あらためまして
頼りない室内灯の明かりのした、よつはと店主は手と手を重ねて並んで座っていた。ふたりとも前を向いているからお互いの顔は見えない。ことばもない。それなのに部屋はやさしい静けさで満ちていて、視界の端にうつる店主はやわらかい雰囲気をまとっている。
心地よい静けさだった。
けれど、静寂はいつまでも続かない。
ぴくり。重ねた店主の手がわずかに動いたのを感じて、よつはは顔をあげて彼の横顔を見た。
それと同時に、二階の部屋で騒ぐ声が聞こえる。どすん、ばたんとにぎやかな音にまじった花緑青や健太郎の声。扉越しなのだろう、言っている内容まではわからないが、声の調子からして何やら不満をもらしているようだ。
階段を降りる足音とともにだんだんと近づいてくるその声に、よつはが店主と重ねた手に視線を落としたとき、するりと店主の手が抜けていったかと思うと、よつはの手を捕まえて指を絡ませた。
「聞いてよ、よつは! なかばさんが扉の前に座って開かないようにしてくれたのよ、ひどいと思わな……」
階段を降り切った花緑青が言いかけたことばは尻すぼみになる。不機嫌顔を一気にゆるませた彼女の視線は、よつはと店主のつなぎあった手に向けられているのがわかる。
けれど、よつはは手を離さない。横目で見た店主も、真っ赤な顔をしながら手を離す気はないようだった。
「ほうほうほう〜」
妙な声をあげながらにまにまと笑う花緑青の後ろからやってきた健太郎はよほどしぼられたのだろう、しょぼくれた顔をしていたが、よつはたちの姿を見て破顔する。
「良かった! おれのせいでこじれたらどうしようって思ってたけど、その様子なら問題ないみたいだね」
むしろ今回の騒動のおかげで気持ちを伝えあえた部分もあると思ったけれど、胸がつぶれるほどに心配したのも事実だったから、健太郎のことばにはうすく笑って返すにとどめた。
代わりに、珠串の後ろから鼻先をのぞかせているなかばさんへの視線に感謝を込めておく。なかばさんは尻尾をふりふりとふって「わふ」と短く鳴いたけれど、よつはの気持ちが伝わっているのかどうかはわからなかった。
けれども、健太郎に対する複雑な思いは確実に届いていなかった。よつはのうす笑いに満面の笑みを返した健太郎が、ご機嫌で口を開く。
「ふたりの仲も進展したことだし。よつはちゃん、白寿堂に住まない?」
「……はい?」
思わず首をかしげたよつはは、悪くないはずだ。花緑青も珠串もなかばさんも、さらには横で顔を赤くしていた店主さえも同じように疑問符を浮かべて健太郎を見ている。
「いま庭に作ってるのは、離れというかおれの商品置き場なのよ。で、完成したらいま白寿堂の二階のひと部屋に押し込んである商品をそっくり移しちゃうから、部屋がひとつ空くわけね。それでその部屋によつはちゃん住まないかなあ、と」
だめかな、と笑顔で言う健太郎は、あっという間に珠串と花緑青に囲まれて「物事には順序というものがありまして。思いついたことを相談する、というのは大変重要なのですが、ご存知ありませんか?」「どうしてそう自分勝手に話を進めるのよ!」と叱られている。
けれどよつははそんなこと気にする余裕もなく、立ち上がる。返事はすでに決まっていた。
「住みます」
驚いたみんなの視線が自分に集まるのを感じながら、よつははきっぱりと言う。
「住みます。白寿堂に住みたいです。もっとここに居たい。彩さんのそばにいたいです。健太郎さん」
「あ、はい」
名を呼ばれた健太郎が目を丸くしたまま返事をして、ぴしりと背すじを伸ばす。
「いつから住めますか」
「ええと、離れの工事が終わって荷物を運び込んでからなので、九月のなかばかな?」
「荷物運び手伝いますから、九月はじめに終わらせましょう。家賃は、どれくらいを想定してますか」
「え、えっと、おれが居ない間の管理人って立場にするつもりなので、光熱費込みで三万くらい? でどうかな?」
しどろもどろ答える健太郎に、よつははこっくりうなずいた。
「ありがとうございます。ではその条件で。ちょっと失礼します」
ひとこと断ったよつはは、目をぱちくりさせる健太郎や圧倒されて黙っている周囲をよそに携帯電話を取り出し、電話をかける。相手はきっと居間にいたのだろう、すぐに応答があった。
「もしもし、母さん。よつはです。心配ごとが片付きました。それと九月に彩さんと同じ家に引っ越すので、あとで住所を送る」
『あら、さっそく同棲? そうよね、生活のあれこれがかみ合わなくてあとから別れるよりいいわよね」
『どっ!? 母さん、なにを言ってる! そんなこと許さないからな! うわっ、ちょっ、まだしゃべって!』
のはほんと言う母の声の後ろで騒いでいるのは、父だろう。受話器から離れて話しているだろうに、その声はよつはの耳にはっきりと届く。そんな父の声は不意に途切れて、遠ざかる。
『よつは、住所を教えるんだ。兄さんはよつはを心配させた不届き者……ごほん。その同棲やらをするという相手と語らねばならないことがある。なに、ちゃんと手土産は持って行こう。日本酒何本背負っていけば、一週間語り明せるかな」
代わりに、落ち着いた声で話し始めたのは兄だ。住所を教えたなら、いまから車を飛ばしてでも来るだろう。そういうひとだ。だから、よつはは住所ではなくて自分の気持ちを伝える。
「父さん、兄さん、よつはは帰る場所を決めました。彩さんのいるところです。お酒はなくてもいいから一度、彩さんに会いに来て。それじゃあ、母さん、また電話する」
「はいはい。詳しいことはまた今度ね。ときどきは帰ってくるのよ〜」
母の後ろでわあわあと声がしていたが、母は気にせず「じゃあね」と通話を切った。これで向こうは、今日のところは母に任せておけば大丈夫だろう。
携帯電話をポケットにしまってから、よつはは全員の顔が見える位置に立った。
「中紅よつはです。九月から白寿堂で暮らします。彩さんと、白寿堂のみんなといっしょに居たいので、引っ越してきます」
そこまで言ってみんなの顔を見回す。
珠串はおだやかな笑顔を浮かべてうなずいてくれた。花緑青は機嫌の良い猫のように目を細めて笑っている。なかばさんはやっぱり半分隠れながらも、尻尾をぱたぱたとふってくれている。健太郎は拍手をしながらなぜか涙をにじませており、あきれ顔の花緑青にティッシュを手渡されている。
そして店主、いや、彩はきらめく瞳にいろいろな感情をよぎらせながらも、まっすぐによつはを見つめていた。
「これからも、よろしくお願いします」
よつははひとつお辞儀をすると、湧きあがる思いに任せてにっこりと笑った。
〜彩の章 完〜
これにて本編は終了です。
あとちょびっと、こぼれ話が続きます。




