第5話 手伝いから仕事へ
第5話 手伝いから仕事へ
十歳を過ぎる頃には、俺もベルナー商会でそれなりに仕事を任されるようになっていた。
もちろん大人と同じことができるわけではない。
重い袋は無理だし、大きな取引に口を出すこともない。
でも、荷物の数を確認したり、倉庫から商品を探したり、簡単な記録を書いたりするくらいならできる。
「エリク、干し肉見てきて」
店の奥から父に呼ばれた。
「どれ?」
「奥の棚。昨日の残り、三十のはず」
「三十ね」
「たぶん」
「たぶん?」
父は帳面を見た。
「三十」
今の間は何だったんだ。
倉庫へ入る。
干し肉の包みを数える。
一、二、三。
途中で一度分からなくなって、最初からやり直した。
二十八。
もう一回。
二十八。
店へ戻る。
「二十八しかない」
「ん?」
父が顔を上げる。
「三十じゃないよ」
帳面をめくる。
そこへ兄が来た。
「あ」
嫌な「あ」だった。
「何?」
「昨日、二つ出した」
父がゆっくり兄を見る。
「書いた?」
「……書いてない」
「アルト」
「忘れてた」
「忘れたら分からなくなるだろ」
「ごめん」
父は怒鳴らなかった。
その代わり、ため息が長かった。
「次からちゃんと書いて」
「はい」
兄は素直に頷く。
俺は帳面を覗いた。
紙に書くのは店の中だけだ。
倉庫で出した時に忘れれば、そのまま抜ける。
「兄さん」
「何?」
「出した時、棚の横に印付けたら?」
「印?」
「一個出したら一本」
倉庫の壁に掛かっている紙を指す。
「五本でまとめたら数えやすいし」
兄が紙を見る。
「それ、帳面と二回書くことにならない?」
「なる」
「面倒じゃない?」
それもそうだ。
すぐに否定できなかった。
父が横から言う。
「でも忘れるよりはいいかもね」
「父さん絶対途中でやらなくなるだろ」
兄に言われ、父が黙った。
否定しない。
「俺がやるならいいよ」
兄はそう言って、紙を一枚持って倉庫へ向かった。
その日から、本当に続くかどうかは分からなかった。
数日後に見た時は、ちゃんと線が増えていた。
さらに数日後。
一箇所だけ書き忘れていた。
「兄さん」
「分かってる」
「まだ何も言ってない」
「顔で分かる」
完璧ではないらしい。
でも、前よりは数が合うようになった。
倉庫の仕事をする時間も増えた。
物を探す。
運ぶ。
片付ける。
戻す。
単純な作業ほど、置き方が悪いと面倒になる。
「これどこ?」
新しく入った箱を持って聞くと、兄が倉庫の奥を指した。
「空いてるとこ」
「どこでも?」
「邪魔にならなければ」
言われた通り置こうとした。
でも、その場所には数日後に出す予定の袋がある。
そこへ箱を置くと、また出す時に動かさないといけない。
俺は少し手前へ置いた。
「そこにするの?」
「こっちの方が後で楽そう」
「じゃあそこ」
兄はあっさりしていた。
別の日には、同じ商品が倉庫の両端に置かれていた。
探すのに時間がかかる。
まとめておいた方がいい。
そう思って少しずつ動かした。
全部を変えたわけではない。
勝手に動かすと、今度は他の人が分からなくなる。
そこは母に一度注意された。
「エリク」
「何?」
「良くしようとするのはいいけど、誰にも言わずに場所変えないで」
「分かった」
「昨日、あなたのお父さんがずっと探してたから」
父を見る。
「見つかったよ」
「どれくらい探したの?」
「そんなに」
母が横から言う。
「半刻」
「結構探してるじゃん」
父は何も言わなかった。
それからは、動かす前に誰かへ言うようにした。
仕事を手伝っていると、出入りする運び屋とも自然に話すようになった。
ガルドが来る日は分かりやすい。
馬車の音がしても、店の人間が誰も慌てない。
もう慣れているからだ。
「今日はどこ?」
俺が聞く。
「アルネス」
「何積むの?」
「見りゃ分かる」
「またそれ?」
「毎回聞くからだ」
荷台には小麦と革、それにチーズの箱が積まれている。
ガルドは縄を締める。
俺は反対側から荷物を見る。
「帰りは?」
「知らん」
「まだ決まってない?」
「決まってたら楽だな」
ガルドは縄を引いた。
軋む音がする。
「向こうで探すの?」
「時間あればな」
「なかったら?」
「帰る」
短い。
「空で?」
ガルドが手を止めた。
「エリク」
「何?」
「俺は今、仕事してんだ」
「うん」
「見て分からんか?」
「分かる」
「ならあとにしろ」
怒られた。
少し離れる。
父が店の中から笑っている。
「何?」
「いや。ガルドにそこまで聞けるのエリクくらいだなと思って」
「父さんは聞かないの?」
「必要な時は聞くよ」
「帰り荷とか」
「そこはガルドの仕事だし」
父にとってはそういう感覚らしい。
その日の夕方、ガルドが戻ってきた。
荷台には布の包みがいくつか載っていた。
「今日はあった」
