10、晴れてきらめく緑
かちゃり、陶器のたてるかすかな音がして顔をあげれば、湯飲みから立ち上る湯気の向こうに珠串の笑顔が見えた。
「話がまとまったようでしたら、一服されてはいかがですか」
「ありがとうございます」
盆に乗る湯飲みの数を見て、よつはは自分の首にしがみついたままの少女の背を軽くたたく。
けれど少女はますます腕の力を強くして、よつはの肩に顔をうずめる。顔を見られたくないのだろうか。わずかにのぞくちいさな耳が真っ赤に染まっていて、隠れた顔もきっと同じように赤いだろうことがうかがえた。
だからよつははすこし考えて、少女に声をかける。
「立つよ」
言ってから少女を抱えて立ち上がれば、その体の想像以上の軽さに驚いた。そしてよつはの腕のなかの少女もまた、驚いていた。
悲鳴こそあげなかったもののまだ赤みの残る顔をあげて、目も口も丸く開いてよつはを見つめている。その顔は、よつはが見たなかでいちばん年相応で、少女自身にも似合っているように思えた。
嫌がるようすはなかったのでそのまま抱き上げて、歩いてみると、ますますしっかりとくっついてくる。珠串が待つ縁台に座るころには、少女は口のはしをきゅうっと持ち上げていた。
「ねえ、よつは」
よつはのひざに乗った少女が機嫌良さそうによつはを呼ぶ。
「あたしはあなたのこと、よつはって呼ぶわ。よつははあたしのこと、なんて呼んでくれるの?」
きらきら光る少女のひとみを楽しんでいたよつはは、こてりと首をかしげる。
少女の名前を聞いた覚えがなかったからだ。
聞き逃していただろうか、とおろおろ視線をさまよわせていると、すこし離れたところで立ったまま湯呑みを傾けている珠串と目があった。
よつはの戸惑いを察したのだろうか、珠串はにこりとほほえんでこちらに向き直る。
「そのものに名はありません。椅子としての時を共に過ごしたひとはここに居りませんし、生じてからさほど時間も経っていないので、呼称を持たないのです。よつはさんさえ迷惑でなければ、名をつけてやると喜ぶでしょう」
「迷惑なはずないでしょう。あたしとよつははと・も・だ・ち! なのよ」
珠串のことばに即座に突っかかる少女だが、その顔は口調ほど怒ってはいない。むしろ得意げな表情で胸を張っているのがほほえましい。
「どんな名前がいい? 和風、西洋風、かわいいの、かっこいいの。希望があれば、がんばって応えたい」
「そうねぇ。落ち着いた、大人っぽいものがいいわ。よつはがきれいだと思う音だと、もっとうれしい」
「わかった。すぐには浮かばないから、良さそうな名前を調べてくる」
「待ってるわ」
要望を聞いてふんふんうなずいていると、ふと、よつはを見つめる少女の顔から笑顔が消えていることに気がついた。
どうしたのだろう、と緑の瞳を見つめ返せば、少女はためらいがちに口を開く。
「ねえ、よつは」
呼びかけた少女はすこし顔を伏せて、きれいな瞳にまつげの影を落とす。
「あのね、よつはは……これからもここに、来てくれる?」
「うん、来るよ」
不安げに問う少女によつはは、どうしてそんなことを? と首をかしげながら答える。
答えてもなお、少女の顔は晴れない。
「だって、だってね……よつは、さっきあたしがつくもがみだって聞いたとき、帰ろうとしたもの。不気味な椅子だと思われたんじゃないかって思って……」
少女の不安に、よつはは即座に首をふる。
「つくもがみ、ということばは聞いたことがあるけど、詳しく知らないから調べて来ようと思ってた。食べ物とか暮らし方がひとと違うのなら、どう付き合えばいいのか調べて来ようと思って」
つくもがみである少女に不快な思いや取り返しのつかないことをしてしまう前に、と思って行動しようとしたのだが、それが少女を不安にさせたのならよつはが悪い。
よつはは素直に頭を下げた。
「ことばが足りなかった。ごめんなさい」
「そう……だったの?」
「うん。これからもここで過ごすなら、つくもがみのこと知っておこうと思っただけ」
「そう、だったの……」
少女のつぶやきにこくりとうなずいて返せば、少女はほほをふくらませて腕を組む。
「もうっ、なんて紛らわしいの! だけど、もう来ないつもりでないなら、許してあげる!」
怒りながらもほほを染めて言う少女に珠串が笑い、しゃらしゃらとかすかな音が鳴る。
「調べに出向かれずとも、わたくしに聞いてくださればわかる範囲でお答えいたしますよ。そのものも成りたてとはいえつくもがみですから、扱いがわからなければ直接お訊ねください」
珠串のことばに、よつははぱちりとまばたきした。
わからないことを相手に直接たずねる。その手があったか、と何度もうなずいていたが、ふと浮かんだ考えにはた、と動きを止めた。
そして少女と顔を合わせる。
「これからもここに来たいけど、役立たずのアルバイトだからクビになるかもしれない。そのときは、客として遊びに来てもいいですか?」
後半は珠串へと向けて訊ねると、ナイスミドルは目尻のしわを深くしてほほ笑んだ。
「よつはさんは立派に仕事をされてます。じゅうぶん役に立っておりますとも。クビにするなんて、とんでもないことでございます」
「そうよ! よつはを要らないって言うわけないじゃない」
「でも、店主さんはダメだって言うかもしれない。まだ会ったことないから、わからない」
珠串と少女の弁に意を唱えたとき、がたがたと物音がした。この部屋のなかではない、どこか建物の奥のほうから聞こえたような気がする。
音のしたほうを向いていると、珠串も同じほうをちらりと見てから、よつはににっこり笑顔を見せてくれた。
「それはないでしょう。店主も間違いなく、よつはさんを気に入っておりますよ」
がたがたっ。さっきよりも大きな物音がしたけれど、珠串はそちらに目を向けない。いつもの笑顔のまま、かすかにしゃらりと音が鳴るだけ。
「あいつがなんて言ったって、気にしなくていいの。あたしが許すわ。だって、友だちだもの。よつは大好き!」
横目でじろりと音のしたほうを見た少女は、次の瞬間には弾けるような笑顔を浮かべて、よつはの首に抱きついた。
その途端、また屋敷の奥で物音がする。
けれど珠串も少女も気にも止めず、ステンドグラス越しの明かりが降り注ぐ室内はおだやかな空気が流れている。
楽しげなふたりに囲まれて、あれは少女が立てる音ではなかったのか、とよつはは首をかしげるのだった。
〜緑の章 完〜




