シーン7:規格外の脅威と、商会主の「特別追加オプション」
魔物の買い取り制度を導入してから数日後。
前線基地は莫大な魔物素材と利益を生み出す「巨大な工場」として、完璧なサイクルで稼働し続けていた。兵士たちは士気高く出撃し、怪我をしても即座にポーションで治療され、翌日には再び意気揚々と戦場へ向かう。
誰もが、この東部遠征は歴史に残る大成功を収めると確信していた。
――その「規格外の絶望」が姿を現すまでは。
ブォォォォォォォォォッ!!
突如として、前線の森の奥から、空気を震わせるような重低音の角笛が鳴り響いた。
それは、勝利の凱歌ではない。全軍に緊急撤退を命じる、悲痛な「退却」の合図だった。
「な、何事だ!?」
「前線で何が起きた!?」
解体作業を行っていた職人たちや、後方待機の兵士たちがざわめき立つ。
私は天幕から飛び出し、ベルノと共に高台から森の方角を睨みつけた。
ズシンッ……ズシンッ……!!
大地が揺れている。
森の奥から、木々を薙ぎ倒しながら「何か」がこちらへ向かってくる。
やがて、前線の部隊が血相を変えて森から転がり出てきた。彼らの隊列は完全に崩壊し、多くの者が武器を捨てて逃げ惑っている。
その後方、殿を務めながら血塗れで後退してくるのは、バルザック辺境伯と数名の精鋭騎士たちだった。
「辺境伯閣下! 一体何が……!」
私が声を上げるより早く、森の木々が爆発するように吹き飛び、その姿を現した。
「……嘘でしょう?」
私が思わず呟いたその巨大なシルエット。
それは、通常の魔物の数倍、小山ほどもある漆黒の巨体を持った大蜘蛛――『暴君蜘蛛』の変異体だった。
全身が鋼鉄のような外殻に覆われ、八つの巨大な複眼が不気味な赤い光を放っている。口からは、触れた大地をジュッと溶かす猛毒の紫色の唾液が滴り落ちていた。
「災害級の変異体だ……!! なぜ、こんな浅い階層に!」
バルザックが血を吐きながら叫ぶ。彼の立派な鎧は無残にひしゃげ、左腕がだらりと垂れ下がっている。
「アルフェイド! お前たちは今すぐ荷物をまとめて逃げろ! あれは歩兵の剣や弓が通用する相手ではない! 私がここで時間を稼ぐ!」
バルザックは、死を覚悟した騎士の顔で、残った右腕で剣を構え直した。
「阁下! なりません、今のお怪我では犬死にです!」
ベルノが青ざめた顔で叫ぶ。
基地内は完全にパニックに陥っていた。
逃げろと言われても、これほど大量の物資と魔物素材を抱えて、すぐに撤収できるわけがない。運び出せない分は、全てここに捨てていくことになる。
(……莫大な金貨と時間をかけて集めた在庫を、あんな不細工な虫ケラ一匹のために放棄する?)
私の脳内で、商会主としての「損益計算」が弾き出される。
答えは、絶対否だ。
「ベルノ」
私は漆黒のコートのポッケから手袋を取り出し、ゆっくりとはめながら、氷のように冷たく澄んだ声で命じた。
「逃げる必要はないわ。……あれを出すわよ」
「あ、あれ、とは……まさか、王都の地下で試作していた『特級錬金爆薬』ですか!?」
「ええ。せっかくの実地テストの機会よ。第五テントに保管してある黒い木箱を全て前へ出しなさい!」
「し、しかし! あれはまだ威力が安定しておらず、取り扱いを間違えれば基地ごと吹き飛びます!」
「私が直接計算して起爆させるわ。急ぎなさい!」
私の怒号に、ベルノは弾かれたように職人たちを動かした。
私は高台を駆け下り、絶望のまま立ち尽くすバルザックの横へと並び立つ。
「な、何をしている小娘! 早く逃げろと言っているのが分からんのか!」
「商人はね、自分の財産(在庫)を見捨てて逃げるくらいなら、悪魔とでも取引をして戦う生き物なのよ」
私はバルザックに向かって不敵に笑うと、背後から運ばれてきた黒い木箱の蓋を蹴り開けた。
中に入っていたのは、ソフトボールほどの大きさの、透明なガラス玉。その中には、ドロドロとした真紅の液体が波打っている。
私がこの数週間、前線で回収した『火炎トカゲの腺』や『魔力草の濃縮液』を錬金術で掛け合わせ、極限まで圧縮した超高火力の特製魔力爆弾だ。