俺が言う。
「何が」
「帰りの荷物」
「見りゃ分かる」
やっぱりそれだった。
「誰の?」
「知らん」
「知らないの?」
「知らなくても運べる」
言われてみればそうだ。
荷主と届け先が分かれば、それで仕事にはなる。
「行く前に決まってた?」
「いや」
「じゃあ向こうで?」
「そうだ」
ガルドは荷札を確認する。
俺は荷台を見る。
「毎回見つかる?」
「見つからん時もある」
「どうやって探すの?」
「知ってる店回る」
「全部?」
「全部回ってたら日が暮れる」
そこで会話は終わった。
ガルドは荷物を降ろし始めた。
俺も手伝う。
軽い包みなら持てる。
二つ目を運んだところで、ふと思った。
アルネスに行く前から、帰りの荷物が分かれば楽なのではないか。
「手紙で聞けばいいのに」
何気なく言った。
ガルドがこっちを見る。
「誰が持ってく?」
止まった。
父も少し笑った。
「それはそうだね」
言われてみれば、その通りだった。
手紙を届けるにも人が要る。
荷物があるか聞くためだけに、先に誰かが行かなければならない。
俺は包みを抱えたまま黙った。
「重いなら置け」
ガルドに言われる。
「重くない」
「なら運べ」
考えるのは後になった。
少し経って、父と一緒に近くの取引先へ行くことになった。
仕入れの話をするらしい。
荷馬車の横に座る。
街を出る。
幹線街道へ入ると、思っていたより馬車が多かった。
農家の荷車。
商人の馬車。
旅人。
兵士らしい集団。
石の敷かれた道を、車輪がごとごと鳴らしている。
乗っているだけでも結構揺れる。
何度か身体が浮いた。
「痛っ」
父がこっちを見る。
「大丈夫?」
「尻が痛い」
「最初はそうなるよ」
「父さんは?」
「慣れた」
本当かと思って見たら、父も少し座り直していた。
たぶん痛い。
しばらく進むと、前に止まっている馬車が見えた。
男が車輪のところにしゃがんでいる。
こちらの御者が速度を落とした。
「どうした?」
「金具が緩んだ」
男は工具を持っている。
手は真っ黒だった。
「手伝うか?」
「いらん。もう終わる」
それだけだった。
こちらも長く止まらず、また走り出す。
俺は後ろを見る。
男はまだ車輪を触っていた。
「よく壊れるの?」
「たまにね」
父が答える。
「壊れたら?」
「直せるなら直す」
「無理なら?」
「近くの町まで行くか、誰かに頼むか」
「迎えに来る人とかいないの?」
「いないよ」
父は普通に言った。
俺だけがもう一度後ろを見る。
馬車は見えなくなっていた。
前世なら電話一本で誰かを呼べた。
ここでは、そうはいかない。
道を知っていること。
近くに何があるか知っていること。
そういうのも仕事のうちなんだろう。
取引先へ着く頃には、尻より腰の方が痛くなっていた。
父は商談へ行く。
俺は外で待つ。
暇だった。
馬を見る。
馬車を見る。
また馬を見る。
途中で眠くなった。
壁にもたれていると、父が戻ってきた。
「寝てた?」
「寝てない」
「目閉じてたよ」
「休んでた」
「それ寝てたって言うんじゃない?」
言い返せなかった。
帰り道。
夕方の光が街道を横から照らしていた。
行きより馬車が少ない。
風も少し冷たい。
俺は荷台の端に座り、ぼんやり道を見ていた。
商会の仕事は嫌いじゃない。
むしろ面白い。
何が売れるか。
どこから買うか。
誰に売るか。
そういう話も前より分かるようになった。
でも、気づくと見ているのは商品より馬車だった。
荷物が入ってくれば、誰が持ってきたのかが気になる。
出ていけば、どこまで行くのかが気になる。
帳面を見ても、売値より運び賃の方へ目が行くことがある。
たぶん。
前世から、そこはあまり変わっていない。
「父さん」
「ん?」
「俺、商会継がないよね」
「アルトがいるからね」
あっさりしている。
「エリクが継ぎたいなら兄弟で相談してもらうけど」
「いや、それはいい」
「そう?」
父はそれ以上聞かなかった。
俺も何も言わなかった。
まだ十歳だ。
馬もない。
馬車もない。
金もない。
何かを始められる歳でもない。
でも、将来何をしたいかと聞かれたら。
少し前よりは、答えに近づいていた。
ミレアへ戻る頃には、もう空が赤かった。
門をくぐる。
見慣れた街並みが出てくる。
店へ戻ったところでガルドの馬車が止まっていた。
本人は荷台の上にいる。
「どこ行ってた」
向こうから聞かれた。
「仕入れ」
「そうか」
それだけ。
「ガルドは?」
「仕事」
「どこまで?」
ガルドが俺を見る。
「帰ってきたばっかりなんだから休ませろ」
父が横で笑った。
「エリク、また明日聞きな」
「明日いる?」
「知らん」
ガルドが答える。
馬が鼻を鳴らした。
俺はその横を通りながら、もう一度荷台を見た。
やっぱり、こっちの方が気になった。




