シーン7:昼食時の優雅な噂話と、裏側の経営者
昼を告げる長めの鐘の音が鳴り終わると、学園の大食堂は瞬く間に華やかな喧騒で満たされる。
天井から吊るされた巨大な魔力石のシャンデリアが、昼間だというのに煌々と輝き、純白のテーブルクロスに反射して目を細めたくなるほど眩しい。
長いオーク材のテーブルには、専属の料理人たちが腕を振るった豪華な昼食が次々と並べられていく。焼き立ての白パンの甘い小麦の香り、香草をふんだんに使った仔牛のローストから漂う肉汁の匂い、そして貴族令嬢たちが纏う多種多様な香水の香りが入り混じり、食堂全体がひどく濃密な空気で満たされている。
カチャ、カチャと。
銀のナイフとフォークが陶器の皿に触れる上品な音が、あちこちから聞こえてくる。
「ここのコンソメスープ、美味しいわね。でも、もう少し塩気が薄い方が私の好みかしら」
私の向かいの席で、ミレーユがスプーンを口に運びながら楽しそうに微笑む。
ここは食堂の最も隅、厨房の出入り口に近く、上位貴族たちが絶対に座りたがらない末席だ。私にとっては、人目を避けてゆっくりと食事ができる最高の特等席である。
「そうだね。少し胡椒が効きすぎている気もするかな」
私は自分のスープを一口すすり、当たり障りのない感想を返す。
鞄を足元の死角に置き、そのチャックを少しだけ開けておくと、中からルンがひょっこりと顔を出してパンの欠片を両手で受け取っている。彼がもきゅもきゅと咀嚼する微かな振動が、ふくらはぎ越しに伝わってきて微笑ましい。
そんな穏やかな私たちの時間のすぐ横で、少し離れた中央の特等席から、甲高い声が飛んでくる。
座っているのは、朝の廊下で私を見下していた銀髪の伯爵令嬢を中心としたグループだ。彼女たちは食事もそこそこに、身を乗り出すようにして熱心な情報交換を行っている。
「ねえ、皆様。昨日の夜会で、侯爵夫人がお使いになっていた新しい美容液のお話、お聞きになりまして?」
「ええ、もちろん! 肌が陶器のように滑らかになって、内側から光を放つようだと専らの噂ですわ」
「『白百合の商会』の最上級プレミアムライン、『夜明けの雫』でしょう? わたくしもすぐに商会へ使いを出したのですけれど……」
栗毛の令嬢が、ひどく悔しそうに銀のフォークを握りしめ、ため息をつく。
「なんと、現在の予約待ちが『一年後』だと言われましたのよ! 金貨を上乗せすると言っても、職人の手作りで生産数が限られているからと、にべもなく断られてしまって……!」
「一年ですって!? たかが商人の分際で、私たち上位貴族をお待たせするというの!?」
「でも、使った方々は皆、十歳は若返ったように美しくなられているのよ。ああ、来月の王宮の夜会までに、なんとしても手に入れたいわ……」
彼女たちの苛立ちと熱狂が入り混じった会話が、末席の私にもはっきりと聞こえてくる。
(ふふっ、一年待ち、ね。見事なまでの飢餓感の煽り方だわ。営業部の販売戦略が完璧に機能している証拠ね)
私は無表情のままスープを飲み込みながら、頭の中では猛烈な勢いで書類の束をめくり、数字を弾き出している。
『夜明けの雫』。
それは先月、私が直々にレシピを監修して発表した最上級の夜用美容液だ。
主成分は、王都の近郊でごく普通に採れる『月見草』の種子から絞ったオイル。それに、保湿力を高めるための微量のグリセリンと、香りを整えるためのラベンダーの精油を混ぜただけ。
材料費だけで言えば、小瓶一つあたり銅貨三枚にも満たない。
しかし、私はそこに徹底的な『ブランディング』と『品質管理』という付加価値を乗せた。
オイルの抽出には魔力石を用いた低温圧搾法を採用し、「熟練の錬金術師が三日三晩かけて魔力を注ぎ込み、一滴ずつ抽出した奇跡の雫」という(半分嘘ではないが、極めて効率化された)宣伝文句を付けた。
さらに、容器には東の国から取り寄せた細工入りのクリスタルガラスを使用し、見た目の高級感を極限まで高めた。
