第四十三話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その三十五
水界の都大路を北上して突き当たったのは、壮麗を世に表したかのような聳え立つ巨大な楼門であった。
壁面に塗り込められた紅灰の、滑らかさの中にも時の荒波を超えた風合いを認めた悠抄が、初の訪問となる彩藍を振り返り巨大建築へと青年の視線を誘導する。
「ここが龍府の午門ですよ。いつ見ても大きいですねー。見事な壁です」
しかし、感動を以てしかるべき初会合は、壁のひと言で終わってしまった。
「では、見るべきは見たので裏手に回りましょう」
これ以上の用はなしとあっさりと踵を返す悠抄に、とっさに腕を伸ばした彩藍が異形面少年の腕を掴む。
存外忠誠心の高い神獣が主の頭上から不平の唸りを上げるが、厄介を予測する彩藍としてはここで離すわけには行かないと逆にしっかりと手に力を入れる。
「ちょっと、ここまで来てなんで態々裏に回るんですか」
常識人の青年による真っ当な詰問に、形を成した非常識がわかっていないなと言いたそうに溜息を吐く。
「いいですか、彩藍くん。見ての通りあれは門ではありません」
「いや、どう見ても門ですし、悠抄さんも午門って言ってましたよね」
意味不明の主張を繰り出す異形面の少年に、青年が呆れを隠さない声で反論する。
今度こそは誤魔化されないぞ、と意気込む青年の眼前でくるりと指を回した悠抄が、そのまま爪の先を門前に立つ守衛へと向ける。
「しっかり見てくださいね。あそこに守衛さんという人の邪魔をするのがお仕事の人達がいます」
控える気のない声で発せられた邪魔という語は、門を守る番人へと遮りられることなくしかと届いたであろう。
「あの人達のお仕事は門を通る人達の邪魔をすることなので、あの門は門としての意味をなしません」
世の真理であると断言して憚らぬ小型理不尽に、これ以上の説得役継続に無駄な労力を感じた彩藍が、悠抄管理係の天猫を振り仰ぐ。
「天猫さん。たまには悠抄さんを注意してくださいよ」
「あきらめろ。一回面倒と判断した悠抄はてこでも動かないぞ」
しかし、猫面少年より出てきたのは案の定の取り付く島もないひと言の返答であった。
予想内とは言え蛋白にも程がある管理責任者の回答に不満を滲ませる彩藍に、天猫が柄頭を指で叩いて言葉を繋げる。
「くろは龍生九子だからな。下手に龍関係者に見つかると面倒なんだよ」
「はぁ、面倒、ですか」
「天猫、その説明は後です。あまりのんびりしていると、ぼく達を感知したお迎えさんが来てしまいます」
いつもののらりくらりは何処へやら、珍しく急かす気配を滲ませる主を応援しようとくろさんが胸を張るが、悲しいかな役には立たない。
「ただでさえ竜門を使っていますし、この龍府はややこしいんですよ。なので急がないと手遅れになります」
いかな手段を用いたものか、言うなり彩藍の掴んでいた腕をするりと抜き取ると、改めてと方向転換をしようとする悠抄であるが、半瞬早く天猫が相棒の肩を突いた。
「残念ながら、時間切れだ」
猫面少年の指し示す先には、無表情で佇む官服の男女の姿。
「……え? いつの間に……」
「あぁ、もう。捕まっちゃったじゃないですか。こうなったら、強行突破です」
袖より数枚の符を取り出した悠抄が官服の男女に向けて放とうとするも、相手はそれよりも早く地面に両膝を付いて拱手の姿勢を取った。
「抄悠抄様、宗天猫様、狻猊様、おまけ様。御命によりお迎えに参上仕りました!」
「……いや、僕おまけってひどくないですか?」
遠からん者は音にも聞けとばかりの大音声によるおまけ扱いに、おまけ青年が小さくぼやくも観客含め気にした者はいない。
「この大層で失礼な方達はどなたですか?」
青年による先方の無礼に輪を掛けた無自覚失礼な問いを受け、咎めるべき責を負う仮面少年が厳かに頷いた。
「この宮城の主さんの傀儡さんですよ。ああしてご近所迷惑をするのがお役目です」
だから、消しちゃいましょう指を少しずらして手に持つ符の数を増やす。
更に両手に符を広げる人型攻城兵器に、頭上の神獣が胸を反らして主を煽り立てる。
「悠抄さん! 一般市民の前です。無法は控えてください!」
「大丈夫です。この際門もろとも消し去れば万事解決です」
先手必勝を主張する悠抄の後頭部を小突いて、天猫が拱手を崩さぬ傀儡へと一歩踏み出す。
「出迎えご苦労。見ての通り大層な仕儀に俺の相棒は立腹だ。故に一度出直すと主に伝えろ」
