第三十七話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その二十九
英雄の隠遁する住居は、良く言えば素朴、正直に言うと小屋半歩手前という寒村もかくやの住処であった。
招かれた客人三名は炕と呼ばれる床暖房の上に自前の緋毛氈の敷布を敷いて座し、家主は壁の竈を背に筵の上に腰を下ろす。
釉薬も施されていない素朴な茶碗を繁々と眺めた悠抄が右手に座る天猫の袖をついと引いて声をかける。
「天猫天猫、面白いですよ、お白湯です。ぼく初めてお白湯でもてなされました。茶杯も厚さにむらがあります。どういう技法ですかね」
はしゃぐ悠抄にゆるく首を振った猫面少年が、零されぬようにと自分と相棒の茶碗を少し遠ざけ窓へと指を向ける。
「言ってやるな。やもめで手が回らないんだよ。ほら、窓の桟にも埃が積もっているだろ」
「すみません、羿様。この人達ちょっと生活基準がおかしい人達なんで庶民の生活を知らないんですよ」
援護をしつつ全方位に追撃するという高度な技法を披露する彩藍に、羿が大きく息を吐いて壁に肩を預ける。
「だろうな、その二人の身なり一つ見ても、それが普通の役人基準なら地がひっくり返るわ」
あからさまではないものの、黒染めの絹地に黒の絹糸で細かく華やかな刺繍が施され、時折金銀糸が僅かに走る仕立ての衣装を纏う二人組を指す羿の言葉に、そう言えばと彩藍が改めて確認して天井を仰ぐ。
「今さらですがお二方とも官服ではないですよね。支給されたのはどうされたんですか」
「もちろん、お家の何処かの箪笥にしまっていますよー。手触りが好きではなかったので、貰ったあとは見ていません」
何故か自信満々に規則破りを白状する悠抄に、諌め役たる天猫も深々と頷いてみせる。
「官服というのは要するに所属が分かる似たような仕立てであればいいわけだからな、調査課で支給服を着ているのは総務出向員くらいだ。彩藍も必要なら良い仕立て屋を紹介するぞ」
一般職の実入りをまるで考慮しない猫面少年のありがた迷惑な申し出に、溜息混じりに礼を述べた彩藍が改めて家主へと向き直った。
「羿様、大変申し訳ありませんが、お二方の感覚はこんな感じなのでお話を進めさせていただいてよろしいでしょうか」
「儂は構わんが、これが上役とは貴様も苦労するな、わっぱよ」
伝説の偉人に同情を向けられるなどと得難い経験を素直に喜んでよいものか、と遠くに現実逃避をしたがる意識を懸命になだめながら会話の舵をとるべく気力を振り絞る。
「そもそもで申し訳ありませんが、羿様は何故こんなところに住まわれているんですか?」
「なんだ、そこの二人に聞いていたのではないのか?」
しらけた表情で問い返す羿に、彩藍が一度視線を落として、どう返したものかと言葉を探す。
「大変な活躍をされた英雄様とはお聞きしていますが、それにしてはその……」
「あまりのみすぼらしさに驚いたか」
言い淀む青年にふんだんにまぶした皮肉の笑みで応じると、その素晴らしい活躍こそが曲者だ、と吐き捨てる。
「良いか、そこの仮面の言う通りに儂は金烏らを撃ち落としたが、それが故に儂のみがあの烏どもに縛られる縁を通じたわけよ」
「射撃は線ですからねー。因果が成立するにはこの上ない要素です」
説明という概念の抜け落ちた二人による説明を受け鼻白む青年に、天猫が肩を竦めて助け舟を出す。
「弓で射ると言うのは、目で狙いをつけて、そのまま射抜くだろ。だから繋がるという発想になるわけだよ」
漕ぎ出た助け舟も、多少はましという程度のものであった。
溜息一つに諦念を滲ませた青年は、人外の理の理解を諦め、目下の話題に集中すべく方相氏面の額に拳を押し付ける。
「はぁ、では悠抄さんの要望を満たすためには、一つずつ羽根を拾い集める必要があるわけですね」
「儂があやつらを押し付けられていかほどの時経つと思っている。様子を見るのに道もないくらいに散らかされても困るから、掃き集めて一か所に固めてあるわ」
それそこにいる、と示された窓の外の空間は、荒涼たる山の裾野が広がるばかり。
さては、加齢によって呆けたか、孤独が心を蝕んだか、と生温い同情の視線を送る彩藍だが、不機嫌を隠さない羿によって迎撃されて終わる。
