シーン6:毒薬条項(ポイズンピル)と、白馬の騎士(ホワイトナイト)
王都の地下深く、偽装された銀花会議の本部『円卓の間』。
普段は莫大な利益の報告で活気に満ちているこの部屋に、今夜は重苦しく、ヒリヒリとした焦燥感が立ち込めていた。
「……報告します。昨日から今日にかけて、王都東区の『青銅魔導工房』と、南区の『大樹薬草園』が、ヴァレリウス帝国系のダミー商会に完全に買収されました」
ベルノが銀縁眼鏡を押し上げながら、苦渋に満ちた声で報告書を読み上げる。
「彼らは慢性的な資金不足に悩んでいました。そこへ帝国が、通常の相場の三倍という法外な買収額を提示したのです。……経営者たちは飛びつき、工房の権利書を全て帝国へ引き渡しました」
「くそっ! あの工房は、我々のアークレイン・スタンダードの認定を真っ先に受けた優良工房だぞ!」
ガストンが円卓をドンッと力強く叩く。
「つまり、帝国は自国の粗悪品を輸入するのではなく、乗っ取ったアークレインの工房の『認定マーク』を隠れ蓑にして、合法的に商品をばら撒く気ですわね……!」
マダム・セリアも扇子を握りしめ、顔を青ざめさせている。
「その通りよ。真正面のルール違反が通じないと見るや、ルールの内側にある企業ごと金で買い叩く。典型的な『敵対的買収(M&A)』の手口ね」
私は円卓の最奥で、組んだ両手の上に顎を乗せ、静かに言い放った。
焦りはない。レオンハルトの次の一手が分かっているのなら、盤面をひっくり返す準備をするだけだ。
「しかし会長! このままでは、我々の下請けや協力関係にある中堅商会が、次々と帝国の札束で頬を叩かれて寝返ってしまいます! 我々も対抗して資金援助を……!」
「ただ資金を貸し付けるだけじゃダメよ。相手は国家予算規模の資本を持っているの。競り合いになれば、いずれ私たちの共同基金でも限界が来るわ」
私は立ち上がり、円卓の中央に王都の精巧な地図を広げた。
そこには、帝国に買収された工房に赤いピンが、そして現在買収交渉をかけられているであろう『標的』の工房に青いピンが刺さっている。
「そこで、私たちが使う手は二つ。……『白馬の騎士』と『毒薬条項』よ」
「……ほわいとないと? ぽいずん……毒薬、ですか?」
バルトが目を白黒させる。
「まず、現在帝国から強引な買収を迫られ、恐怖している工房の元へ、私たちが友好的な買収者――『白馬の騎士』として現れるの。ただし、お金を貸すのではなく、彼らの工房の『株式(オーナーの権利)』を一部だけ買い取って、資金を注入するわ」
「し、しかし会長。我々が一部の権利を持ったところで、帝国が残りの権利を圧倒的な資金で買い占めてしまえば、結局は乗っ取られてしまいます」
ベルノの尤もな指摘に、私は不敵な笑みを浮かべた。
「だから、契約書に『毒』を仕込んでおくのよ」
私は漆黒のコートの懐から、一枚の特殊な契約書の雛形を取り出し、円卓に滑らせた。
「これは、私たちが資金注入する工房と結ぶ『新株予約権』の契約書。……もし、ヴァレリウス帝国のような第三者が、その工房の権利を『三割以上』強引に買い占めようとした場合」
私は言葉を切り、代表たちの顔を順番に見回した。
「その瞬間、自動的に私たち銀花会議に対して、大量の新しい権利書(株式)がタダ同然の超低価格で発行されるルールを定めておくの」
「……っ!!」
最も計算の早いベルノが、その悪魔的な仕組みに気づき、ガタッと立ち上がった。
「な、なるほど……! 帝国がどれだけ大金を積んで権利を買い集めても、発動ラインを超えた瞬間に、我々が新しい権利を市場に大量に溢れさせる! そうなれば、帝国が苦労して買った権利の割合は一気に薄まり、ゴミ屑同然になる……!」
「その通りよ。相手の口に入った瞬間に、致死量の毒に変わる。これが『毒薬条項』の魔法よ」
私はふふっと冷たく笑う。
前世の金融市場では、敵対的買収を防ぐための最も強力な防衛策の一つだ。この世界の単純な権利書の売買しか知らない帝国にとって、これは絶対に予測不可能な『未知の防壁』となる。
「……恐ろしい。本当に、なんて恐ろしい発想なんだ。こんな契約を思いつくなんて、会長の頭の中には悪魔でも住んでいるに違いない……」
ガストンがブルブルと震えながらも、その顔には最高にワクワクした商人の笑みが浮かんでいる。
「さらに、この契約を結んだ工房には、私たち銀花会議の強力な流通網を優先的に使わせる権利を与えるわ。彼らにとっても、帝国の軍門に下るより、私たちと組む方がよっぽど利益になるはずよ」
私は指示棒を手に取り、地図上の青いピン――これから帝国が狙うであろう王都の主要な工房を指し示した。
「ベルノ、暗部を総動員して、狙われている全ての工房の主と極秘裏に接触しなさい。帝国の買収使節が到着する前に、全ての工房とこの『毒入り契約』を締結するのよ」
「はっ! 直ちに手配いたします!」
「セリア、バルト、ガストン。あなたたちは各部門の総力を挙げて、契約を結んでくれた工房の生産ラインを徹底的にバックアップしなさい。帝国に『アークレインの商人は一丸となって戦っている』ことを見せつけるのよ」
「「「承知いたしました!!」」」
代表たちの声が、地下室に力強く響き渡る。
「きゅんっ!」
私の足元で、ルンも気合を入れるように前足を振り上げた。
(レオンハルト公子。あなたが圧倒的な資本の暴力で来るなら、私は高度な金融の魔術で全てを無効化してあげるわ)
私は円卓の地図を睨み下ろし、冷徹に計算を弾き続ける。
ただの力押しでは、私は倒せない。
「さあ、見せてちょうだい。帝国の狼が、毒入りの肉を食わされてどう苦しむのかをね」
モブ令嬢の反撃の準備は整った。
王都の経済を舞台にした、目に見えない金融の攻防戦は、いよいよ帝国の思惑を完全に狂わせるフェーズへと突入していく。