「きゅるるっ!」
ルンが私の肩から飛び降り、爆弾の一つを器用に前足で転がして私の足元へ持ってくる。
「……前線の歩兵部隊! 弓兵!」
私は魔力拡声機を手に取り、逃げ惑う兵士たちに向けて絶対的な命令を下した。
「まだ足は動くわね!? 死にたくなければ、私の指示通りに動きなさい! あの蜘蛛を、谷の入り口にある『岩場』まで誘導するのよ!」
私の凛とした声に、パニックに陥っていた兵士たちがハッと我に返る。
彼らにとって、私はこの二週間、決して裏切らずに温かい飯と命を繋ぐポーションを与え続けてくれた「絶対的な信頼」の象徴となっていた。
「か、会長の指示に従え! 弓を構えろ!」
「岩場へ誘導しろ! 走れ!」
指揮系統が、バルザックから私へと完全に移行した瞬間だった。
兵士たちが決死の覚悟で矢を放ち、暴君蜘蛛の注意を引く。
巨体がギチギチと嫌な音を立てながら、兵士たちを追って狭い岩場へと誘い込まれていく。
「今よ! 投石機部隊、撃て!!」
私の号令とともに、後方に急造された投石機から、数十発の「真紅のガラス玉」が一斉に放物線を描いて空へ打ち上げられた。
「な、なんだあれは……?」
バルザックが呆然と見上げる。
真紅のガラス玉は、暴君蜘蛛の巨体と、その周囲の岩場に正確に降り注ぎ――ガチャンッ!と小気味良い音を立てて砕け散った。
「起爆!」
私が指を鳴らした瞬間。
ズドォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!
東部の山脈そのものを揺るがすような、規格外の大爆発が巻き起こった。
真紅の業火が渦を巻き、分厚い岩盤を紙屑のように吹き飛ばす。暴君蜘蛛の鋼鉄の外殻が、超高温の錬金炎によってドロドロに溶け落ち、断末魔の悲鳴すら上げる間もなく、その巨体は爆炎の中に完全に飲み込まれた。
熱風が基地を吹き抜け、私のコートの裾を激しくバタつかせる。
やがて、土煙が晴れた後。
そこには、跡形もなく消し飛んだ岩場と、黒焦げになってピクピクと痙攣するだけの暴君蜘蛛の残骸だけが転がっていた。
「…………」
「…………」
バルザックも、兵士たちも、あまりの光景に誰一人として声を発することができない。
剣や魔法で何十人がかりで挑むべき災害級の魔物が、たった一度の「物量の暴力」によって一瞬で蒸発したのだ。
「……ふぅ。少し火薬の配合が強すぎたかしら。毛皮まで焦げちゃって、素材としての価値が下がったわね」
私は小さく溜息を吐きながら、手袋についた煤をパンパンと払い落とす。
「あ、アルフェイド……貴様、今のは一体……」
腰を抜かしたままのバルザックが、震える声で私を見上げる。
「ただの新商品のデモンストレーションよ。……辺境伯閣下、見事な囮役、ご苦労様でした」
私は懐から新しい羊皮紙を取り出し、サラサラと羽根ペンを走らせる。
「本来なら、戦場での戦闘行為は我々商会の管轄外ですが……今回は特別に『VIP向け緊急防衛オプション』として処理させていただきますわ」
私は満面の営業スマイルを浮かべ、バルザックの目の前にその羊皮紙を突きつけた。
「特級錬金爆薬、使用料五十発分。および、災害級魔物の討伐代行手数料。……しめて、金貨五万枚になります。お支払いは後日、レグナント家の口座からの引き落としでよろしいですね?」
「ご、五万……っ!?」
バルザックは白目を剥き、その場にバタリと仰向けに倒れ込んだ。
「あ、阁下! 誰か、早く特級ポーションを! 料金はお客様のツケで!」
ベルノが慌てて職人を呼ぶ。
私は黒焦げになった巨大蜘蛛の残骸を見下ろし、小さく肩をすくめた。
(剣の腕や精神論も立派だけれど。……最後に戦場を制するのは、圧倒的な資本と技術の力よ)
命を救ってあげたのだから、これくらいの請求は当然の権利だ。
私はモブ令嬢の仮面の下で、莫大な臨時収入にほくそ笑みながら、次なる戦場の片付けを指示するために踵を返した。




