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泰山庁幽鬼調査課  作者: 十弥彦
仮面編
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第三十四話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その二十六

 眼下には起伏に富む山野が広がり、頭上には青空に鳶が舞い、霊獣が瑞雲を踏むと言う霊験かつ壮大な光景。

 そして、巨大化した瑞獣の背に乗りて力なくへたる小さな人影二つと、しょうもなさそうに進行方向の障害物を確認する青年の姿。

「彩藍くん、ぼくは謎の病に冒されました。苦しくて動けないので、宝物集めは彩藍くんに任せます」

「悠抄さん、それは単に食べ過ぎと言うものです。謂わば、はっきりと自業自得ですよ」

 くろさんの柔らかな毛並みに埋まるようにくてりとうつ伏せて呻く悠抄に対して、訴えを向けられた青年が吹雪を纏うが如き冷静さで言葉を返す。

「そんなことはないのです。ぼくはあんまり食べていないので、やはり呪いか病なのです」

「何言っているんですか。あれだけの品数を食べればいくらなんでも小吃じゃ済みませんよ」

 自分でも胃が重いのに、子供体格の二人が平気なはずはないと断じる青年に、悠抄が尺取虫を連想させる動きで向きを変えて苦言から逃れようと無駄な努力を披露する。

 そして、尺取虫の傍らで同様に転がる猫面少年がよろよろと手を挙げる。

「彩藍、頼みがあるんだがな」

「あまり聞きたくないですけど、一応お伺いします」

「悪いが胃に響くから、少し黙っていてくれ」

 非の打ち所のない我儘な天猫の要望に、調査官付専属事務官が本格的な目眩を覚えて方相氏面の額に右手に人差し指を当てて苦悩する。

「いい機会です。お二人とも有給を含めた日常の生活態度について、少しお話をしましょう」

 姿勢を正し大きく深呼吸する事務官に、即席尺取虫が一匹から二匹に追加された。


 〜〜


 日常生活全般に始まり有給消化率の不振に至るまで滔々とした説教のあと、背中合わせでふてくされる調査官二人組の反省の色のなさに、ふかふかした天然絨毯に正座のまま腰に手を当てた彩藍が深々と溜め息を吐く。

「もういっそうの事、悠抄さんの術で食べ過ぎをなんとかすれば良いじゃないですか」

 ほぼ投げやりで構成された彩藍の提案は、分かっていないなと言わんばかりに緩やかに首を振る悠抄によって撃ち落とされた。

「良いですか、彩藍くん。世界を変質させる方法には法と術があるのですよ」

 何故か始まった談義に彩藍が関連性を問おうと口を開きかけるが、小柄な言い訳の権化が翳した手により遮られる。

「法とはですね、字のごとく世界を構成する法則に関与する技術を指します。これを扱うには世界を流れる力の流れを観測して、それを少し調整する事で現実を望むように改変します」

 要するに法とは調整力である、と続ける仮面少年に、疑問符を掲げたままの青年がひとまず頷いてみせる。

「対して術とは、世界を構築する理論を組み替える技術を指します。術で望む結果を得るためには、因果を逆算して顕現する現実に耐えられるだけの理屈を組み立てる必要があります」

