シーン2:信仰のパラメーターと、腐敗する神官の帳簿
王都の地下深く、冷たい石壁に囲まれた銀花会議の本部『円卓の間』。
先ほどまでの平和な午後の空気は完全に吹き飛び、円卓を囲む幹部たちの顔には、かつてないほどの緊張感が張り詰めていた。
「……つまり、聖国イグドラシアは『銀花銀行券』を悪魔の紙と認定し、国境での取引を完全に遮断した、と」
バルトが深刻な顔で、テーブルに広げられた大陸北部の地図を見つめる。
「ええ。彼らの国では、労働も食料の配給も、全て教会が管理する『功徳』という見えないポイントシステムで回っているわ」
私は円卓の最奥で、先ほどまでの眠気を微塵も感じさせない冷徹な声で説明した。
「信者は毎日教会で祈り、聖国の特産品である『光の魔石』を採掘して教会に納めることで、司祭から帳簿に『功徳』を書き込んでもらう。そしてその功徳の数値に応じて、薄いスープや粗末なパンが配給される。……極端な禁欲と信仰によって成り立つ、完璧な閉鎖経済よ」
「厄介な連中だぜ。腹が減っても神への祈りで満たされると信じ切ってるんだから、俺たちの美味い飯や便利な道具が入り込む隙がねえ」
ガストンが頭を掻きむしる。
「隙がない? 冗談でしょう」
私はフッと鼻で笑い、円卓の中央に、数枚の真新しい『証書』のような羊皮紙を放り投げた。
「人間の『欲』を完全に消し去ることなんて、神様にだって不可能よ。……信者たちは禁欲に耐えられても、その帳簿を管理している『神官たち』はどうかしら?」
「神官、ですか?」
ベルノが眼鏡の奥の目を細める。
「ええ。いくら聖国とはいえ、人間が管理している以上、必ず腐敗が生まれるわ。上の位にいる神官たちは、きっと密かにこう思っているはずよ。『自分たちはこんなに功徳を持っているのに、配給されるのは粗末なパンとワインだけだ。もっと美味しいお肉が食べたい、もっと綺麗な絹の服が着たい』……ってね」
私は立ち上がり、地図上の聖国の国境線――険しい山脈の入り口を指し示した。
「そこで、私たちが『新しい市場』を作ってあげるの。……聖国の国境付近の地下に、極秘の『功徳取引所』を設立しなさい」
「く、功徳取引所……? 一体何を取引するのですか?」
マダム・セリアが目を白黒させる。
「文字通り、彼らの『功徳(信仰ポイント)』よ」
私は悪魔のように妖しく微笑んだ。
「まず、私たちの紙幣(美味しい食事や贅沢品)の味を知ってしまった上位の神官たちに、密かに接触するの。そして、彼らが帳簿上で持っている余った『功徳』を、私たちの『銀花銀行券(あるいは現物の贅沢品)』で買い取るわ」
「しかし会長、功徳は教会の帳簿に記されただけの数字です。我々がそれを買い取って、一体何に使うのですか?」
ベルノの尤もな疑問に、私は指を鳴らした。
「買い取った『功徳』を、証券にするのよ。……聖国には、病気や怪我で労働ができず、功徳を稼げなくて飢え死にしかけている下位の信者たちが山ほどいるわ。私たちは彼らに、買い取った功徳を『利子をつけて』貸し付けるの」
「なっ……!?」
幹部たちが一斉に息を呑む。
「借金をした下位の信者は、私たちの証券(功徳)を教会に提出して、食料の配給を受ける。そして、元本と利子を返すために、教会の目を盗んで必死に『光の魔石』を掘り出し、私たちの闇取引所に横流しする。……神官たちは賄賂(銀行券)を受け取っているから、この帳簿操作と密貿易を喜んで黙認するわ」
円卓の間に、恐ろしいほどの静寂が落ちた。
神への信仰心と労働の証であるはずの『功徳』が、ただの数字として売り買いされ、証券化されて市場に出回る。
それは、聖国イグドラシアの神聖な教義を根底から破壊し、彼らの信仰システムそのものを「金融商品」に変えてしまうという、極めて冒涜的な計画だった。
「……し、信仰を担保に借金をさせ、特産品を巻き上げる。まさに、悪魔の所業です……!」
ベルノがガクガクと震えながら呟く。
「神様はお腹を満たしてくれないけれど、銀花銀行は彼らを満たしてあげるの。……どちらが本当に彼らを救うのか、市場に決めさせましょう」
私は冷徹に言い放ち、再び地図を見下ろした。
「ベルノ、ガストン。ただちに国境沿いにダミーの商隊を派遣して、闇取引所の建設に入りなさい。同時に、賄賂に弱そうな聖国の神官のリストアップを急ぐのよ。……彼らの紙幣焼却(火遊び)の代償がどれほど高くつくか、骨の髄まで教えてあげるわ」
「「「は、ははっ!!」」」
幹部たちの力強い、しかし畏怖に満ちた返事が地下室に響き渡る。
紙幣を燃やされたモブ令嬢の復讐は、武力や報復の炎ではなく、神の奇跡すら値踏みする『証券化』という冷酷な金融魔術によって、静かに、そして確実に聖国の国境を侵食し始めようとしていた。




