第三十八話 悠抄仮面の秘密を明かすの事 その三十
「あの、勝負なんて言っても盤遊戯の準備なんてありませんよ」
そっと耳打ちをして来る彩藍に、悠抄が少しの間不思議そうに見返すと、ことりと首を横に倒した。
「彩藍くんも参加したいんですか? でも、今は羿さんを伸すのが先なので我慢しましょうね」
不安を口にする青年の頭をいい子いい子と撫でる人型矛盾の仕草は一見穏やかであるが、その実言っている内容は穏やかさとはかけ離れていた。
「いや、そうじゃなくて、勝負と言っても道具がなければ始まらないと言っているんですよ」
「大丈夫ですよー。道具なら天猫が持っていますし、羿さんも自前のがあります」
ほらそこに、と気軽に悠抄が指し示す先には、侘び暮らしにあって尚手入れの行き届いた弓具の姿。
あまりに自然に示された羿の得意分野に、彩藍が数瞬動きを止める。
彩藍が一度顔ごと視線を反らした後に再度見直してみるが、残念ながら変わりなく鎮座する武具の姿に盛大に頭を掻きむしる。
「達人相手に弓勝負って、何を考えているんですかっ」
「何をもなにも、羿さんのための勝負なので、羿さんの得意分野に合わさせるのは当然です」
普段の理不尽さはどこへやら、余計な真っ当さを発揮する迷惑生物に、彩藍がずいっと顔を寄せた。
「天猫さんが負けるなんて思いたくありませんが、負けたらどうするおつもりですか?」
落ちぶれたりと言えど相手は弓聖の異名を取る人物だ、と無意識に無礼を働く青年に、悠抄が大丈夫と手を振って見せた。
「良いですか、彩藍くん。ぼくは羽根をくださいと羿さんに信でお知らせした上で、さっきも直接お願いしています」
いつものように立てた指を回す悠抄の切り出しに、不穏な予感を抱えつつも彩藍が彩藍がひとまずの理解を示す。
表面上の認識の相互理解を得た悠抄は気を良くして、つぃ、と羿を指差す。
「対して、羿さんは自分には不要なので好きに好きにしていい、と申し出てくれました」
微妙に方向性の変わった話題に、彩藍が僅かに斜め下を向いて悠抄の言葉を反芻する。
「契約の基本は相互承諾です。ぼくが認識した価値と要望を提示し、羿さんの良いよとの応答を以て契約は成立します」
淡々と自分にとっての事実を積み上げる悠抄に、積み上げられた言葉の高さに反比例して彩藍が頭を抱えて沈み込んだ。
「よって、契約の履行はぼくの義務です」
「いえ、それは詐欺です」
不均衡商法の鬼は大真面目に胸を張り、事務官は間髪おかずに否定を返す。
悪びれるという単語を当初から搭載していない悠抄の肩を、常識の砦の青年ががしりと掴んで前後に揺すった。
「分かっているんですか? もし負ければ、今までの苦労は水の泡ですよ!」
「心配ないですよー。負けなければ勝ちなので、天猫なら簡単です」
お気楽人でなしによる他力本願も甚だしい発言を、猫面相棒が仕方なさそうに肩を竦めて流した。
「すみません、天猫さん。悠抄さんがまた意味不明な事を言い出したんですが……」
どうにかしてください、と青年が匙を投げる。
救援要請を受けた天猫は、万物の元凶の後頭部を軽く小突いた。
「悠抄の説明不足は何時ものことだがな、彩藍も彩藍で頭が硬すぎるんだよ。物事の基準は一つじゃないだろ。だけどな……」
一度言葉を区切ると、そのまま腕を相棒の首に回して、戸口へと引き摺り進む。
「もちろん、人を巻き込む以上、自分も付き合うよなぁ?」
「えー、面倒くさいので、天猫がうまいことやってください」
