シーン17:崩壊する令嬢の派閥と、銀花会議の新たな幕開け
財務卿ヴァルター・グレイスの電撃的な罷免劇から、数日が経過した。
公式な発表では「度重なる職権乱用と、不当な監査による市場の混乱を招いた罪」とされている。しかし、上位貴族たちの間では、彼が『どこかの巨大な闇の商会』の逆鱗に触れ、王妃殿下の勅命によって社会的に完全に抹殺されたのだという、まことしやかな噂が飛び交っていた。
王立アークレイン学園の教室にも、その余波は完全に波及していた。
「……セレスティア様。わたくし、本日は家の用事がございますので、お茶会は欠席させていただきますわ」
「わ、わたくしも! 申し訳ありません!」
昼休み。
いつもなら取り巻きの令嬢たちに囲まれ、華やかな中心にいたはずのセレスティア・グレイス侯爵令嬢の周りには、見事なまでに誰もいなくなっていた。
彼女の父親が財務卿の座を追われ、莫大な罰金(事実上の賠償金)を支払わされたことで、グレイス侯爵家は火の車に陥っている。権力も財力も失った家の令嬢に、すり寄る貴族などこの学園には一人もいない。
セレスティアは真っ青な顔で下唇を噛み締め、一人ぽつんと自分の席に座っている。
かつて私の前で見せていた、あの傲慢で誇り高い縦ロールの令嬢の面影は、もはやどこにもなかった。
私は、教室の一番後ろの窓際の席で、その光景を静かに眺めていた。
(自業自得ね。権力という他人の褌で相撲を取っていた人間は、その権力が消えた瞬間にこうなる。……商売の基本は、自分自身の『信用』を築くことよ)
私は包帯が取れ、新しい皮膚が綺麗に再生し始めている両手を軽く握り込む。
マルセル先生から特別に処方してもらった極上の軟膏のおかげで、火傷の痕はほとんど残らなそうだ。
「きゅん……?」
鞄の中から顔を出したルンが、セレスティアの様子を見て不思議そうに首を傾げている。
「可哀想だと思う? ルン。でもね、あれが貴族社会のリアルよ。私たちは、ああならないために、誰にも奪われない力――『経済力』を磨き続けるの」
私が小声で囁くと、ルンは納得したように「きゅるっ!」と鳴き、鞄の奥に用意しておいたクルミをかじり始めた。
私は立ち上がり、鞄を持って教室を後にする。
セレスティアを一瞥することもしなかった。私にとって、彼女はもう『ただのクラスメイトの一人』に過ぎない。復讐する価値も、関わる理由もないモブだ。
放課後の王都は、信じられないほどの活気に満ち溢れていた。
財務院の不当な締め付けがなくなり、物流が完全に正常化したことで、五大商会の店舗には朝から晩まで客がひしめき合っている。
特に、医療優先のために数日間休業していた『美容部門』の店舗が営業を再開した日の爆発力は凄まじかった。品薄状態に飢えていた貴族の夫人たちがこぞって商品を買い求め、たった一日で一ヶ月分の売上を叩き出したのだ。
私は馬車に乗り込み、街の喧騒を心地よく聞きながら、偽装された商会本部――『円卓の間』へと向かった。
ガチャリ、とガラス扉を開けて中に入ると、そこにはすでに五大商会の代表たちが、シャンパングラスを手に満面の笑みで集まっていた。
「おお! 会長! お待ちしておりましたぞ!」
巨体のガストンが、顔を真っ赤にして出迎えてくれる。
「皆様、遅れてごめんなさい。学園の授業が少し長引いてしまって」
私がいつものように漆黒のコートを羽織りながら円卓の最奥の席につくと、ベルノが恭しく一礼し、分厚い羊皮紙の束をテーブルに広げた。
「会長。グレイス侯爵家からの『請求書』の支払い、今朝方、金貨十万枚が我々の共同基金の口座へ全額振り込まれたことを確認いたしました」
ベルノの報告に、代表たちから「おおおっ!」というどよめきと歓声が上がる。
「侯爵家の裏の資産から、領地の売却益まで、全てを吐き出させたようです。……これで、休業補填で目減りした共同基金は完全に潤い、それどころか以前の倍以上の規模に膨れ上がりました!」
「よくやったわ、ベルノ。これで私たちの商会の体力は、王国でも並ぶ者のない完全な盤石になったわね」
私は運ばれてきた葡萄水のグラスを手に取り、立ち上がる。
代表たちも、一斉に居住まいを正してグラスを掲げる。
「今回の事件。相手は国家権力という最大の暴力だった。……でも、私たちは武力にも裏金にも頼らず、商人としての『信用』と『知恵』だけで、これを見事に打ち砕いたわ」
私の言葉に、バルトもマダム・セリアも、深く、誇り高き頷きを返す。
「王都の民は、もう私たちがただの強欲な商人だとは思っていない。彼らの生活を支える、絶対に裏切らない基盤だと認識してくれた。……そして、王家という最強のクライアント(顧客)も手に入れた」
私はグラスを高く掲げる。
「銀花会議は、今日から新しいステージに進むわ。これからは王都だけでなく、王国全土の経済を私たちがデザインしていくのよ。……私たちの泥臭く、誇り高き勝利に。乾杯!」
「「「乾杯!!!」」」
グラスが触れ合う澄んだ音が、円卓の間に高らかに響き渡る。
皆の顔には、かつての私への恐怖ではなく、絶対的な信頼と、商売への底知れぬ情熱が満ち溢れていた。
「さて」
祝杯を早々に飲み干し、私はコトリとグラスを置く。
その瞬間、私の顔から和やかな笑みが消え、冷徹な『商会主』の顔へと切り替わる。
「喜ぶのはここまでよ。さっそく次の仕事に取り掛かるわ」
「は、はいっ!」
代表たちが慌ててグラスを置き、メモ帳を取り出す。
「王妃殿下とお約束した通り、来年の『東部辺境への魔物討伐遠征』に向けて、王家への資金および物資の全面バックアップを開始するわ。……ガストン、兵糧用の携帯保存食の増産ラインを確保。バルト、毒消し草の相場が上がる前に東部から全て買い占めなさい。セリア、騎士たちの士気を上げるための新しい石鹸の香りを開発して」
矢継ぎ早に飛ぶ私の指示に、代表たちは悲鳴を上げながらも、その目は爛々と輝いている。
私は円卓の中央に広げられた、王国全土の巨大な地図を見下ろした。
王都の危機を乗り越えた今、私の目はすでにさらに遠くの未来――この王国の経済全てを掌握するための、次なる盤面へと向けられている。
(モブ令嬢としての静かな学園生活も嫌いじゃなかったけれど。……やっぱり、このヒリヒリするような計算と、世界の血流を動かす感覚には敵わないわね)
私の肩の上で、ルンが「きゅるっ!」と力強く鳴いた。
王都の心臓を止めるべく放たれた国家権力の刃は、一人の少女の知略と、名もなき商人たちの泥臭い意地によって完全にへし折られた。
差し押さえられた商品は、皮肉にも王都の命を繋ぐ絆となり、そして今、新たな伝説の第一歩として、彼女の足元に莫大な利益をもたらしている。
裏の女王(モブ令嬢)の商売は、まだ始まったばかりだ。




