シーン4:王妃の茶会と、見えざる防波堤(アークレイン・スタンダード)
王城アークレイン宮殿の奥深く。
色鮮やかな薔薇が咲き誇る王妃専用のガラス温室には、優雅なティーセットと、最高級のダージリンの香りが用意されていた。
「……随分と、派手に立ち回ったようですね。王都の『裏の女王』さん」
純白のレースのドレスに身を包んだイザベラ王妃殿下は、ティーカップを優雅に傾けながら、私に向かって微かに目を細めた。
「南区の火災と、自由市場での暴動。警備隊の報告によれば、帝国の商人たちは着の身着のまま港へ逃げ出し、彼らの粗悪な商品は全て海へ沈められたそうです。……そして、その直後に完璧なタイミングで現れ、民衆の救世主となったのが、あなたの『銀花会議』だったと」
「お褒めに預かり、光栄の至りに存じますわ、王妃殿下」
私は王妃の向かいの席で、完璧な淑女の微笑みを浮かべて頭を下げた。
「褒めてはいませんよ。被害が出るのをあらかじめ予測しておきながら、恩を売るためにあえて黙認した。……為政者としては、あなたのその血も涙もない徹底した合理主義に、背筋が凍る思いです」
王妃の言葉には微かな棘があったが、その瞳の奥には、私の商才に対する確かな感嘆と信頼が入り混じっていた。
「商人とは、人々の『需要』を満たす生き物です。平民たちは『痛い目を見ないと粗悪品の恐ろしさに気づけない』という需要を持っていました。私はそれに、最高の形で応えただけですわ」
私が平然と答えると、王妃は小さく息を吐き出し、ソーサーにカップを置いた。
「それで? 帝国の先兵を追い払っただけで満足するあなたではないでしょう。今日は一体、どんな『取引』を持ち込みに来たのですか?」
「さすがは王妃殿下。話が早くて助かります」
私は持参した革の鞄から、分厚い羊皮紙の束を取り出し、大理石のテーブルの上へ滑らせた。
「これは……?」
「『アークレイン王国・特別品質保証規格』――通称、『アークレイン・スタンダード』の制定案です」
王妃がパラパラと羊皮紙をめくる。そこには、魔導具の回路に用いる金属の純度、ポーションに含まれるべき薬効成分の最低基準値、そしてそれらをクリアした商品にのみ付与される『王家認定マーク』の図案が詳細に記されていた。
「今回の事件で、王都の民は品質の悪い輸入品に強い恐怖を抱きました。今こそ、王家が主導して『厳格な安全基準』を法制化する絶好の機会です」
私は一歩踏み込み、言葉に熱を帯びさせる。
「この基準を満たさない商品は、いかなる理由があろうと王都内での販売を禁止し、密輸品として没収する。……これを勅令として発布していただきたいのです」
王妃は書類から目を離し、私を真っ直ぐに見据えた。
「なるほど。安全基準という名目で、帝国製の安価な商品を完全に『非合法化』するわけですね。真正面の価格競争を避け、法とルールで市場から締め出す。……相変わらず、えげつない手を考えつく娘です」
「帝国の資本力は脅威です。彼らが本気で赤字覚悟の消耗戦を仕掛けてくれば、王国の経済は数ヶ月で焼け野原になります。それを防ぐための、これは強固な防波堤です」
「ですが、リリア」
王妃は鋭い指摘を投げかける。
「この厳しい基準をクリアできるのは、現状、高度な技術と生産網を持つあなたの『銀花会議』だけです。つまり、これは事実上の『銀花会議による市場の完全独占』を王家が公認することになりませんか?」
「ええ、その通りです。ですから、王家にも莫大な利益をご用意しております」
私はにっこりと笑い、書類の最後のページを指差した。
「この『アークレイン・スタンダード』の認定を行う検査機関は、王家と銀花会議の共同出資で設立します。そして、商品を販売する商人たちから徴収する『認定審査料』と、規格違反者からの『罰金』は、全て王家の国庫に納められる仕組みにしてあります」
王妃の目が、驚きに見開かれる。
「……つまり、王家は一切の労力をかけず、安全基準という『ハンコ』を押すだけで、王都中の商人から永続的に審査料を吸い上げることができる、と?」
「はい。ヴァルター前財務卿の重税よりも遥かにクリーンで、誰も文句を言わない完璧な集金システムです。……王都の安全を守りながら、国庫を潤す。王妃殿下にとって、これほど魅力的な提案はないはずですわ」
ガラス温室の中に、沈黙が落ちた。
王妃は私の顔と、莫大な利益を生み出すであろうその書類を交互に見つめ、やがて、フフッ、と上品な笑い声を漏らした。
「……あなたのその頭脳、本当に恐ろしいですね。バルザック辺境伯が平伏したのも頷けます。経済のルールそのものを、自分の都合の良いように書き換えてしまうとは」
王妃は傍らに控えていた近衛隊長に目配せをした。
隊長が恭しく差し出したのは、王家の紋章が刻まれた真紅の封蝋と印章だ。
「この提案、乗りましょう。……今日この瞬間をもって、『アークレイン・スタンダード』を王国の新法として認可します」
ドスッ、という重い音と共に、羊皮紙に王家の絶対的な刻印が押された。
「ありがとうございます、王妃殿下」
私は深く、優雅なカーテシーで感謝の意を示す。
「レオンハルト公子には気をつけることですね。彼は帝国の第一継承権を争う、極めて冷酷で優秀な若き狼だと聞いています。この程度の壁、すぐに噛み砕きに来るでしょう」
「ええ。ですが、ルール(法律)という檻に閉じ込められた狼が、どこまで吠えられるか。……見物ですわ」
私は書類を鞄にしまい、王妃の温室を後にした。
***
王城の長い回廊を歩きながら、私はポケットの中で小さくガッツポーズを作った。
(これで勝負あったわ。レオンハルトがいくら巨大な資本を持っていようが、『アークレイン・スタンダード』の認定を待たなければ商品を一つも売ることはできない)
しかも、その審査機関の実働部隊は、私が裏で手を回した銀花会議の息のかかった者たちだ。帝国の商品が申請されても、難癖をつけて何ヶ月も審査を先延ばしに(塩漬けに)してやるつもりだ。
法律と官僚主義という名の、最悪の遅延戦術。
自由市場の圧倒的な暴力で攻めてきた相手には、国家権力という絶対的な『お役所仕事』で対抗するのが一番効くのだ。
「さて……レオンハルト君。あなたが誇る帝国の巨大資本が、この理不尽な防波堤の前にどれだけ削られるか。お手並み拝見といきましょうか」
私は学園へ戻る馬車に乗り込み、モブ令嬢の仮面を被り直しながら、次なる盤面へと静かに思考を加速させていった。




