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泰山庁幽鬼調査課  作者: 十弥彦
仮面編
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第三十六話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その二十八

「彩藍、勢いがあるのは良いがその辺は景色が歪んで見えるから、そのまま進むと危ないぞ」

 先行する青年とその先との双方に意識を配っていた天猫が緊張感を伴わない声で注意を発する。

 意図を読み損ねた彩藍が振り返ろうとした矢先、壁面と重量物が衝突したような音が荒涼たる山肌に響いた。

 強打した方相氏面とその中身たる顔を面越しに抑えて呻く彩藍を尻目に、ふむと小さく頷き歩み寄った悠抄が障害物のあるらしい空間に手を当てる。

「やっぱり結界が張ってありますねー。天の人の張ったものとしては、中々頑丈な物です」

 ぺたぺたと透明な壁に手をついて辺りを調べていた悠抄が、隔壁の頑丈さに素直に感心の声を上げる。

「符は見えませんが、気配からして五方向護身符ですかね。四獣を配し央に要たる住人を重しに置くので、術者がどなたでも引きこもりさんには最適ですね。あと、奥にもさらに結界の気配があるので、羿さんはご在宅です」

 柔らかく褒めてはいるが無邪気に止めを刺しにいっている悠抄に、青年が引き気味の視線を向けつつ懐から取り出した石玉が入った黒染めの繻子の巾着を取り出す。

「結界があると言う事は、もしかして早速いただいた石の出番ですか?」

 可及的速やかに貴重品からの解放を願う彩藍が、さぁどうぞと袋を差し伸べるが、悠抄と天猫は意味がわからないと揃って小首を傾げた。

「彩藍くん、大老爺からいただいた玉はおそらく使い切りなので、今使ってしまうともう一つの結界は自力で開ける事になりますよ?」

「で、ですが折角いただいたのに、今使わないとこの先使えるとは限らないですよね」

「お前、悠抄の説明を聞いていたか? 実物の見えない位置から符の種類が言いた当てられると言うことは解除も可能ということだ。それなのに、こんな外側で賜り物を使ってどうする」

 使わないことが申し訳ないと言うより、使うべきにふさわしからぬ場で使う方が礼を失しようと返す二人組の主張は、道理に敵うが青年の心情は考慮しない。

 彩藍の納得のいかない気配を感じ取ったのだろう悠抄が、良いですかと人差し指を立てて講釈を始める。

「前にも天猫がお話しましたけど、元々ぼく達は現世と理を別にする世界の存在なんですよ」

 悠抄の簡潔な説明を受け、天猫も軽く頷いてみせる。

「ぼく達は現世の序列に属さない存在ですが、仙境は現世の序列に従う空間です」

 基本的に束縛されることもないが、反対に言うと個人に伝手がない限りは便宜を図られることもないと続く言葉に、新人事務官が現場実動員の立場の難しさに押し黙る。

「問題は、俺達が真っ直ぐ突き進むと押し入りになるが、この世界の人物が介入することによって場が丸く収まるわけだ。だからこそ大老爺がお出ましくださったと言うことだ」

 天猫が再度引き受ける言葉の内容に説得力はあるが、独立独歩が過ぎる人物の片割れと思うと不思議に備わった説得力が霧散するような気がするのは、彩藍のせいではないだろう。

「ちなみに、おおじ様が来てくださらなかった場合は、どうされてましたか?」

 目眩を堪えながら仮定を提示する事務官に、調査官二人組が揃って首を傾げて見せる。

「もちろん、決まってますよ。いくら結界があろうとすべて撤去します」

「崑天の麓、弱水の畔は権力空白地帯だ。外野に文句を言われる筋合いはないな」

 何を当然のことをと一分の隙もない純粋な疑問を浮かべる悠抄と、これぞ逆転の発想と自賛に胸を張る天猫、そして次元を異にする思考の差に固まる彩藍の間を、風に吹かれたちぎれ枯れ草を追いかける小型神獣が走り抜けた。

