シーン7:空白の玉座と、完成された箱庭(モブライフ)
王都の地下深くに存在する、銀花銀行本部の『円卓の間』。
かつては数々の陰謀と、世界を揺るがすえげつない金融魔術が練り上げられてきたこの秘密の会議室に、今日は異様なほどの重苦しい沈黙が降りていた。
円卓を囲むのは、副頭取のベルノ、暗部統括のガストン、情報と貴族令嬢を束ねるマダム・セリア、物流の要であるバルト。そして新入りの市場監視特別顧問ユリアン。
世界経済を裏で操る最高幹部たちが、皆一様に血の気を引かせ、脂汗を流している。
「……皆さんに集まってもらったのは、他でもありません。我が銀花会議における、未曾有の『異常事態』についてです」
ベルノが銀縁眼鏡の奥の目を鋭く光らせ、重々しく口を開いた。
「また西の帝国でクーデターか!? それとも南の海竜が牛肉の質に文句を言ってきたのか!?」
ガストンが身を乗り出して叫ぶ。
「……いいえ。もしそうなら、どれほど気が楽だったか」
ベルノは絶望的な声で首を横に振り、円卓の中央に最新の『統合収支報告書』を叩きつけた。
「この一週間……会長から、我々に『たったの一度も指示が下っていない』のです」
「「「なっ……!?」」」
幹部たちが一斉に息を呑み、そして戦慄した。
「そ、それは……つまり、会長のご機嫌を損ねるような大失態を我々が犯してしまい、見限られたということですか!?」
バルトが顔面を蒼白にさせる。
「いえ、違うわ。……これを見て」
セリアが報告書をパラパラと捲り、震える指で最終ページの数字を指し示した。
「東の軍閥からの物流網は一切の遅滞なく稼働。西の大帝国からの利子収入は過去最高を更新。北の宗教国家における証券化された信仰システムは完璧に安定。そして南の海では、海竜たちによる護衛と保険プールが莫大な純利益を叩き出しているわ」
セリアは信じられないものを見るような目で、誰も座っていない『円卓の最奥の席(空白の玉座)』を見つめた。
「世界中のどの国家も、どの市場も……『完全に』私たちのシステムの内側で、寸分の狂いもなく平和に回り続けている。会長が指一本、口先一つ動かさなくても、毎秒ごとに天文学的な富が自動的にこの金庫に吸い込まれてきているのよ」
「……」
その事実に、会議室にいた全員が沈黙した。
今まで彼らは、次々と降りかかる世界の危機や理不尽を、彼女の規格外の悪魔的発想(金融魔術)で乗り越えてきた。だからこそ、「何事も起きない平和な世界」が、逆に恐ろしくて仕方がなかったのだ。
「……あの、すいません。俺、新入りなんでよく分からないんですが」
空気に耐えきれなくなったユリアンが、恐る恐る手を挙げた。
「それってつまり、会長の目標だった『完全な不労所得システム』が完成したってことですよね? だったら、会長が何も指示を出さないのは、単に……『本気で昼寝っているだけ』なんじゃないですか?」
「「「…………あ」」」
天才相場師の極めて論理的かつ常識的な指摘に、幹部たちは雷に打たれたように固まった。
「そ、そうか……。我々は会長の深謀遠慮に怯えるあまり、彼女の『究極の目的』を失念していた……!」
ベルノがハッと気づき、安堵と、それ以上の深い畏敬の念を込めて天を仰いだ。
「剣も、魔法も、神の奇跡も、大自然の猛威すらも。全てを『経済』というルールで縛り付け、完全にコントロール可能な『箱庭』を作り上げてしまった。……そしてご自身は、その箱庭の中心で、ただ無害なモブ令嬢として微睡んでいる」
「ガハハハッ! さすがは俺たちの会長だ! 世界の覇王になっても、一番やりたいことが『昼寝』たぁ、底知れねえにも程があるぜ!!」
ガストンが腹を抱えて大笑いする。
彼らの見つめる空白の玉座には、見えざる手で世界を統べる、小さくて恐ろしい主の気配だけが、絶対的な安心感と共に満ちていた。
***
同時刻。
王立アークレイン学園の、誰も来ない日当たりの良い中庭の奥。
「……すぅ、すぅ……」
私はふかふかの芝生の上にピクニックシートを広げ、完全な熟睡モードに入っていた。
ポカポカとした秋の陽射し。遠くから聞こえる平和な小鳥のさえずり。私のお腹の上では、スライムのルンが同じようなリズムで寝息を立てている。
夢の中で、私は黄金の海を泳いでいた。
右を見れば山積みの金貨。左を見れば分厚い札束。それらは全て、私が作った完璧なシステム(働き蟻たち)が、文句一つ言わずに今日もせっせと運んできてくれたものだ。
(んふふ……もう、誰も私を脅かさない……。お肉もケーキも、一生食べ放題……最高……)
寝言をむにゃむにゃと呟きながら、私は寝返りを打った。
世界を変えるつもりなんて、最初は微塵もなかった。
ただ、没落寸前の実家を救って、安全で美味しいご飯を食べたかっただけ。
そのための少しの工夫と、前世の知識(資本主義のルール)をほんの少しだけ使った結果が、この圧倒的で完全無欠な『モブライフ』だ。
世界は今、見えざる手によって優しく、そして冷酷に管理されている。
私はこれからも、この学園の片隅で、ただの目立たない令嬢として、誰にも気づかれることなく平和に微睡み続けるだろう。
「……むにゃ、次は……雪見だいふくが、食べたいわね……」
究極の怠惰を手に入れた悪魔的金融覇王の、誰にも邪魔されない至福の昼休みは、これからも永遠に続いていく。
――見えざる手で世界を支配するモブ令嬢の、えげつなくも平和な経済無双・完――