でなくば身の保障はできんぞ、と声を張る天猫に対抗するわけでもなかろうが、傀儡の男女が小刻みに身体を震わせる。
次いで、雨後の筍の如く地面より生える同形の傀儡集団に、野次馬をしていた民一同が蜘蛛の子を散らすように退散した。
「うぇ……気持ち悪……」
頭数は揃えど気配薄く額づく一同に、生理的嫌悪を覚えた彩藍が袖を翳して顔を反らす。
いよいよ持って悠抄の主張を退けることが難しくなった空間に、門の奥より朗らかな声が響き渡った。
「気に入ったか、悠抄! 貴殿らは遠慮が過ぎるからな、たまには派手な歓迎を受けるも悪くはなかろう!」
険悪な空気を意に介さないことにかけては一級品の素質を感じさせる声音に、悠抄が沓の先で土を蹴る。
「龍神さんは、後で泣かします」
ぼそりと呟かれた処刑宣告に、両手を合わせて黙祷を捧げる彩藍であった。
〜〜
「ご大層なお出迎えありがとうございます。髭と逆鱗を毟ったら早々に御暇するので、竜玉を出して龍身を晒してください」
龍神の私室に招かれた悠抄が開口一番で表明したのは、勧められる前の着座にての脅迫であった。
今一危機感を感じていない龍神は短く笑い声を上げ、正しく現状を把握している事務青年は未知の生物を見るかのような視線を長ものに注ぐ。
「面白い事を言うものだ。龍にとって逆鱗は泣きどころと知らぬ貴殿ではなかろうに」
「そうですねー。だからこそいい素材になると研究班や技術課の友人が言っていました。で、何枚剥がしていいですか?」
情容赦というものの欠片もない鬼による剥ぎ取り宣言に、ようやっと身の危険を認識したらしい龍神が、わざとらしく咳払いをして天猫へと会話の先を変える。
「友を歓迎して命を狙われるとは、理不尽極まりないな」
「安心しろ、龍神。友人契約は先の悪趣味で見事解消となった」
天猫が袖口より取り出したやっとこと玄翁を相棒に手渡すと、続いて縄鏢も取り出し縄の具合を確かめる。
「……時に天猫、その物騒な物はなんだ?」
「気にするな。俺もさすがに堪忍袋の限界があるからな、ちょっとした精算だ」
ようやっと調査官少年二人の不機嫌に思い至った龍神は、高貴な身で惜しみない土下座を披露して見せた。
「お話が落ち着いたところすみませんが、くろさんが龍生九子だというのはどういうことですか?」
「説明の前に聞くが、彩藍は龍に会ったことがあるか?」
「いえ、恥ずかしながら間近で神獣を見た事自体くろさんが初めてです」
「まぁ、神獣は幽世でも暮らせるが基本的に現世の存在だから、会ったことないのも珍しくはないな」
その点で言うと、あいつは確かにかわり者だな、とくろさんを顎で示した天猫が小さな笑い声を上げた。
話題の主は、話題に飽きたのか見るからに高価そうな壺に悪戦苦闘をし、部屋の主は泰然としつつも壺の安否に気が気ではないらしい。
「最初に簡単に言うと、龍生九子は龍であって龍ではない龍だ」
簡単に、そして難解に前置かれた定義に、彩藍が本格的に頭を抱える彩藍に、天猫がやや冷めかけの翡翠餃子を取り皿に取り肩を竦める。
「分かりづらくて当たり前だから、気にするな。要するに、龍として生まれても龍として在ろうとするかどうかは本人次第ということだ」
「はぁ、両親が優秀でも子供が優秀とは限らない、ですか?」
なんとか理解しようと努める青年の要約に、それはちがうと龍神が咳を響かせる。
「おまけよ、そも龍生九子を半端ななり損ないと捉えることからして違えているのだ」
「悠抄さん、この方反省していないようなので、やはりお仕置きをした方が良さそうです」
龍神による再びのおまけ呼ばわりに、彩藍が眇めた目で見据えつつ悠抄に仕置の必要性を訴える。
事務青年の要求に対し、理不尽の塊は龍という青年を等分に見やって腕を組んだ。
「わかりました。では、彩藍くんは何枚逆鱗が必要ですか?」
どこからともなく取り出した帳面で集計を取ろうとする異形面に、当事者二人が沈黙を持って反応を示す。
「逆鱗は生え揃うのに時間が掛かるので、納品はちょっと先になりそうですねー」
前に挙げた友人の名を書き込んでいるのか、悠抄が楽しそうに取りまとめる姿に、素材元が慌てて話題をもとに戻そうと姿勢を正す。
「貴殿らも知っての通り、我ら龍の一族は非常に格が高い」
「非常に、は自意識過剰とは思いますが、格が高いのはまぁ事実ですねー」