言ってはみるものの抵抗も面倒くさいのか、なすがままに引き摺られる悠抄を、彩藍とくろさんが黙って見送った。
〜〜
「さて、まずは心意気やよし、と褒めてやるべきか」
羊角と竹を張り合わせた弓のしなりを確認していた羿が、対戦者を見ることもなくぽつりと言葉を零した。
自信すら通り過ぎた達人の勝利確定伝達に、一度空を見上げた天猫がゆるく首を振った。
「お前、あれだけやり込められていながら、悠抄のえげつなさにまだ気がついていないのか」
猫面少年が声音に哀れみを滲ませ、戸口で見守る彩藍がそっと手を合わせた。
なんとも言い難い空気が辺りを包む中、巨大化した狻猊を引き連れた悠抄がひょこりひょこりと現れた。
「お待たせしました。これからぼくがくろさんに乗って逃げ回るので、天猫と羿さんはくろさんが咥えた的を狙ってくださいねー。先に射抜いた方が勝ちです」
一見まともな勝負を持ちかける仮面の少年に羿が興醒めの表情を浮かべ、どうでもよさそうにあらぬ方に顔を向ける。
そして、悠抄は懐から何やら取り出して、とんと沓で地面を叩いた。
「あと、剪紙成兵で動物さん的を作ったので、たくさん当ててくださいねー」
言うが早いか、風に攫われた紙片が渦を巻き異形面の少年を取り囲み始める。
術者たる悠抄の意のままなのであろう、さまざま生き物の形を取った紙片が天地を問わず散っては集まる様は、まさしく縦横無尽である。
「それじゃぁ、はじめ……」
「させるかっ!」
開始を宣言する直前、先手必勝とばかりに天猫が悠抄目掛けて矢を放つが、間一髪で主を拾い上げた神獣により虚空に過ぎ去った。
「危ないですねー。狙うのは的ですよ、天猫」
軽やかな笑い声とともに空中に退避する変則存在に、天猫が鋭い舌打ちを響かせた。
「貴様、あれの相棒だろう」
「うるさい。あいつは先に消す」
暴挙に呆れる羿が苦言を呈するが、天猫は構うことなく矢を番えた。
第二矢を放とうとした瞬間、二人の間を白い線が割って入り、軽く鋭い衝突音を響かせた。
射手二人が振り返ると、地面に突き刺さる一羽の紙烏の姿。
「悠抄さん! いくらなんでも的役が攻撃は反則ですよ!」
「暇なので仕方ないのです。のんびりしていると、僕の一人勝ちですよー」
戦域外である戸口で喚き立てる彩藍と、堂々と間違えた主張を繰り広げる人でなし。
そして、紙に戻った烏は風に乗り術者のもとへと戻った。
「聞いたか? 悠抄はああいう奴だ」
軍勢は頭を潰すことこそ肝要と、こちらも間違えた解釈を繰り広げる猫面射手に、羿が疲れた表情で弦を引き絞ると、狙いも付けずに無造作に矢を手放した。
まさに飛び出そうとしていた紙もぐらを射止めた往年の英雄は、敵手を振返り肩を竦める。
「承知した。儂は周囲を掃除しつつあの的を狙えばいいわけだな」
「そうしてくれ。俺は俺であんたを邪魔しながらあいつを泣かす」
言い捨てると、蠢く紙もぐらに歩み寄り矢を引き抜く。
「射日の名を返す気なら、適当に手を抜けよ」
矢とともに放り投げられた言葉を受け取った羿は、一瞬虚を突かれた表情を晒すも、すぐに不敵な笑みで応じた。
〜〜
宣言前奇襲と的による洗礼という、穏やかならざる幕開けを見せた勝負は、まさしく乱戦の様相を見せた。
蛇が足元を掬いに来たかと思えば、寄り集まって巨大化した紙牛を盾に狻猊が並走する。
予測不能な軍勢を前に射手二人は時に協力をして諸悪の根源に狙いを付け、また他方で相手の照準をずらすべく互いに妨害を繰り広げる。
