つながる縁
店主はよつはの持ってきたアルバイト募集のチラシを熱心に見つめている。
その様子をよつはがまじまじと見つめても、顔をあげもせずに紙ばかり見ている。横からの視線が気にならないというよりも、気づいていないのだろう。
あまりにも熱心に紙を見つめる店主にもう一度、問いかけるのもためらわれて戸惑っているよつはに、珠串が答えをくれた。
「慎太郎さんは、健太郎さんのおじいさまですね」
健太郎の祖父のことは、以前話したときにちらりと聞いたので、よつははふむふむ、とうなずいた。
すこし前に亡くなられたというおじいさん。健太郎から詳しく聞いてはいないが、どんなひとだったのだろう、というよつはの思いには、切なげに大切そうにそのひとの残した文字を見つめる店主の顔が答えをくれた。
「……そうか、慎太郎が縁をつないでくれたのか」
そっと、筆で書かれたおだやかな文字を店主がなぞる。きっとそのひとのことが大好きだったのだろう。笑顔とまではいかないが、いつもよりも表情がやわらかい。
珠串はそんな店主を見てふふっ、と笑いをこぼす。
「わたくしをこの店に招いたのも、慎太郎さんでした。はじめて白寿堂に来たときにお会いしたあなたは、慎太郎さんのうしろに隠れてらして」
「そんなことはもう、忘れた」
おだやかな顔を一瞬でしかめて、店主がむっすりと言う。けれどその顔にあるのは不機嫌ではないように感じられる。きっと、照れているのだろう。
「はじめて会ったときは店主さん、ちいさかったんですか?」
忘れるほど昔からいっしょにいるのだろうか、と思ってたずねれば、珠串はますます楽しげにしゃらしゃらと笑う。反対に、店主は苦いものを食べたような顔をして揺り椅子から降り、そそくさとこちらに背を向けて手近な棚をいじりだす。
店主のそんな反応に、珠串は気にするでもなく楽し気に言う。
「いえいえ、ほんの一年ほど前ですよ。忘れたというより、忘れてほしいだけでしょう」
「一年前ですか」
ちいさな店主ということばから、むっすりした幼児が老人の後ろに隠れながら顔を出すさまを思い描いていたよつはは、思わぬ情報におどろいた。
珠串はずいぶんとこの店になじんでいるし、店主も珠串を頼りにしているように思えるのに、ふたりの付き合いはそう長いものではないらしい。
「慎太郎さんも高齢でしたし、健太郎さんはまだお若いですからね。自分の体が動くうちに後を任せられるものを、ということでわたくしがこちらに来ることになりました」
「その前は、どこかほかのお店で働いてたんですか。一年やそこらにしては、あまりにもその姿がしっくりくるのですが」
いつもどおり作務衣に前掛けというスタイルを着こなしている珠串を見てたずねれば、にこやかにうなずいて返してくれる。
「ええ、よくおわかりになりましたね。こちらに来る前は、和菓子屋でお世話になっておりました」
「それは……きっと似合いますね」
築百年を超えているどっしりとした構えの日本家屋に、歴史を感じさせる重厚な木製の看板。縁台が置かれた軒先をくぐってガラスの引き戸をからりと開けた先で「いらっしゃいませ」とほほえむ珠串。
和菓子屋と珠串の組み合わせを想像したよつはは、その組み合わせの相性の良さに思わずうなずいた。
けれど珠串はしゃらしゃらと笑ってその想像を否定する。
「と申しましても、接客の仕事ではありませんが」
「それじゃあ、作るほうの」
よつはが言いかけたそのとき、家のどこかがきしりとちいさく鳴いて、くるりと振り向いた店主が口を開く。
「客が来る」
言うなり、店主は着流しの袖をひるがえして店の奥に消えていく。その背を追って、なかばさんも尻尾をふりふり歩いていった。
「お客さん、ですか?」
よつはがきょとりとつぶやくのと同時くらいに、玄関の戸がこんこんこん、と軽い音を立てて叩かれる。
「ごめんくださいよ」
続いて、くぐもった声が訪いを告げる。おどろいて店主の去ったほうを見るが、すでに姿はない。客が来たと告げるだけ告げて、店の奥に引っ込んでしまったらしい。
よつはが目をぱちくりさせながら珠串に視線を向けると、おだやかなほほえみが受け止めてくれた。
「お客さまだと言っておりましたから、お招きしても問題ないかたのようです。よつはさん、お客さまのご案内をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
珠串は飲み物を用意しに行ったのだろう。台所へと向かうのに返事をして、よつはは玄関へと歩きだす。
この店に通うようになって、はじめての客だ。この前やってきた福永は、客としてカウントする必要はないと礼華が言ってくれたから、今回が正真正銘、よつはの迎えるはじめての客だ。
玄関を目指しながら、よつはは服のすそや髪の毛に手をのばして、すこしでも身ぎれいに見えるようにと気を配る。心地よい緊張感に背筋をのばし、微笑むのは得意ではないがやわらかな表情になるように心がけて、玄関の取っ手に手をのばす。
「ただいま扉を開けます」
西洋風の造りをしているが、白寿堂の玄関扉は外開きだ。そこに立っているであろうお客さまにぶつけてしまわないよう声をかけながら、よつはは扉を押し開く。
わずかにできたすき間から入り込む外の光にすこしだけ目を細めながら、よつはは家鳴りのほかに物音は聞こえなかったのにどうして店主は来客がわかったのだろう、という疑問を胸のなかにそっとしまった。




