シーン6:最強の護衛艦隊と、海を越えるモブ令嬢の昼休み
海人族との劇的な『再保険契約』から数週間。
王立アークレイン学園の裏庭は、赤や黄色に色づいた木々の葉が舞い散り、穏やかで涼しい秋の空気に包まれていた。
「ねえ、お聞きになりまして!? 最近、南の海を渡る商船には、なんとあの伝説の『巨大海竜』が護衛についているそうですわ!」
「ええ、お父様から伺いましたわ。銀花銀行の保険に入った船には、海人族が海竜を遣わして、海賊や魔物から完璧に守ってくれるのだとか。今や海の上は、王都の裏通りよりも安全だと言われていますのよ!」
少し離れたガゼボ(西洋風あずまや)で、令嬢たちが興奮気味に最新のゴシップを囁き合っている。
「はふっ、はむ……ん〜っ、甘くて美味しい!」
私は彼女たちの噂話を心地よいBGM代わりに聞きながら、ベンチでほかほかの『特級幻獣芋のハニーバター焼き』を頬張っていた。
熱々のお芋の上でとろける濃厚なバターと、黄金色のハチミツの絶妙なハーモニー。食欲の秋を体現するような極上のスイーツに、私の頬は完全に緩みっぱなしだ。
「きゅるるぅ〜!」
私の膝の上では、ルンがお芋の切れ端を貰ってご機嫌に跳ねている。
「本当に、平和な秋ね」
私はお芋をモグモグと噛み締めながら、心の中で現在の完璧な収支報告を思い描いた。
海人族に『警備(再保険)』を委託して以来、銀花海上保険の保険金支払い件数は、文字通り「ゼロ」になった。
そりゃそうだ。山のように巨大なリヴァイアサンが数十頭も群れを成して伴走している船に、わざわざ襲いかかろうとする命知らずの海賊や魔物など、この世に存在するはずがない。仮に大嵐が来ても、海竜たちがその巨体で波を打ち消し、船を安全な海域まで牽引してくれるのだから。
結果として、商人たちから集めた莫大な「2%の保険料」は、海人族への牛肉代(ほんのわずかな必要経費)を差し引いた後、そのまま全て銀花銀行の「純利益」として金庫に積み上がり続けている。
「……君は本当に、とんでもないことをやってのけるね」
ふと、頭上から呆れと感嘆の入り混じった声が降ってきた。
見上げると、そこにはプラチナブロンドの髪を秋風に揺らす、西の若き皇帝・レオンハルトが立っていた。
「あら、レオンハルト様。皇帝陛下が、こんなお芋の匂いが漂うベンチに何の御用かしら? 帝国の海運業も、うちの保険のおかげで過去最高の利益を出しているはずですけど」
「ああ、そのお礼も兼ねてね。……しかし、まさか大自然の猛威である海神まで、金と牛肉で飼い慣らしてしまうとは。歴代の海洋国家の王たちが聞いたら、泣いて崩れ落ちるよ」
レオンハルトは隣に腰を下ろし、私の手元にある黄金色のお芋を物珍しそうに見つめた。
「飼い慣らすだなんて、人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。私はただ、海人族の『食料不足』という課題を、私たちの『リスク管理』と結びつけて、互いに利益の出るビジネス(B2B)を提案しただけよ」
私は残っていたお芋の最後の一口をパクリと平らげ、満足げに息を吐いた。
「物理的な危険は、絶対になくならない。でも、それを『お金』というクッションで包み込めば、誰も致命傷を負わずに済む。商人たちは安心して海を渡り、海人族はお腹いっぱいお肉を食べられて、私は何もしなくても手数料が儲かる。……これぞ、全員が幸せになる資本主義の魔法よ」
「……君のその『平和への執念』には、本当に頭が下がるよ」
レオンハルトは苦笑しつつも、その翡翠の瞳には、絶対的な経済の支配者に対する深い敬意が宿っていた。
「これで、東の陸路も、西の帝国も、北の宗教国家も、そして南の海すらも、全て君の『見えない盾』と『見えざる手』に守られることになった。……もう、この世界に君の昼寝を邪魔できる存在はいないんじゃないか?」
「ふふっ、そうだといいのだけれど」
私はナプキンで口元を拭い、ぽかぽかとした秋の陽射しを全身に浴びて、大きく伸びをした。
「さて、お腹もいっぱいになったし、そろそろ本業に戻るわ。午後の経済学の授業は……もちろんサボって、このままお昼寝よ」
「君が経済学を学ぶ必要なんて、最初から一ミリもないからね。ゆっくり休むといい」
レオンハルトが呆れ顔で立ち去っていくのを見送りながら、私はゆっくりと目を閉じた。
遠くの海では今頃、巨大な海竜たちが豪華な商船を護衛しながら、のんびりと波間を泳いでいることだろう。
大自然の理不尽すらも契約書に縛り付け、絶対的な安全と不労所得を手に入れたモブ令嬢は、世界で最も平和な午後のまどろみの中へと、静かに落ちていった。