 説得力減衰の幻視が現実であった事にひっそりと嘆く青年を放置し、悠抄が結界の検分を再開させる。

「多分、金烏さんがお勤めに行くための出入り口を作ったせいか、少しだけ綻びがあるので、そこから開けようと思えば開けられますが」

 そうは言うもののあまり乗り気でない様子の悠抄が異形面の額に人指を当て僅かに考えるふりをする。

 方向性が定まったのか、わずかな思考の後に左手を反対側の袖に差し入れて中から自らの上半身ほどもあろうかという額に縁取られた大きな板を引き抜く。

「悠抄さん、それって姫君の庵で使った符に似ていませんか?」

「はい、当たりです。あれは額入りの紙符ですが、これはぼくの彫った太上神仙鎮宅七十二霊符の板符です」

 きれいでしょう、と胸を張る悠抄に、精緻な彫り込みは事実なので青年が素直に首肯する。

「確かに綺麗ですけど、ここでその板符を出すには、それなりに意味があるわけですよね?」

「その通りです。面倒くさいですし、ここは手っ取り早くいこうかと思うのです」

 宣言するが早いか、振りかぶった鎮宅霊符の彫られた紫檀の板を勢いよく不可視の障壁に叩きつけた。

 玻璃の割れるが如く甲高い音を立てて砕け散る結界に、蛮行を間近で目撃した青年がなんとも言い難い微妙な視線を

「結界解除に物理ってどうかと思いますけど」

「何を言っているんだ、お前は。悠抄はちゃんと解術を使っていただろう」

「え? あの板符で殴ったから結界が砕けたわけですよね?」

 視覚情報をそのまま受け取る青年に、猫面少年が呆れを滲ませて沓で軽く小石を蹴る。

「空間障壁がそんなに簡単に破れる筈がないだろう。良いか、悠抄がやったのは簡単に言うと圧殺だ」

 相棒への呆れ半分で構成された天猫の要点解説に、彩藍がもう少し分かりやすくと注文をつける。

「大別すると結界には障壁を成すものと空間に作用するものがあってだな、悠抄のやったことは、要するにあいつが異物と認識する他人の障壁型結界に対して、ごく薄い聖域を内外に発生させることで押し潰したと言う無茶苦茶だ」

 相棒をして無茶と言わしめた理不尽の塊は、板符を軽く点検してしまい込むと、いざ進まんと仲間を促した。


 〜〜


 小型の問答無用の防御により障壁を乗り越えた三人と一匹が緩やかに坂を描く山肌を進むことしばし。

 灰色に彩られた世界の端に僅かな緑と水の青が現れ、目にも鮮やかな反転に彩藍が小走りで畔に近づいて水面を覗き込み、調査官少年組が急ぐでもなく後を追う。

「この川が弱水ですか。水は綺麗ですけど、魚もいなければ水草もないですね」

「彩藍くん、異境で水辺を覗き込むのはあまり感心しません。危ないですよー」

 およそ危機感と言うものに欠けた悠抄の警告に、一応は従うものの危険な要素は何か、と彩藍が警告者を見返した。

「危ない、ですか。見た限り何もないんですけどね」

「甘いですよ。人の世の山でも水場では野生の動物さんと遭遇することはあります。ましてやここは異境です。遥か遠くの異国では、水にしか見えない粘体の妖さんに人が食べられることもあると聞いたことがあります」

