シーン3:時限爆弾の破裂と、完璧な救済劇(マッチポンプ)
帝国商人が自由市場に現れてから、ちょうど十日が過ぎた。
王立アークレイン学園の昼休み。
華やかなサロンでは、編入してきたばかりのレオンハルト公子が、今日も令嬢たちの注目の的となっていた。
「まあ、レオンハルト様。帝国の最新のドレスは、そのような流麗なデザインなのですね」
「ええ。ですが、アークレインの淑女たちの可憐さには、どんな豪奢な絹も霞んでしまいますよ」
甘い声と優雅な仕草。レオンハルトが微笑むたびに、令嬢たちが黄色い悲鳴を上げる。
私はその輪から遠く離れた窓際の席で、退屈そうに頬杖をつきながら、ルンにクルミを剥いてやっていた。
(見事な立ち回りね。学園で上位貴族の令嬢たちを籠絡し、裏では王都の市場を不当廉売で焼け野原にする。……でも、そろそろ限界のはずよ)
私が窓の外――王都の南、平民たちが暮らす下層区の方角へ視線を向けた、まさにその時だった。
――ドォォンッ!!
遠くから、微かな、しかし腹の底に響くような破裂音が聞こえた。
次いで、南の空高くに、黒々とした煙が立ち昇り始めるのが見えた。一つではない。あちらこちらから、同時多発的に黒煙が上がっているのだ。
「きゃっ!? な、何事ですの?」
「南の空から煙が……火事!?」
サロンが騒然となる中、私はチラリとレオンハルトの方へ視線をやった。
彼の翡翠の瞳は、上がる黒煙を見つめながら、一瞬だけ酷薄で計算高い『本性』の光を宿し、口角を微かに吊り上げた。
(あいつ、事故が起きることを分かっていて放置したわね。平民の街がいくつか燃えようが、市場を独占するための『必要経費』だとでも思っているのよ)
私は静かに席を立ち、騒ぐ令嬢たちに紛れてサロンを抜け出した。
学園の裏庭。指定のポイントで待機していた暗部の男が、私の姿を見るなり膝をつく。
「報告いたします! 王都南区および東区の長屋で、同時多発的な火災が発生! 原因は全て、帝国製の『小型魔力灯』の回路ショートによる魔力爆発です!」
「被害の規模は?」
「粗悪な魔石が燃えているため、水では火が消えません。警備隊の消火活動は難航しており、すでに三つの区画が延焼中です! さらに……」
暗部の男が、顔を顰めて言葉を継ぐ。
「王立療養院や各区の治療院に、手足の激痛と壊死を訴える平民たちが殺到しています。全員が、帝国製の『安価なポーション』を常用していた労働者たちです。……王都の下層は今、大パニックに陥っています」
私が十日前に予測した通りの、最悪の『時限爆弾』の破裂。
「……始まったわね」
私は漆黒のコートを羽織ることはしない。この後も学園で、何食わぬ顔でモブ令嬢を演じ続けなければならないからだ。しかし、私の声音は完全に『銀花会議の会長』のものへと切り替わっていた。
「ベルノたちに伝達。……作戦開始よ。倉庫に眠らせていた『防波堤』を、一斉に解放しなさい」
「はっ!」
暗部の男が風のように消える。
私は再び空に立ち昇る黒煙を見上げ、冷酷な笑みを深めた。
***
同時刻、王都南区。
「水だ! もっと水を持てこい!」
「駄目だ、魔力火災に水は効かねえ! 延焼を止めるために隣の家を壊すしかねえぞ!」
猛烈な勢いで燃え広がる炎を前に、バケツリレーをしていた平民たちと警備隊は絶望的な声を上げていた。粗悪な魔石から発生した炎は青白く、水をかけると逆にパチパチと弾けて被害を拡大させてしまうのだ。
「ああっ、俺たちの家が……!」
誰もが諦めかけた、その時。
「道を開けろ!! 銀花会議の特務消火隊だ!!」
怒号と共に、銀の百合の紋章を掲げた馬車が何台も連なって火災現場へ突入してきた。
馬車から飛び出してきたのは、分厚い防火服に身を包んだ男たち。彼らの背中には、見慣れない巨大な真鍮製のタンクが背負われている。
「構え! 放水開始!!」
