↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
馬車一台から始める異世界物流  作者: 甘藷屋


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/18

第9話 自分の馬車

第9話 自分の馬車


十五歳の春、俺は学校を卒業した。


九年間通った校舎を出ても、思っていたほど特別な感じはしなかった。先生から卒業を告げられ、何人かで写真の代わりに似顔絵を描いてもらい、最後に教室を片付けた。それだけだった。


「じゃあね、エリク」


校門の前でエレナが手を上げる。


「うん。また……って、次いつ会うんだ?」


言ってから気づいた。


今までは明日になれば学校で会えた。


でも、もう明日はない。


エレナも少しだけ変な顔をした。


「私、来月にはアルネスだから」


「そんなすぐ?」


「前から言ってたでしょ」


「聞いてたけど」


聞いていたのと、実際に行くのは違う。


エレナはそんな俺を見て笑った。


「何その顔」


「別に」


「寂しい?」


「まあ、ちょっと」


素直に言うと、今度は向こうが黙った。


「……そういうの普通に言うんだ」


「聞いたのそっちだろ」


「そうだけど」


エレナは鞄を持ち直した。


「エリクも運び屋始めるんでしょ?」


「そのつもり」


「じゃあアルネスにも来るじゃん」


「仕事があれば」


「なかったら作れば?」


簡単に言う。


俺が笑うと、エレナも笑った。


「じゃあ、そのうちね」


「うん。そのうち」


今度こそ手を振って別れた。


校門を出てしばらく歩いてから、一度だけ振り返った。


九年通った学校は、昨日までと何も変わらなかった。



家へ帰ると、感傷に浸る暇はなかった。


「着替えろ」


ガルドがいた。


「何でいるの?」


「馬車見るんだろ」


「今日?」


「嫌なら帰るぞ」


卒業祝いの一言くらいあってもいいと思う。


父を見ると、苦笑している。


「ガルド、朝から来てたよ」


「暇なの?」


「荷物持ってきたついでだ」


「それを暇って言うんじゃない?」


ガルドが嫌そうな顔をした。


結局、昼飯を食べる前に出ることになった。



馬車の持ち主は、ミレアから少し離れたところに住む運び屋だった。


名前はハイン。


年齢は父より少し上くらいに見える。庭先には荷馬車が二台置かれていて、そのうち一台はまだ新しい。


俺たちが見に来た古い方は、その奥にあった。


「これ」


ハインが顎で示した。


第一印象は、


古い。


だった。


板は色が抜け、側面には何かにぶつけた跡がある。鉄の金具にも錆が浮いている。


思わずガルドを見る。


「顔に出てんぞ」


「いや……」


「新品が欲しいなら帰れ」


ハインまで笑う。


近づいて荷台を見る。


汚れてはいるが、床板は思ったよりしっかりしている。一部だけ色の違う板があり、そこは後から交換したらしい。


「そこは去年張り替えた」


ハインが言った。


「車輪は?」


「右後ろは二年前。左は……ガルド、お前覚えてるか?」


「俺に聞くなよ」


「一緒に直しただろ」


「あれこれだったか?」


二人で車輪を見始めた。


俺は少し不安になった。


「大丈夫なの?」


ガルドが車輪を蹴る。


「走る」


「その言い方怖いんだけど」


「古い馬車なんてこんなもんだ。壊れたとこ直しながら使う」


ハインも頷いた。


「俺も去年まで普通に使ってたぞ。新しいの買ったから置いてるだけだ」


「何で新しいのに替えたの?」


「でかいの欲しくなった」


横にある新しい荷馬車を見る。


確かに一回り大きい。


荷物が増えたから替えたのだろう。


それなら、少し安心した。


ガルドは荷台の下へ潜り込んだり、車軸を触ったりしている。


俺も真似しようとしたら、


「邪魔」


と言われた。


仕方なく反対側へ回る。


雨除けを掛ける骨組みも残っている。後ろの板戸は少し歪んでいて、閉める時に持ち上げないと金具が入らなかった。


新品にはほど遠い。


でも、自分で使う馬車だと思って見ると、不思議とさっきより良く見えてくる。


「いくら?」


父が聞いた。


ハインが少し考える。


「銀貨十七」


「十五って言ってただろ」


ガルドが荷台の下から声を出した。


ハインが顔をしかめる。


「お前、本人の前で言うなよ」


「言ったのお前だろ」


「それはお前に売るならって話だ」


「俺が買ってこいつに売れば十五だな」


「面倒くせえことすんな」


俺は父を見る。


父は笑っているだけだった。


商人なのに交渉しないのかと思ったが、どうやらガルドに任せる気らしい。


結局、銀貨十五枚になった。


「ガキ相手に儲けても寝覚め悪いからな」


ハインはそう言ったが、ガルドは「最初からその値段だったくせに」と言っていた。


どちらが本当かは分からない。