 故に術の肝となるのは解析力である、と高尚に解説する悠抄に、暫時黙考した彩藍が再度目を眇めて解説愛好家を見やる。

「とどのつまり、今現在の食べ過ぎは問題でも何でもない、と言うことですか?」

「はい、なので術をもって消化不良を解消しようとするのは、非現実的なのです」

 詭弁極まりない悠抄の弁であるが、たちの悪い点は発言者に反省するつもりは欠片もない点であると言えよう。

「なんだか分かったような分からないようなですが、結論としてはどうなるんですか?」

「結論としてはだな、術は解析精度と出力を誤ると、下手すると臓腑ごと内容物が消失する」

 至極冷静に回答する天猫と、予想以上に論外な結論に狼狽える彩藍を悠抄が首を捻って観察をする。

 しばし思案に暮れていたかと思うと、両の手を打って曇りなく明るい声を発した。

「良い機会です。どうすれば上手くいくか、彩藍くんのお腹で試してみましょう」

「は?」

「お前、何を世迷言を言っているんだ?」

 流石に突拍子もなさすぎて相棒をして理解不能と言わしめるが、迷走する理不尽にはどこ吹く風。

「上手くいけば、画期的術が開発できますね。五行と陰陽で容態を安定させて、天眼通と天耳通で体内を把握させればいけると思います」

「そうだな、画期的な暗殺技術が完成するから、実行するなよ」

 両手を蠢かせる這い寄る混沌に彩藍は大きく後ずさりをし、天猫は相棒の仮面を抑えて物理的に留める。

「第一、消化不良には大人しくしているか、君子湯でも服用するのが一番手っ取り早いだろ」

「なるほど、それもその通りですね。天猫、後でお薬作ってください」

 相棒の現実的な助言のもと、あっさりと引き下がる悠抄に、魔の手から逃れ得た彩藍が大きく胸を撫で下ろと、喉元過ぎれば何とやらと再び好奇心を覗かせた。

「ところで、さっき悠抄さんが言っていたなんとか通と言うのは何なんですか?」

 意外と懲りると言う事をしない青年に足場たる神獣が呆れの唸り声を上げ、神獣と同意見の猫面少年がその背を軽くたたく。

 そして新たな火種を提供された薪ならぬ悠抄は腕を組んで天を仰いだ。

「天耳通と天眼通ですか。六神通の一で、簡単に言うと三世万物を自在とする法の一種です」

 薪の口にする概要は簡潔ではあるが、だからこそ簡単ではない。

 悠抄がいつものように人差し指を立てて説明の姿勢を見せると、要点を纏めるべくくるりと一周円を描いた。

「最初に、六神通とは輪廻の輪から抜け出すのに自分を知る為に得る六つに大別される神通力と呼ばれる超常の力ですね」

 ひとまず大まかな説明の流れを提示した悠抄であるが、何を思ったか指の動きを止めて首を傾げて見せる。

「ところで、彩藍くんは輪廻と言うものはどう言うものか知っていますか?」

「えっと、ざっくりとしか知りませんが、自分の死後別の物に生まれ変わることですよね」

 やや自信なさげな青年の回答であるが、出題者たる悠抄は満足げに大きく頷いて見せた。

「流石は彩藍くん。自分のと前置くところが素晴らしいですね。生き物は死後に次の階梯に進むための修行として別の生き物として生き直します。ただし、その生で自分が自分と認識できるとは限りません」

 人でない生き物になるのが嫌なのではなく、自分ではないものになるのが人は嫌なのだ、と続ける少年の言に、青年が腕を組み後ろへと流れ行く雲を眺める。

「輪廻の要点は少しだけ分かったような気にはなりましたが、神通力との関連はあるんですかね」

「今自分がどこに立っているかも分からなければ、これからどこに向かえば良いかも分かるはずがないだろ」

 彩藍の素朴な疑問に、天猫がまずは足元の神獣の背を指し、次いで進行方向である顔の向きに指を向ける。

「はい、天猫の言うとおりだとぼくは思います。神通力の行き着く先は、今自分がどこにいて、どちらに向かえば良いか知る為の方法を大きく分けることで、何をしたいのかに対応することだと思いますね」

 一度言葉を区切った悠抄が、特に自らの仮面の耳と目の部分を指で示す。

「中でも、天眼通と天耳通は目と耳とつくだけあって、基本的に外部を知覚するための超感覚なので、羅針盤としての活用は最適ですね」

 あとはですねー、と

「千里眼や順風耳とも似ていますが、こちらは飽くまでも術者の存在する現界での距離無制限ですが、天眼通と天耳通は界を隔てた事象を知ることもできますよー」

 有名な象徴的説話として、死後苦界に堕ちた母親を助け出すべく六神通を駆使して探し出す聖者の話がある、と例を挙げる悠抄に、彩藍がいまひとつ実感を得ないままに曖昧に頷く。

「なんだか凄そうですけど、悠抄さんの術では同じ事はできないんですか?」

「できますよー。ただ、術で再現しようとすると、星辰と因果を逆算して今世におけるお母さんの存在痕を特定したうえで、その残振の波動を多元宇宙から探し出して状況を把握するので、少しだけ時間がかかります」

 悠抄の言葉に気負いはない。が故に聞き手が覚えるべき違和感の手触りもない。

「やはり観測という点においては、自分と世界を見続けた法に一分の利はありますね」

 それではいざ実践、と人体実験に膝を進める少年だが、もう一つ告げるべき語を思い出し手を打ち鳴らした。

「神通は乗座教の尊者さん達の扱う法ですが、ぼくはあまり得意ではないんですよね」

 軽やかに白状する悠抄に一瞬言葉を聞き流しそうになる彩藍だが、聞き捨てならない内容に振り返って人型底なし理不尽の肩を掴んだ。

「ちょっと待ってください。苦手ってどういう事ですかっ」

「神通力とかの法の技術はその人の感性によるところが大きくてですね、ぼくはその辺苦手なんですよ。でも、摩訶陀の人達は得意な人が多くて、中でもまうどがりやーやなさんが神通第一で有名ですねー」

「そんなことはどうでも良いんですよ。僕の聞きたいのは、苦手なのに何故僕のお腹を実験台にしようとしたかと言う事ですっ」

 前後左右と少年を大きく揺さぶり詰問する彩藍に対し、悠抄が撹拌されながらも頓着せずうーんと思考を回す。

「何故と言われましても、彩藍くんが消化に悩んでいるからとしか答えがないですけどね」

 悠抄が何を今更と間違えた前提を回答すると、未だ興奮冷めやらない青年に一度落ち着けとぬるりと拘束を抜け出した。

「大丈夫ですよ。法に関してはぼくより天猫の方が得意なので、失敗してもなんとかしてくれますよ」

 ねー、と世の理不尽から同意を求められた猫面少年は、しょうもなさそうに肩を竦めさせる。

「俺も術畑で、法は悠抄より得意と言っても神足通だから、下手すると体ごと消えるがな」

 それでもよければやらなくもない、といつの間にやら彩藍が施術の被験者になる事前提で話をまとめ始める悠抄と天猫。

 事態の急展開に、理解が半歩遅れた哀れな被害者候補が目を白黒させている間に不幸の使者達が両側から肩を掴むが、折良くくろさんが甲高い咆哮を上げて注意を逸らした。

 現時点では唯一職務に忠実であった神獣に促された一同が前方に視線を向けると、遠くに見える深山と、その少し前に存在する空間の微かな歪み。

「おや、崑天の入口についてしまいましたね」

「仕方ない、残念だろうけど実験はまた今度付き合ってやるから、そう落ち込むな」

「誰が残念ですか。お二人とも覚えておいてください。後で絶対泣いてもらいますからね!」

 かくして仲間からもたらされた命の危機をからくも脱した彩藍は、着させられた恩を仇で返すことを固く誓うのであった。

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