「何やら無礼な事を考えているようだが、あれらは腐っても太陽の魂魄だ。いくらなんでも野放しにはできまいよ」
「確かに、少しだけ空間がずれている気配がありますね」
呆れたように言葉を放り投げる羿と、天猫越しに窓の外を確認して納得をみせる悠抄。
そして置いてけぼりの彩藍が状況把握のため、おずと手を挙げる。
「僕には何も見えないんですが」
常人の感性を正直に申告する彩藍に、非常人代表の少年が青年の頭を手を伸ばして撫でる。
「金烏さん達の気配は賑やかなので、よく見ると揺らぎが見えてきますよ」
悠抄の言葉の通り、彩藍が何もないはずの空間を睨みつけるように観察してみると、ごく微かに蜃気楼のような違和感を捉えることが出来た。
捉えることの出来た異変に、青年が声を上げる。
肩を揺すられた悠抄も少し集中したのち、のんびりと頷いて言葉をつないだ。
「影響が出ないように別の位相で結界を張られてますが、この気配だとのんびり暮らしているみたいですよ」
「いや、そんなそんな庭の鶏みたいなことってあるんですか?」
思わず脳裏に浮かぶ農家の庭先の風景に、生真面目の代表たる青年が頭を抱えて唸る。
しばしその姿勢を維持したのち、どうにか折り合いをつけたのか、気配に疲労を滲ませつつ面を持ち上げた。
「状況は分かりましたが、お話を伺った限りだと金烏様方は管理されていると言うより必要以外は放し飼いにされている状況ですよね」
神格のある鳥の状況説明としてはやや身も蓋もない事務官の表現ではある。
だが、あながち間違いとも言えないために残る三人が口を挟むことなく彩藍に先を続けるよう無言で促した。
「金烏様がお元気なのは何よりですが、さすがに羽根が抜け落ちても劣化しているのではないですかね?」
常識に基づく彩藍のもっともな疑問に、常識の外側に位置する三人と一匹が目線を合わせて首を傾げた。
誰がどう説明するか、人外連中で視線による無言の話し合いが行われる。
再度説明役を買って出ようする悠抄を羿が首を横に振って遮り、異形面少年の膝の上でくつろいでいたくろさんが伸ばした前足で天猫を軽く叩いて指名する。
指名を受けた猫面少年は面倒くさそうに頭を掻き、悠抄越しに彩藍を覗き込んだ。
「いいか、彩藍。金烏は確かに鳥頭だが、あれでも神格を持った存在だ」
簡潔に切り出した天猫の解説に、彩藍が姿勢を正して耳を傾ける。
「神格を持った存在の羽根が簡単に傷むなら、誰も苦労はしないだろう」
な? と締めくくる猫面少年曰くの事実のしょうもなさに、彩藍は仕切りを続ける気力を喪失して卓に突っ伏した。
不貞腐れる青年の脇を突いて生死の確認をする悠抄とくろさんに、指先で卓の表面を叩いた羿が注意を引きつける。
「太陽の欠片と言えど儂には不要なものだからな、欲しいなら好きに持って行けば良いが、あんな物を集めて何をするつもりだ?」
「もちろん、世のため人のために使うのです」
即答する悠抄だが、もちろん説得力のあろうはずもない。
身振り手振りを交えてひとしきり説明を聞き終えた羿が面白くなさそうに鼻から息を抜くと、安酒よろしく自らの手前の白湯を煽った。
「落魂の者の助けに人の世あらざる秘宝集めとは随分豪気な話だが、侘び暮らしを送る儂が力を添えてやる義理はないな」
わが身の不遇を理由に全面拒絶する英雄崩れに、復活した青年事務官が悠抄と天猫に非難の視線を向けるが、無自覚煽り存在二人組はどこ吹く風。
つい、と荒びた暮らし向きを押し出す室内を見渡した悠抄がことりと首を倒した。
「つかぬことをお聞きしますが、羿さんはご飯はどうされてます?」
唐突に話題を転換する悠抄の空気の読まなさに、呆れを覚えたのか彩藍が卓に右手をついて残る左手で方相氏面を覆った。
「いくら悠抄さんでもそれは失礼ですよ。必要もないのに他所様の生活を詮索するのは……」
優等生の真っ当な諌めを、迷惑自由の擬人化が指を立てて遮った。
「それがですね。必要も関係もあるのですよ。良いですか? 天の人達は地上の人達ほどではないですが、仙人さん達よりご飯を食べなければいけないのです」
