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馬車一台から始める異世界物流  作者: 甘藷屋


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第10話 最初の仕事

第10話 最初の仕事


最初の仕事は、ベルナー商会の荷物だった。


特別な客ではない。


高価な品でもない。


麦とチーズ、それに革。


行き先は、ミレアから街道を進んだ先にある町の商会だった。


何度も見た荷物だ。


何度も行ったことのある場所だ。


だからこそ、朝から妙に緊張していた。


「縄、締めすぎじゃない?」


兄が言った。


俺は荷台の上で最後の結び目を確認する。


「緩いよりいいだろ」


「袋潰すなよ」


「分かってる」


「革、そっちでいいの?」


「いい」


「雨降ったら?」


「布掛ける」


兄が黙った。


まだ何か言いたそうだった。


「何?」


「いや。俺より細かいなと思って」


褒められている気がしない。


下では父が帳面を持っている。


今日は荷主だ。


昨日までの父親とは少し違う。


「麦六袋、チーズ二箱、革三束。受け取りはマルク商会。第三の鐘まで」


「分かった」


「受け取りの印をもらって帰ってくること。帰りは向こうで頼んである塩を積んでくる」


「塩?」


「うちの仕入れ」


兄が横から言う。


「忘れたら母さんが怒るやつ」


「忘れないよ」


母を見る。


本当に怒りそうだった。


父が帳面を閉じる。


「運賃は、これ」


紙を渡された。


見る。


思っていたより普通だった。


安くもない。


高くもない。


家族価格ではない。


「これでいいの?」


「安くしてほしかった?」


「逆」


父が少し笑う。


「仕事だからね」


その一言だけで、少し背筋が伸びた。



ガルドは来なかった。


昨日、「明日来る?」と聞いたら、


「何で俺が行くんだ」


と言われた。


「最初だし」


「だから何だ」


「心配じゃない?」


「お前が?」


少し考えてから、


「馬が心配だな」


と言われた。


腹が立った。


今朝も来ていない。


本当に来ないらしい。


ありがたいような、少し寂しいような。



馬を馬車へ繋ぐ。


結局、名前はロイにした。


特別な意味はない。


呼びやすかったからだ。


母には「ずいぶん悩んだ割に普通ね」と言われた。


放っておいてほしい。


「行くぞ、ロイ」


手綱を持つ。


ロイの耳が動いた。


馬車がゆっくり進む。


商会の裏口を出る。


父と母と兄が見ている。


少し恥ずかしい。


「いってらっしゃい」


母が言った。


「気をつけて」


父が続く。


兄だけは、


「塩!」


と叫んだ。


「分かってる!」


街角を曲がるまで笑い声が聞こえた。



ミレアの門を抜けた。


ここから先は街道だ。


今まで何度も通った道。


ガルドの荷台からも見た。


父と一緒にも通った。


でも、御者台から一人で見る景色は違った。


前に誰もいない。


横にもいない。


何かあれば、自分で止める。


自分で見る。


自分で決める。


そのことを考えた瞬間、急に手綱が重く感じた。


「……大丈夫」


誰に言ったのか分からない。


ロイは普通に歩いている。



最初の一時間くらいは、何も起きなかった。


むしろ何も起きなさすぎて落ち着かない。


車輪の音。


蹄の音。


革のきしむ音。


時々後ろを見る。


荷物は動いていない。


少し走ってまた見る。


変わらない。


さらに走る。


また見る。


三回目くらいで、自分でもやりすぎだと思った。


「ガルドに見られたら笑われるな」


ロイが耳を動かした。


「お前もそう思う?」


当然、返事はない。


昼前、水場で止めた。


ロイに水を飲ませる。


脚を見る。


蹄も見る。


荷台の縄を触る。


少し緩んでいた。


締め直す。


それだけで少し嬉しくなった。


前にガルドについて行った時、途中で縄を締め直していた。


あの時は横から見ていただけだった。


今は自分でやっている。


「よし」


声に出したところで、後ろから馬車が来た。


顔見知りの農夫だった。


「お、エリクじゃないか」


「こんにちは」


農夫は俺の馬車を見る。


次に俺を見る。


また馬車を見る。


「とうとう始めたのか」


「今日が最初」


「そりゃめでたいな」


止まる気はなかったらしく、そのまま通り過ぎていく。


「壊すなよー!」


余計な一言まで残していった。



目的の町へ着いたのは、第三の鐘より少し前だった。


門を抜け、マルク商会へ向かう。


道は知っている。


そのはずだった。


「あれ?」


一本曲がる場所を間違えた。


似たような通りが多い。


引き返す。


後ろから来た荷車に道を譲る。


また進む。


焦るほどではない。