「調子悪そうだな、羿。音に聞こえた英雄も、寄る年並には勝てないか?」
「ぬかせ。永生は貴様らも変わりないだろう。理外に老いぼれ扱いされる覚えはないわ」
天猫の煽りに羿が軽口を返して矢を番えようとする。が、何を思ったか地を蹴り後方へと跳ぶ。
半瞬の後、壮年の英雄がいた場所を紙雀の連弾が叩いた。
寸刻ごとに攻守敵味方入れ替わる地上の様相を高みから把握していた悠抄は、ゆるく頭を振るとぽつりと零した。
「飽きましたね」
自らの上から響いた非情の一言に思わず動きを鈍らせた狻猊の鼻先を、二条の射線が通り抜ける。
慌てて一度距離を置いたくろさんの背中を、悠抄が優しく叩いた。
「くろさん、油断は駄目ですよ。あの二人相手には僅かな隙が命取りです」
常と変わらぬ温度の主の幼い声に、くろさんがか細い声で承諾の意を返す。
つい、と剣指を動かした悠抄が、羿の耳元で鶴を羽ばたかせ、天猫の足元に犬を纏わりつかせる。
危うげなく回避して反撃を加えてくる二人に、空中機動を繰り広げるくろさんの背中であぐらをかいた悠抄が天を仰ぐ。
「天猫と羿さんの動きは思ったより相性がいいですが、ちょっと集団戦闘に寄りすぎていますね。的確すぎて発想が面白くないです」
腕を組んで悩む悠抄の思考を乱すように不規則軌道で空を踏む神獣であるが、残念ながら効果の程は期待できそうにない。
迷惑の塊がちらりと視線を住戸の方に向けると、そこには手にを汗握り観戦をする事務青年の姿。
「このままだと彩藍くんも暇してしまうかもしれません。主催として何とかしないとですね」
ひとしきり思案した後、そうだと手を打つと、袖口より大判紙の巻物を取り出した。
広げてみせると、滝に吠える大虎が紺紙に金泥で生き生きと描かれていた。
「この絵から虎さんを呼び出して参加してもらうと賑やかになりますね」
これぞ名案と自賛する人型問答無用に、くろさんが目を剥き唸りと激しい首振りで反対の意を表する。
ついでに身動ぎも加えたことで、瀑布虎図が仮面少年の手より混迷極まる戦場へと滑り落ちて行った。
「あーあ……」
異変発生に対し即座に安全圏に離脱した神獣とは逆に、主は落下した掛け物に未練を垂らす。
騒がしい地上とは対照的に、空中の主従の間に微妙な沈黙が通り過ぎる。
「虎さんがいれば押し切れたのに、くろさんは反対ですか。そうですか。残念ですねー」
言葉の流れは軽いものの、神獣が尻尾を下げるのはいかなることか。
騎獣の必死な抵抗により暴挙を妨害された悠抄は体勢を正すと、ちぇー、と軽くぼやく。
「では、せめて華やかに締めますかね」
悠抄が指先で狻猊の背を叩くと、意を汲んだ紙猫が天猫の肩を蹴って中空へと躍り出た。
勢いそのまま羿にじゃれつこうとした紙猫により羿は視界を塞がれ、垣間見える向こう側では残る紙兵が渦巻く気配が英雄の肌を叩いた。
「我が弓を、見くびるな! 小僧!」
悠抄に通じるかすかな道を嗅ぎ取った羿の射手の本能により吸い込まれるように放たれた矢は、紙鷹の嘴を掠め、紙蝙蝠を巻き込み的へと突き立った。
一瞬の沈黙の後、一つ震えを見せた的は先までの混戦相応しからぬ高い音を立てて弾けとんだ。
「お見事。流石は羿さん、ぼくの完敗です」
空中からの高らかな悠抄の敗北宣言が地に降り注ぐ。
しばし隠し玉を警戒していた羿だが、他意はなしと判断した途端弓を放り投げて大の字に倒れ込む。
疲労困憊そのものの射手二人を祝福するように、桃花に変えられた紙片が周囲に舞い散った。