そして何より重要なのが、『意図的な生産数の制限』だ。
本当なら、今の工場のラインを二つ回せば、王都中の貴族の需要を満たすだけの量は一週間で作れる。
だが、いつでも買える商品は、彼女たちのようなプライドの高い貴族にとっては価値がない。
「誰もが欲しがるのに、限られた者しか手に入れられない」という希少性こそが、金貨五枚という法外な価格を正当化し、彼女たちの所有欲を狂わす最大のスパイスなのだ。
(とはいえ、一年待ちという状況がこれ以上続けば、顧客の飢餓感は『不満』や『怒り』に変わりかねない。熱狂が冷める前に、適度に商品を市場に流してやる必要があるわね)
私はフォークでロースト肉を切り分けながら、午後の業務スケジュールを脳内で修正する。
(来月の第二週から、郊外の第三工房のラインを美容液の生産に切り替えよう。生産量を現在の三倍に引き上げれば、予約の消化を一気に早められる。表向きは「特別な原料の入荷に成功し、奇跡的に生産枠が増えました」とでも宣伝しておけば、顧客は自分たちが幸運なのだと信じて喜んで金貨を払うわ)
「本当に、あそこの商会主が誰なのかしら。直接交渉して、わたくしの実家の力で優先的に買い上げたいですわ」
「表には決して姿を見せないという噂ですわよ。莫大な富を築いているのですから、さぞかし強欲で恰幅の良い、腹黒い老商人に違いありませんわ」
令嬢たちの想像する『商会主』の姿に、私は思わず噴き出しそうになるのを、口元をナプキンで覆って必死にごまかす。
「ん? どうしたの、リリア。お肉、硬かった?」
ミレーユが不思議そうに小首を傾げる。
「ううん、何でもない。ちょっと胡椒でむせちゃっただけ」
私は咳払いをし、澄ました顔で肉を咀嚼する。
強欲で恰幅の良い、腹黒い老商人。
そんな想像上の怪物が、今まさに、彼女たちと同じ大食堂の隅っこで、学園指定の安い制服を着て、一番安いランチセットの肉を切り分けているのだと知ったら、彼女たちはどんな顔をするだろうか。
(あなたたちが一年待つと言って血眼になっている美容液、私は毎晩、お風呂上がりに全身にバシャバシャと使っているのだけれどね)
そんな読者しか知らない優越感に密かに浸りながら、私はあくまで『流行の化粧品など買えるはずもない貧しい下級貴族』の演技を続ける。
時折、銀髪の伯爵令嬢の視線がこちらにチラリと向かい、「あなたのような平民には一生縁のない話ですわね」と言わんばかりの冷笑を浮かべる。
私はそれに、おどおどとした引きつった愛想笑いで応えてみせる。
(ええ、どうぞ見下してくださいな。あなたが私を見下すたびに、私の商会の金庫にはチャリン、チャリンと金貨が積み上がっていくのですから。商人にとって、お客様の優越感は最高の商品価値です)
私は心の中で極上の笑みを浮かべ、最後に残ったパンで皿の上のソースを綺麗に拭き取った。
午後からの商会での仕事――美容液の増産指示と、それに伴う物流の再構築――を考えると、やるべきことが山積みで、自然と胸が高鳴ってくる。
「さて、そろそろ午後の授業の準備をしようかな」
私がそう言って立ち上がろうとした、まさにその時だった。
「……隣、空いているだろうか?」
不意に、私たちのテーブルの横から、場違いなほどに深く、よく通るバリトンの声が降ってきた。
同時に、周囲の喧騒が、まるで水を打ったようにピタリと止まる。
私は驚いて顔を上げる。
目の前に立っていたのは、太陽の光をそのまま糸にしたような輝く金髪と、深い海のような碧眼を持った青年。
学園の制服であるブレザーの胸元には、この国でただ一人しか身につけることの許されない、王家の紋章である『双頭の鷲』の純金ブローチが鈍く光っている。
王太子、エドワード・ルクレール。
彼の手には、豪奢な貴族用のランチプレートではなく、私たちが食べているのと同じ、一番簡素な学生用ランチセットが乗ったトレイが握られていた。