でも、恥ずかしい。


誰も俺が道を間違えたことなんて知らないのに、なぜか周りの人全員に見られている気がした。


ようやく商会が見えた時には、ほっとした。



店の前へ馬車を寄せる。


中から男が出てきた。


何度か父と来た時に見たことがある。


「ベルナー商会です」


言ってから少し違和感があった。


俺はベルナー商会の人間ではない。


いや、家族ではあるけど。


男は気にしていない。


「荷物?」


「はい。麦六、チーズ二、革三です」


「ヨハンさんは?」


「今日は俺だけです」


「へえ」


男が俺を見る。


頭から足まで。


ちょっと長い。


「運び屋始めたって話、本当だったんだな」


「今日から」


「今日?」


「最初の仕事です」


余計なこと言ったかもしれない。


男が笑った。


「じゃあうちが一番か」


「そうなります」


「壊してないだろうな」


冗談だと思う。


多分。


「確認してください」


自分でも少し固い返事になった。


荷台を開ける。


男と一緒に数える。


麦。


チーズ。


革。


全部ある。


壊れていない。


汚れてもいない。


それだけなのに、胸の奥が少し軽くなる。


「問題なし」


男が受け取りの印を押す。


その紙を受け取った。


俺の最初の配達は、それで終わった。



……と思ったら終わらなかった。


「塩、聞いてる?」


「はい」


「裏にあるから回って」


馬車を裏へ移動する。


そこには塩袋が五つ積んであった。


思っていたより多い。


「これ全部?」


「全部」


持つ。


重い。


一袋。


二袋。


三袋。


四袋目で腕が嫌になった。


五袋目を持ち上げたところで、店の男が言う。


「手伝おうか?」


一瞬迷った。


「お願いします」


無理をする意味はない。


二人で積んだ。


全部載せ終わった時、男が笑う。


「最初から頼めばいいのに」


「いけると思ったんです」


「若いな」


中身は若くない。


でも体は十五歳だ。


そこは認めるしかなかった。



帰り道は、行きより気が楽だった。


荷物はある。


でも、一度届け終わった安心感がある。


手綱にも少し慣れた。


ロイも朝より俺を気にしなくなった気がする。


途中で休ませる。


縄を見る。


水を飲ませる。


自分もパンを食べる。


何も特別なことは起きない。


それがありがたかった。



ミレアへ戻ったのは夕方より少し前だった。


門が見えた瞬間、変な気分になった。


朝もここを通った。


たった一日。


それなのに、少しだけ違って見える。


商会の裏へ回る。


兄が先に気づいた。


「帰った!」


中へ向かって叫ぶ。


すぐ父も出てきた。


母まで来た。


「ただいま」


馬車を止める。


兄が荷台を見る。


「塩ある」


「あるよ」


「忘れてない」


「忘れないって言っただろ」


母はロイの方へ行った。


「この子は大丈夫?」


「俺より元気」


「でしょうね」


ひどい。


父はそんなやり取りを横で見ながら、俺へ手を出した。


「受け取り」


紙を渡す。


父が確認する。


印を見る。


それから一度だけ頷いた。


「じゃあ荷物降ろそうか」


それだけだった。


もっと何か言うのかと思った。


でも、仕事ならそれでいいのかもしれない。



塩を降ろし終わる。


腕が重い。


腰も少し痛い。


ロイの馬具を外す。


水を飲ませる。


餌を用意する。


馬車の車輪も見る。


最後に荷台を掃く。


全部終わった時には、すっかり疲れていた。


「エリク」


父に呼ばれた。


振り返ると、小さな袋を投げてくる。


受け取る。


中で硬い音がした。


「今日の運賃」


分かっていたはずなのに、一瞬言葉が出なかった。


ガルドから給料をもらった時とは違う。


これは俺が受けた仕事の金だ。


馬車を用意した。


馬を動かした。


荷物を積んだ。


届けた。


戻ってきた。


その全部に払われた金。


「数えないの?」


兄が覗き込んでくる。


「あとで」


「今数えればいいじゃん」


「あとでいい」


兄が不思議そうな顔をした。



夕食の後、自分の部屋で袋を開けた。


机の上へ硬貨を並べる。


そこから今日使った分を考える。


ロイの餌。


途中で使った細かい費用。


馬車だって直せば金がかかる。


全部が俺の小遣いになるわけではない。


当たり前だ。


それでも、少しだけ笑った。


前世でも給料は何度も受け取った。


何十年も働いた。


でも、自分で受けた仕事の売上を、自分の机で数えるのは初めてだった。


硬貨を袋へ戻す。


明日も仕事があるわけではない。


父が毎日荷物を回してくれるとも限らない。


今日はただの一便だ。


それでも。


明日の朝も、馬車を見に行こうと思った。

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