シーン8:敗者の清算と、新たなる交易(ビジネス)の幕開け
『毒薬条項』の発動から数日後。
王都の地下に隠された銀花会議の本部『円卓の間』は、かつてないほどの熱気と歓喜に包まれていた。
「……最終的な被害状況、ならびに利益の報告をいたします」
ベルノが分厚い帳簿を閉じ、銀縁眼鏡をキラリと光らせて立ち上がった。その口元には、普段の冷静な彼らしからぬ、微かな笑みが漏れている。
「ヴァレリウス帝国が王都の工房買収に投じた莫大な資金は、権利書の価値暴落により完全に『大赤字』として計上されました。一方、法外な買収額を受け取っていたアークレインの各工房は、手に入れた資金をそのまま最新の生産設備投資に回し、生産力が倍増。……我々銀花会議は、実質的に『帝国の金で自国のインフラを強化した』ことになります!」
「ガハハハッ! 痛快、実に痛快だ! 帝国の鼻持ちならない坊ちゃんが、自腹を切って俺たちの商売をデカくしてくれたようなもんじゃねえか!」
巨漢のガストンが腹を抱えて大笑いする。
「本当に、会長の頭脳には恐れ入りますわ。血を一滴も流さず、相手の資本だけを吸い尽くしてしまうなんて」
マダム・セリアも扇子で口元を隠しながら、恍惚としたため息を漏らした。
私は円卓の最奥で葡萄水のグラスを傾けながら、代表たちの喜ぶ姿を満足げに眺めていた。
「勝負は最初の防波堤を作った時点で決まっていたのよ。彼らは資本の力に溺れ、その土地の法律と契約の恐ろしさを軽視した。……高い授業料になったわね」
私はグラスを置き、漆黒のコートの袖口を軽く直す。
「でも、これで帝国との関係が完全に断絶したわけじゃないわ。むしろ、彼らの『強み』を私たちのシステムに組み込む絶好の機会よ」
「帝国の強みを、ですか?」
バルトが不思議そうに首を傾げる。
私が答えようとしたその時、円卓の間の重厚な扉がノックされ、暗部の男が一通の封書を持って駆け込んできた。
「会長。ヴァレリウス帝国のレオンハルト公子より、親書が届いております」
「ご苦労様。……ほら、噂をすればなんとやらね」
私は蝋封を切って中身の便箋を取り出し、その文面にスッと目を通した。
そして、フフッと楽しげな笑い声を漏らす。
「どうやら、あのプライドの高い狼も、完全に牙を折られたみたいね。……ベルノ、明日から帝国の商船が港に入る許可を出してあげなさい」
「な、よろしいのですか!? また粗悪品を持ち込まれる危険が……」
「心配ないわ。親書にはこう書いてあるもの。『アークレイン・スタンダードの基準を完全に満たした高級品のみを輸出し、販売は全て銀花会議の流通網に委託する。売上の四割を販売手数料として支払う』……ってね」
「よ、四割の手数料!? それでは帝国側にほとんど利益が残りませんぞ!」
ガストンが驚愕に目を剥く。
「それでも、彼らは王都という巨大な市場を諦めきれなかったのよ。自力で市場を乗っ取れないと悟ったなら、私(絶対的な支配者)にひれ伏してでも細々と利益を吸い上げる道を選ぶ。……それが、腐っても商人の国ってことね」
私は親書をテーブルの上に放り投げた。
「これで帝国製の質の高い『原材料』や『珍しい香辛料』が、私たちのシステムを通して安全に国内へ入ってくるわ。私たちは一切のリスクを負わず、彼らの商品から莫大な手数料を中抜きする。完璧な不労所得の完成よ」
円卓の間に、代表たちのゴクリと唾を飲み込む音が響いた。
国家間の経済戦争を完全に制し、あまつさえ相手を自らの手駒として組み込んでしまう。十六歳の少女が成し遂げた事実を前に、彼らは改めて底知れぬ忠誠と畏怖を抱いたようだった。
「きゅるるっ!」
ルンが私の膝の上に飛び乗り、大仕事の成功を祝うように頬擦りをしてくる。
「さて、皆。祝杯はここまでよ」
私は立ち上がり、円卓に集う商会の中核たちへ向けて、力強く宣言した。
「東部の軍閥、そして西の帝国資本。私たちを脅かす外敵は全て、銀花会議の肥やしになった。……私たちの築き上げた『信用』と『ルール』は、もはや王国という枠組みすら越えようとしているわ」
私は真っ直ぐに前を見据える。
「次は、さらに大きな海を渡るわよ。世界中の金貨と血流を、この王都アークレインに集約させる。……私たちが、本当の意味で世界の経済を支配するのよ!」
「「「おおおおおっ!!!」」」
代表たちの雄叫びが、地下室を震わせた。
***
翌日の王立アークレイン学園。
「レオンハルト様、本日はご機嫌が麗しくないご様子ですが……」
「ああ、いや。少し本国の商会でトラブルがあってね。気にするほどのことではないよ」
サロンの中心で、レオンハルト公子は令嬢たちに囲まれながらも、どこか以前のような絶対的な覇気は失われていた。その翡翠の瞳には、見えない首輪をつけられた敗者の疲労が微かに滲んでいる。
私はいつものように、一番後ろの窓際の席からその光景をぼんやりと眺めていた。
(帝国の大公家の御曹司も、これからは私の商会のためにせっせと質の良い商品を納品してくれる『優秀な下請け業者』ね。……せいぜい、学園生活を楽しみながら働いてちょうだい)
私は窓の外、青く澄み渡る王都の空を見上げる。
モブ令嬢としての平穏な学園生活の裏側で。
私の頭の中では、すでに次なる大陸規模の巨大な取引の計算式が、静かに、そして激しく音を立てて組み上がっていた。