説明に先立ちまずは価値観の共有を図ろうとする龍神の言に対し、仙酒を遠ざけ甘草茶を引き寄せた悠抄が悪気をこめずぽそりと呟いた。
第一声から腰を折られた龍神が一度言葉を飲み込んで恨めしげな視線を送るも、いらん事言いが気にした様子はない。
「ひじょ……格が高いゆえに、龍に生まれつくことができたならば、その生は苦のないものというのは想像に難くはなかろう」
甘草茶を啜る悠抄の見えない顔色を伺うように龍神が一瞬だけ僅かに言い淀んだ。
「その生まれの貴さ故の安寧された将来を自ら捨てて苦難の道を歩まんとする龍生九子が、単なるなり損ないのわけがなかろう」
言葉を続けていく内に調子を取り戻したのか、拳を握りしめ熱弁を振るう長い生物と、箸を進めるのに忙しく弁舌を聞き流す聴客。
「だからこそ、我ら龍の一族は求道者たる九子を敬い、統合の果ての龍王を一族の長と奉るのだ!」
ついには感極まったか、袖を振って両手を天に掲げる演説者の姿に、室内に何とも表現しがたい空気が流れる。
「視点が身内に固定されすぎています。七十点ですね」
「あぁ、落第点だな」
容赦なし二人による評定と落第宣言により、熱気立ち込める演説会場は一転三文芝居の辻劇場へと姿を変えた。
氷室と化した室内を再度暖めるべく、気を利かせた小間使たちが卓の上料理を新しいものへと取り替えていく。
作業こそ淡々としてはいるものの、時折気遣わしげに主に視線を送る姿は何とも哀れを誘う。
「まず、龍神さんのどこが駄目かというとですねー」
「……駄目なのは論ではなく儂なのか?」
気がつかない方が幸せな事実に気がついてしまい愕然とする龍神を傍目に、早速悠抄が清蒸加吉魚を独り占めする。
竹を細かく編んだ蓋を開けると、赤と切れ目の白の対比も鮮やかな真鯛から、花生油と白髪葱の香りが湯気と共に立ち昇る。
「えーとですね、龍神さんの演説は、まさにこの鯛の蒸し物と同じですね」
龍神の高説と蒸し物が同じとはどういうことかと疑問に首を捻る青年を、悠抄がちょいちょいと手招きをする。
「彩藍くん、見せてあげるので食べずに味わってくださいね?」
「……喧嘩売ってます? 見ただけで味が分かるはずないじゃないですか」
悠抄の横暴に彩藍がけんを含んだ声音で応じると、異形面少年が満足そうに拍手を送る。
「さすがは彩藍くんです。龍神さん、そういうことですよ」
くろさんの存在する意味はくろさんにしかわかりません、と括る悠抄であるが、否定を受けた龍神は面白くなさそうな表情を浮かべた。
「龍神、その歳で頬を膨らませても見苦しいだけだぞ。納得がいかないなら、くろに直接聞けば良いだろ」
矛先をくろさんへとずらす天猫に、龍神が素直に体ごと小型狻猊へと向き直る。
「狻猊の御子よ。貴殿は気高く在る為、世にその姿で現れたはずよな?」
絢爛豪華な衣装を纏う貴人が、次の悪戯の対象を探す毛玉に話かけるのは、表現しがたい光景であるが、龍神の表情は至って真面目である。
そして、くろさんの回答は、後ろ足による砂掛け仕草であった。
がくりと肩を落とす龍神と、固唾を飲んで成り行きを見守っていた青年の姿を等分に視界に収めた悠抄は厳かに頷きを返す。
「くろさんの回答を以て、龍神さんの演説は過剰表現と証明できました」
「あぁ、龍神の論は正しさを誤解させる事があるから、場合によっては詐術として成立するな」
ぺこりと一礼をする悠抄に、天猫は身も蓋もなくまとめ、くろさんは毛に包まれた前足で音の立たない拍手を送る。
三文芝居からの三文芝居に、彩藍があきれ九割の溜息をついた。
「あなた達は大叫喚地獄の獄卒ですか」
「彩藍、言いたいことはわかるが、龍神は大叫喚に落ちるほどの悪人にはなれていないぞ」
「はい、天猫の言う通り、双逼悩処あたりが妥当ですが、この程度で判決をもらえるほど十王は暇でもないので、情状酌量で追い返されるのが関の山と言ったところですね」
残念ですねー、と気の毒がる小型無礼に、若人に僅かな見栄を張りたいだけであった龍神がひっそりと息を吐く。
「儂は、何故打ちのめされた上で、逆向きに哀れまれねばならないのか……」
項垂れる龍神に、満腹になった悠抄が箸を卓に戻しながら、あぁそうだ、と話題を転換する。
「先程の帳面はですねー。今回は冗談ということにしますが、次に同じことをしたら本当に友達に見せますよ?」
にこやかさの裏に不機嫌が垣間見える宣言に、素材提供者再びの華麗なる土下座を披露し、おまけ青年はぎこちなく明後日を向いて現実逃避をした。




