シーン4:魔導機関車の汽笛と、無血の帝国侵略計画
王家への巨額融資から一年後。
王都アークレインの中央広場は、建国以来最大のお祭り騒ぎに包まれていた。
「プォォォォォォォォォォッ!!」
空気を震わせる巨大な汽笛の音。
真新しい鉄のレールの上を滑るように走り出したのは、漆黒の流線型をした巨大な鉄の塊――『魔導機関車』の第一号車両だ。高純度の魔石を動力源とし、煙ではなく淡い青色の魔力排気をたなびかせながら、圧倒的なスピードで東部辺境へ向けて加速していく。
「動いた! 本当に鉄の塊が走っているぞ!」
「すごい速さだ! これなら東部まで、たったの二日で着くらしいぞ!」
沿道を埋め尽くした王都の民衆が、熱狂的な歓声を上げて旗を振る。
私は王都の中央駅を見下ろす貴賓室のテラスから、その歴史的な瞬間を静かに見届けていた。
「……素晴らしい。我々が構築した『影の兵站線』すらも、過去の遺物にしてしまうほどの圧倒的な輸送力です」
隣に立つベルノが、感極まったように銀縁眼鏡を拭う。
「これで東部の魔物素材や特産品が、かつての十倍の速度で王都へ流れ込みます。当然、決済には全て我が『銀花銀行券』が使用される。……経済の血流は、完全に新しい次元へと突入しました」
「ええ。物理的な距離の壁が壊れれば、経済はさらに加速するわ」
私はテラスの手すりに寄りかかり、心地よい風に髪を揺らした。
王家はこの鉄道の建設費として、銀花銀行から莫大な紙幣を借り入れた。そして今、鉄道が開通したことで生み出される莫大な運賃収入は、利子と共に、毎日確実に私の銀行の金庫へと吸い上げられてきている。
「……君の言う通りになったな、リリア嬢」
背後から声をかけてきたのは、今や私の商会の立派な『上顧客』であり、半ば金融の弟子のような立ち位置に収まっているヴァレリウス帝国のレオンハルト公子だった。
「ただの紙切れだったものが、人々の労働を生み、鉄を打ち、大地にレールを敷き、ついに巨大な機関車を走らせた。……あの時、君が貸し出した『信用』が、物理的な世界を完全に書き換えてしまった」
レオンハルトはテラスから身を乗り出し、走り去る機関車の後ろ姿を畏怖の目で見つめる。
「驚くのはまだ早いわよ、レオンハルト様」
私は漆黒のコートのポケットに両手を入れ、彼に向かって妖しく、そして冷酷に微笑んだ。
「王国内のインフラ整備と紙幣の普及は、あくまで『実験』に過ぎないわ。システムが完璧に稼働することが証明された以上、次は……この便利な『紙の魔術』を、国外へ輸出する段階よ」
「……国外、だと?」
レオンハルトの翡翠の瞳が、僅かに見開かれる。
「ええ。ヴァレリウス通商帝国は、大陸一の巨大な市場と生産力を持っている。でも、決済手段は未だに古臭くて重い『金貨』に頼っているわよね? 輸送コストも警備コストも馬鹿にならないはずよ」
私は一歩彼に近づき、悪魔のように囁く。
「もし、我が銀花銀行の支店を帝国の首都に置き、帝国中の商人が『銀花銀行券』を使って商売を始めたら、どうなるかしら?」
「……っ!!」
レオンハルトは息を呑み、血の気を引かせて後ずさった。
「ば、馬鹿な……。他国の発行する紙幣を、帝国の基軸通貨にするだと……? そんなことをすれば、帝国の経済そのものが、君の指先一つで生殺与奪を握られることになる……!」
「そうよ。軍隊も、大砲も、血を流す必要すらないわ。相手の国の商人たちが『金貨より紙幣の方が便利だ』と気づき、自主的にそれを使うようになれば……私は一兵も動かさずに、帝国を完全に支配できるの」
これこそが、資本主義の最終形態。
『通貨覇権による、無血の国家侵略』である。
「きゅんっ!」
私の足元で、ルンが新しいビジネスの匂いを嗅ぎつけたのか、嬉しそうに尻尾を振って鳴いた。
「レオンハルト公子。あなたには、帝国に『銀花銀行』の支店を設立するための橋渡し役を頼みたいの。もちろん、協力してくれるなら、あなたには帝国の次期皇帝の座を約束してあげるわ」
「私に……祖国を売れと、言うのか」
レオンハルトはギリッと奥歯を噛み締める。
しかし、彼の商人としての魂は、私の提示した『絶対的な効率と富』の魅力にすでに抗えなくなっていた。ここで私に逆らえば、帝国はいずれ経済競争でアークレイン王国に敗北し、干上がるしかないと分かっているからだ。
「売るんじゃないわ。時代を前に進めるための『投資』よ」
私は優雅に微笑み、彼に向けてそっと右手を差し出した。
「さあ、選びなさい。時代遅れの金貨を抱きしめて国と共に沈むか。それとも、私の手を取って、世界を動かす『紙の魔術』の共同統治者になるか」
魔導機関車の残響が遠く響く中。
レオンハルトは深い絶望と、それ以上の狂信的な魅了を顔に浮かべながら、ゆっくりと、しかし力強く私の手を取った。
王国の財布を飲み込んだモブ令嬢の野望は、ついに海を越え、大陸全土の経済を『銀花の紙幣』で染め上げるための巨大な侵略戦争へと動き出したのである。




