすように峨嵋刺を手のひらの中で回してみせる天猫に、翠琳がきりきりと眉を吊り上げる。
「私の刀を、そんな細い棒で受けられると思っているのか?」
「心配するな。細かろうと太かろうと、そもそも当たらなければ何も問題はない」
な? と返す天猫の言はもっともではあるが、真実が人を救うとは限らないという言葉の典型例とも言える。
猫面少年の煽りとも言えない雑な受け答えに翠琳が一度歯を噛み締めると、鋭い眼差しを祖父へと送った。
「お祖父様、仕切りをお願いいたします。この不埒者に礼というものを叩き込んでご覧に入れましょう」
孫の要請を受け、無言で振り下ろされる龍神の腕の動きを合図に、曲刀の鞘を抜き払った翠琳がその勢いのまま鋭い突きを見舞う。
「いい突きだと言ってやりたいところだが、柳葉刀の突きは感心しないな。せっかくの形がもったいないだろ」
体を開いて切っ先を躱した天猫が、刀が引き戻される寸前に翠琳の手首を掴んで重心を崩す。
少女が蹈鞴を踏みつつ堪えると、勢いその前に刃を返して切り上げた。
天猫がこれも既でやり過ごすと房飾りの付け根に峨嵋刺の先端を引っ掛けてさらに少女の腕を引き上げて見せる。
翻弄という言葉そのものの光景に、何かしら感じる違和があったのか、彩藍が方相氏面の顎に手を当て首を捻る。
「門外漢の憶測ですみませんが、翠琳さんの腕が悪いわけではないですよね」
「その通りだ、青年よ。じじの欲目を差し引いても、翠琳は弱兵ではない。その点は悠抄も異論はあるまい?」
「そうですねー。素人のぼくが見ても、翠琳さんは動きのきれがいいとか思いますよ」
事務青年により提供された孫褒め機会に即座に乗る龍神の評に、同意を求められた悠抄も素直に頷く。
その上で再度手合わせを視界に収めて人差し指を立てる。
「翠琳さんの動きに精彩を欠いて見えるのは、ひとえに天猫の性格の悪さのせいですね」
悠抄の舌鋒は、一番の身内に対しても鈍ることはなかった。
「……まぁ、悠抄さんが言うなら間違いはないんでしょうけどね」
言い置いて、観戦に戻るふりをして視線を反らす彩藍の内心は如何ばかりか。
「具体的に天猫のどこが性格が悪いのかと言うとですねー、刀剣の類を使うであろう相手に懐器類の暗器を持ち出すところですね。これによって、翠琳さんは勝てて当然と意気込みます」
思考の狭さは動きのぎこちなさを生む、よって当然と思い込まされて勝てるはずもない、と嬉々として相棒の性格の悪さを暴露する悪辣の擬人化に、勝てるはずないと評された孫を持つ祖父がなんとも言えぬ表情を向ける。
もちろん、控える気のない声が当人達に届かないはずもなく、天猫を間合いの内から追い出そうと苦慮する翠琳が、ぎりっ、と奥歯を噛み締めた。
「見ろ、貴様のせいで私がまるで出来の悪い小娘みたいな評価ではないか!」
苛立ちのまま再度突きを放とうとする軍人少女の鼻先で、天猫が峨嵋刺を弾いて高速で縦回転をさせる。
鋭利な先端の回転に反射的に身を引く翠琳の動きを追うように猫面の鋭器が迫るが、少女は首を倒して辛くも逃れる。
「少し落ち着け。刀の突きは無駄が多いとさっきも言ったばかりだろ」
「やかましい! いつまでもひらひらと動き回る貴様が悪い。少しは真面目に戦え」
「真面目にやっているからこうなんだろ。頭が硬いと人生損するぞ?」
大体な、と天猫が繰り出される拳の手甲を突端で叩いて軌道を変えると、小さく溜息を吐いて見せる。
「大円で動き回るから体力配分を間違えるんだよ。刀だろうと剣だろうと小円の足捌きは基本だろ」
「分かった、黙って斬られろ、往生してみせろ」
ここで止めとでも言いたげな横薙ぎの一撃を放つ翠琳に、刀の動きに先立つように背後に回り込んだ天猫が体勢を崩す少女の項に峨嵋刺の先端を突き当てる。
「だから、大円で動くとこうなるんだよ」
天猫の二度目の、な? が聞こえたのか否か、悔しさに歯ぎしりをする翠琳を傍目に、龍神が腕を掲げて勝負ありを宣言した。