ですよね? と首を傾げて見せると、質問の意図を掴みかねている表情ではあるが羿もしかと頷きを返す。
家主の肯定を受けた無遠慮の塊が得たりと偉そうに胸を張ると、くるりと回した指をそのまま窓の外に向ける。
「見ての通り、お外に食べるものはないのに、このお家の中には菜もあれば干し肉も卵もありますよね」
こまめに調達するほどまめではなさそうなのに不思議ですね、と上半身を揺らす問答無用に彩藍が止めようと手を伸ばしかけるも、天猫の咳払いにより阻止をされる。
「やもめと称したは貴様らであるに、儂が独りに慣れるを不思議がるのも理不尽だな」
「不思議は不思議ですよ。洗濯物を干した形跡もなく、おひげの手入れもままならないのにご飯は困らないなんてこの世の謎ですね」
「御老も儂を哀れに思し召しくださったと言ったはそちらであろう。ならば、仙の同情を得たとて不思議ではあるまい」
「あのな、仙人連中が得もなくそんな面倒な事をするとでも思うか?」
仙山の麓という立地を盾に生活の成立の反論を試みようとするも、天猫の仙人の生態に基づく指摘により、あえなく二の句を飲み込む羿である。
「仙と付き合いの浅い連中は何を夢見るか知らんが、あいつらは基本的に自分以外興味ないぞ。なぁ、彩藍もそう思うよな?」
「すみません、僕からはなんとも言えないので勘弁してください」
「ついでに言うとだな、大老爺は蟻が苦労して獲物を運んでいるのをご覧になっても、同じ温度で哀れと仰るぞ」
情容赦ない天猫の補足に、英雄は耳を塞ぎあらぬ方を見つめ、推測の実証を見つつある悠抄は楽しげに指で卓の表面を叩く。
「せっかくなので、もう一つ駄目出しの証明をしてあげましょう」
「よいわ。いくら証だてされようとわが身の不遇は変わらん」
これ以上突かれてはたまらんと先手を打つ英雄であるが、小型人でなしに通じるはずもなく、膝で寛ぐ神獣の上半身抱えた悠抄が、その前足を羿に突きつけた。
「類事例を直ぐ側で社会観察をした研究班の友達の曰くにですね、本当に奥さんや家族に逃げられたおじさんは、やさぐれてお酒で身を持ち崩す人が多いと」
「は? なんですか、唐突に」
「友達のお家の隣が羿さんの状況に似ていたそうなので、有意義に観察したそうです」
「理屈は分かりますが、何を迷惑行為をしているんですか」
類は友を呼ぶを地でいく悠抄の交友関係に、思わずと口を挟む彩藍だが、挟まれた側はだってと
「お茶の時間にお菓子も出ないのに、羿さんがやつれている様子はありません」
「悠抄さん、飲み物だけ応接にそこまで恨みを持たないでください」
そっぽを向く異形面の相棒の左手で、短く笑い声を零した天猫が立てた膝に行儀悪く顎を乗せた。
「悠抄の不機嫌はさておいてだな、妻に愛想を尽れて弟子に見限られた英雄が、妻の同類の仙の世話になるのはどういう了見だ?」
いつになく人の悪い猫面少年の物言いに弓聖が気圧されるが、両手で己が膝を叩くと、それがどうしたと胸を反らす。
「儂が嫦娥の世話になろうと仙の助けを得ようと、貴様らに何の関わりがある」
偽悪的とでも言おうか、歯を剥いて威嚇するような笑みを受けて彩藍が身を仰け反らせた。
「嫦娥は羽衣を仕立てたのに気が付かねば機嫌を損ね、弟子は僅かな上達でも褒めねば拗ねるのだ。その上で天帝の勅も無理難題とくれば、儂が拗ねたとて問題あるまいよ」
「うわ、図星をさされすぎてしまいには開き直りましたよ、この方」
卓にもたれ掛かり頬杖を付くという絵手本にでもなりそうなやさぐれ中年の姿に、彩藍が悠抄の陰に隠れる素振りを見せつつ呆れの声を発する。
「さぁ、認めてやったぞ。貴様らもこれで満足だろう。次は何とするのだ?」
「いえ、別に満足も何もないですよ? ぼくはただ、ご家族が心配してますよと言っているだけです」
虚勢にふんぞり返るやもめ英雄に、対する悠抄が不思議そうに首を傾げる。
歯に衣着せぬも程がある人外の言葉に、羿が二の句も継げずに鼻白む。
「あとは、こんな所に籠もっているので腐るのです。大老爺も哀れと仰っていたので、憂晴らしに勝負でもしましょう」
これで解決だ、と声を弾ませる迷惑に、猫面相棒と小型神獣が顔を見合わせて肩を落とした。