 妖の夕食候補に挙がる気なら止めないが、と括る人でなしの言葉に常識を弁える青年がそっと水辺から離れる。

「まぁ、弱水はそこまで危なくないけどな。精々が指先が触れただけでも引き揚げられずに沈んでいくしかなくなるくらいだ」

 小型神獣を抱っこする異形面の少年の脅しに相方が補足を入れるが、青年が安心できる材料は何一つとしてなかった。

 見てろ、と更紗の手布を取り出した天猫が水面に布を落とすと、手布は着水の瞬間にそのまま水に飲み込まれた。

「うぇ……、なんですか、今の。気持ち悪……」

「だから、前にも言っただろ。弱水は物の浮力をとる、って」

 天猫の解説の横で、説明の的確さに何故か悠抄が偉そうにふんぞり返った瞬間、刃物が風を切る音を猫面少年の耳が捉えた。

 間髪を入れず相棒の襟首を掴んで姿勢を崩させると、悠抄の仮面の鼻先を掠めた短剣が銀線を描き水面へと音もなく飲み込まれた。

「なんだか、梅花さんと会ったときにも似たような展開がありましたねー」

「投剣の勢いが違うがな。どうやら家主のご機嫌は斜めだが、射るほどではないらしい」

 声も出せず慌てふためく新人事務官を横目に、被害者未遂とその相棒がのんびりと状況を分析する。

「現世では投剣で挨拶するのが昨今の流行か知らないが、年端もいかない子供に投げつけるのは感心しないな」

 外見的には文句は出ないが、本質的には苦情しか出ないであろう非難を堂々と口にする猫面少年に、仲間のはずの青年があらぬ方を向いて全力で聞き流しを敢行する。

「表の気配が騒がしいので出てきてみれば、理外の存在が図々しいことだ」

 不毛の荒れ地を踏み現れた壮年の男性は不満も露わに一行に視線を走らせると、未だ猫よろしく首根っこを掴まれたままの悠抄を指さした。

「お前が儂に手紙を寄越した小僧か」

「はい、初めまして。幽鬼調査課の悠抄です」

 軽やかなお辞儀で良い子のお返事を披露する異形面の少年に、武名轟く弓聖がつまらなそうに手を振って見せた。

「泰山の役人が御大層なことよ」

「天の役人に役人呼ばわりされても、面白みはないな」

 売り言葉に買い言葉、傍若無人なら自らが売りと半歩進み出る天猫に、三歩下がった彩藍が冷たい目線を向ける。

「いや、お願いをしに来たのにいきなり喧嘩を売ってどうするんですか」

「わっぱ、よくぞ言った。地の底にも少しはまともな奴が居たか」

 思わずと口を挟んでしまった青年に武人は呵々大笑し、猫面少年は鼻で武人を嗤う。

「地底と別世の区別もつかないか。これだから天は仙より世間が見えていないと言われるんだが、まぁ新入りに庇われて喜んでいるようじゃぁ仕方ないな」

「ふん、弱いほどよく吠えよる。手紙にも射日の腕前に期待すると書いて寄越したくせに何を言うか」

 負けじとふんぞり返る英雄の言葉に、ん? と悠抄が疑問の声を上げる。

「羿さん羿さん。ぼくは信に金烏さんの羽根くださいとしか書いていないので、それは偽証ですよ」

 偽証はだめです、とのんびりと首を振る非常識に、英雄が意図を読み損ねて相貌から表情を消した。

「金烏の羽根を寄越せとは、要するに源たるその腕前を披露しろと言うことではないのか?」

 やや翳りを見せ始めた羿の自信に、さらに場から離れた彩藍が神獣と共に合掌をする。

「いいえー、読んで字の通り、たくさん蓄えられている羽根くださいの意味です。腕前はいらないです」

「いや、だから英雄は世に出てこそと、こんな所に籠るなと……」

「ぼくは金烏さんの羽根が貰えれば満足なので、羿さんの知名度も境遇も割とどうでもいいです」

「は?」

 念を押してどうでもいいと断じられた当人が、一つ息を吸い込んだあと眉を吊り上げて異形面の少年を睨めつける。

 角度によっては泣きが入っているようにも見えるが、言わぬが武人の情というところであろうか。

「お前も儂の名声を耳にしてきた口だろうに、どうでもいいとはどう言う了見だ?」

「ちょっと違います。信や先の言葉でもでお伝えしましたが、ぼくの欲しいのは金烏さんの羽根であって、羿さんはもふもふさんのついでですね」

 まずは飼い主に話を通すのが世の道理、と存在しない常識を高らかに押し出す非常識に、勢いに飲まれた羿が雷に打たれたかのようにたたらを踏む。

「いいですか、羿さん。天猫は喝を入れてやってくれと頼まれたと解釈しましたが、大老爺は裏口を作る道具をくれて哀れなので会ってやってくれ、と言っただけです」

 元々は善意の解釈発だから斟酌する必要は特段ないのだ、と胸を張る悠抄に、天猫は満足げに頷き、金烏の実質的飼い主かつ引きこもりたる羿が頭痛を感じで眉間を揉みほぐす。

「なら、せめて御老のご意向に沿おうとする努力ぐらいは見せてくれ」

 先までの威厳はどこへやら、哀愁漂わせる壮年男性に、えー、と万年子供が不満の声を上げる。

「面倒くさいので遠慮します。自発的解決は平和の一歩ですよ」

 この後に及んで渋るの悠抄の発言に、見兼ねた事務青年がおずおずと挙手をして発言許可を求めた。

「悠抄さん、そこはそれで、おおじ様の顔をありますし、表面的にも対応した方が良いですよ。それに、僕もお預かりした玉をどう使うのか見たいです」

「分かりました。では彩藍くんのご期待に応えて、大老爺のお力をお借りするとしますね」

 明るく元気に羿の苦情を受け止めた悠抄が固唾を飲んで見守る青年を手招きすると、繻子の小袋より取り出した石玉を次なる結界へと腕を伸ばして掲げるよう指示をする。

「やっぱり、お外の風は心の栄養ですよね」

 うきうきと宣う異形面に、彩藍が引き気味な雰囲気を醸し出しつつ悠抄の指示に従い掌に乗せた石玉を目線の高さに掲げると、一拍の間を置いて玉と結界が共振を始める。

 しばしの後、先とは違い空気の弾ける音と共に破裂した結界の消失を確認した悠抄が居住者と同行人を振り返り腰に手を当ててみせる。

「ご覧の通り、障害物は綺麗さっぱり消滅しましたので、安心してお話ができますよね?」

 可愛らしく小首を傾げる情無用の権化に、まさに鬼だ、と手から零れ落ちる石の欠片をそのままに青年が呟いたのは無理からぬことであった。

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