問題は馬だった。


馬車だけあっても動かない。


ガルドが紹介してくれたのは、街外れの厩舎にいた栗毛の馬だった。


名前はまだない。


「こいつは?」


俺が近づくと、馬がこっちを見る。


耳が動いた。


「六歳。前は農家で荷車引いてた」


厩舎の主人が首筋を撫でる。


「気性は?」


ガルドが聞く。


「大人しい。速くはない」


「速さいらねえ」


「お前はな」


二人の話を聞きながら、俺は馬の顔を見る。


馬もこっちを見る。


鼻を近づけてきたので、手を出すと匂いを嗅がれた。


そのまま服まで嗅がれる。


「何か付いてる?」


「昼飯のパンじゃねえか」


ガルドに言われてポケットを探す。


少しだけ残っていた。


「やるなよ」


厩舎の主人に先に止められた。


「何で?」


「今やったら、お前見るたびに寄ってくるぞ」


パンをしまった。


馬が少し残念そうに見えた。


気のせいかもしれない。


実際に馬車へ繋ぎ、少し走らせてもらった。


俺が御者台へ座る。


手綱を握る。


今まで何度も触ったことはある。


ガルドの横で馬を動かしたこともある。


でも、自分が買うかもしれない馬を、自分が買う馬車に繋いで走らせるのは全然違った。


「前見ろ」


横からガルドに言われる。


「見てるよ」


「馬の尻見てたろ」


「ちょっとだけ」


「買う前から浮かれんな」


浮かれていた。


否定できない。


道を少し走り、曲がって戻る。


馬は素直だった。


急に止まることもない。


変な癖もなさそうだ。


「どう?」


厩舎へ戻ると父が聞いた。


「欲しい」


早かった。


父が笑う。


「値段聞いてから言いなさい」


銀貨二十一枚だった。


父が十九まで下げた。


そこはちゃんと商人だった。



家へ戻ってから、机の上に金を並べた。


俺が今まで貯めてきた金。


商会を手伝ってもらった分。


ガルドの仕事を手伝った分。


祝いでもらって、そのまま残していた分。


全部出した。


足りない。


当然だ。


馬車十五枚。


馬十九枚。


それだけで銀貨三十四枚。


縄や雨除けの補修、工具、飼料もいる。


父が向かいに座って数えていた。


「思ったより持ってたね」


「使ってないから」


「その歳ならもっと使っていいと思うけどなあ」


兄ならとっくに使っている気がする。


俺は黙って金を見る。


父が指で銀貨を一枚弾いた。


「足りない分、出そうか?」


「借りる?」


「いや」


父は首を振った。


「独立祝い」


俺は顔を上げた。


「全部は駄目だよ」


「全部じゃないよ。足りない分の一部」


母が横から口を挟む。


「一部?」


父が少し小さくなった。


「……少し多めの一部」


「ヨハン」


「だって最初は必要だろう?」


母はため息をついた。


止めるのかと思ったが、そうではなかった。


「最初から甘やかしすぎるなって言ってるの」


「分かってるよ」


本当に分かっているのか怪しい。


俺は二人を見る。


「ありがたいけど、自分でも払うよ」


「もちろん」


父はすぐに頷いた。


「だから祝いなんだよ。全部出したら意味ないだろ?」


そこはちゃんとしていた。


翌日、馬車と馬を正式に買った。



馬車を商会の裏へ持ってくると、兄が腕を組んで眺めた。


「思ってたよりボロいね」


「最初に言うことそれ?」


「でも悪くない」


兄が荷台へ乗る。


床を踏む。


「ここ直した方がいいんじゃない?」


「そこは俺も思ってた」


「ここも」


「そこも」


「じゃあ結構あるね」


言わないでほしい。


父は横で楽しそうにしている。


母は馬の方へ行き、何か話しかけていた。


「名前決めたの?」


母に聞かれる。


まだだった。


馬を見る。


栗毛。


大人しい。


少し食い意地が張っていそうだ。


「……あとで決める」


「今決めないんだ」


「適当につけたくない」


ガルドが後ろから来た。


「馬は名前より餌だぞ」


「分かってるよ」


「蹄も見ろ」


「分かってる」


「水――」


「分かってるって」


うるさい。


でも、少し嬉しかった。



夕方、商会の裏に馬車を置いた。


誰もいなくなってから、もう一度見に行った。


古い。


傷もある。


直したいところも多い。


それでも、俺の馬車だった。


前世では会社のトラックに乗っていた。


自分の車両ではない。


仕事が終われば鍵を返す。


今、目の前にあるものは違う。


これで仕事をする。


これで稼ぐ。


これで失敗もする。


荷台へ手を置く。


板は昼の熱を少しだけ残していた。


「よろしく」


誰もいないので、小さく言った。


馬が厩舎の方で鼻を鳴らした。


聞こえたわけではないと思う。


でも、それで十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。