男たちがホースのノズルを炎に向けると、水ではなく、真っ白な『特殊な泡』が猛烈な勢いで噴き出した。
バルトの薬師ギルドが総力を挙げて開発した『冷却消火剤』である。魔力火災の熱を瞬時に奪い、酸素を遮断するその白い泡が触れた瞬間、あんなに猛威を振るっていた青白い炎が、嘘のようにシュウゥゥと音を立てて鎮火していった。
「す、すげえ……! 火が、一瞬で消えたぞ!?」
「銀花会議だ! 銀花会議の商隊が助けに来てくれたんだ!」
歓声が上がる中、別の区画の治療院でも、同じような『救済』が行われていた。
「足の先が真っ黒だ! 痛い、切り落とすしかないのか……!」
「あああ、帝国製のポーションを飲んだだけなのに!」
待合室で泣き叫ぶ患者たちの前に、マダム・セリア率いる美容・医療部門のスタッフたちが、大量の木箱を運び込んできた。
「ご安心なさい! これは鎮痛剤の毒素を中和し、細胞を再生させる『特級解毒ポーション』ですわ! 銀花会議からの緊急無償提供よ、重症の者から順番に飲ませなさい!」
セリアの号令で配られたポーションを飲んだ患者たちは、見る間に顔の血色を取り戻し、黒く変色しかけていた手足の壊死が止まっていく。
「助かった……! 足を切らずに済んだぞ!」
「ありがとう、銀花会議! やはり俺たちを見捨てなかったんだ!」
火災現場でも、治療院でも。
絶望の淵にあった平民たちは、銀花会議の完璧な対応によって命と財産を救われた。
そして、彼らの感謝の念が頂点に達した直後――その感情は、極めて自然な流れで『激しい怒り』へと転換した。
「おい、待てよ。この火事も、手足が腐りかけたのも……全部、帝国商人が売っていた『安い魔導具とポーション』のせいじゃないか!」
「そうだ! あの薄汚い帝国人ども、俺たちに毒と爆弾を売りつけやがったんだ!」
「ふざけるな! あんな屋台、全部叩き壊してやる!」
安さに目が眩んでいた平民たちの洗脳が、完全に解けた瞬間だった。
怒り狂った群衆は、松明や農具を手に、港湾区の自由市場へと殺到していく。昨日まで白と金の旗が翻り、熱狂的に迎えられていた帝国の屋台は、瞬く間に暴徒と化した市民たちによって包囲され、無残に引き裂かれ、商品もろとも海へ投げ捨てられていった。
「ひぃぃっ! や、やめろ! 我々はヴァレリウス帝国の正式な商人だぞ!」
「知るか! 俺たちの街から出て行け!」
完全に、勝負は決した。
ただ安いだけの粗悪品は、最大のしっぺ返しとなって帝国商人たちに牙を剥いたのだ。
***
「……見事なマッチポンプね」
私は学園の屋上から、自由市場の方角で起きている小さな暴動の煙を眺めながら、ルンにクルミを放り投げた。
時限爆弾が爆発するのを黙って待ち、被害が出た瞬間に最高の解決策を提供して恩を売る。えげつない手口だが、平民たちに『安かろう悪かろう』の恐ろしさを骨の髄まで理解させるには、これが一番効果的だった。
「これで、民衆は二度と帝国の粗悪品に手を出さない。銀花会議の『信用』は、以前にも増して盤石なものになったわ」
私は屋上の手すりに寄りかかり、心地よい春の風を胸いっぱいに吸い込む。
だが、これだけでは終わらない。
レオンハルト公子のことだ。屋台の商人が襲われた程度で諦めるような男ではない。次は、品質を上げた正規品を盾に、帝国の政治的圧力をかけて強引に市場をこじ開けにくるはずだ。
「だから、その前に『壁』を完成させる」
私はポケットから、綺麗に製本された分厚い書類の束を取り出した。
表紙には、『アークレイン王国・特別品質保証規格(通称:アークレイン・スタンダード)制定案』と書かれている。
「さあ、お茶会の時間よ。……王妃殿下に、新しい法律を売り込みに行きましょうか」
私は書類を鞄にしまい、モブ令嬢の無害な笑みを浮かべて、屋上を後にした。
帝国という巨大な黒船を沈めるための、法と権力を使った真の『経済戦争』が、いよいよ本格的に動き出そうとしていた。




