シーン16:王妃の御前会議と、財務卿への最後の請求書
翌日の午後。
王城アークレイン宮殿の最奥に位置する『白百合の謁見の間』。
普段は限られた上位貴族しか足を踏み入れることの許されないこの厳粛な空間に、張り詰めた、氷のような緊張感が漂っていた。
玉座に腰を下ろしているのは、王国の国母たるイザベラ王妃殿下。
そして、その御前の大理石の床に片膝をついているのは、昨日まで王都の経済を力で支配できると信じて疑わなかった男、財務卿ヴァルター・グレイス侯爵だ。
「……王妃殿下。昨夜の近衛隊による特務監査隊の拘束、到底納得がゆきません」
ヴァルターは頭を垂れながらも、その声には隠しきれない怒りと不満が滲み出ていた。
「バウマン局長の行動は、王国の経済を蝕む悪徳商会を正すための正当な監査です。それを越権行為と断じられ、あまつさえ私までこのように呼び出されるとは。……何かの手違いではありませんか?」
「手違いではありませんよ、ヴァルター」
王妃は冷ややかに言い放つ。
「事前の通告もなく武力で倉庫を封鎖し、無実の騎士爵の屋敷を深夜に包囲する。それが財務院の『正当な監査』ですか? あなたのその暴走のせいで、王都の物流が止まりかけ、あわや大規模な暴動が起きるところだったのですよ」
「暴動など起きておりません! 現に、昨日の王都の市場は平穏そのもの……」
「ええ、平穏でした。……『彼ら』が血を吐くような思いで、あなたの理不尽な封鎖の穴を埋め、命の物資を運び続けたからです」
王妃の言葉に、ヴァルターが怪訝そうに顔を上げる。
「彼ら……? 殿下、まさかあの商人の烏合の衆の戯言を信じられたのですか? 奴らの背後には、不当な利益を貪る黒幕が……!」
「ええ、その『黒幕』なら、今ここに来ていますよ」
王妃が視線で合図を送ると、謁見の間の重厚な扉が、近衛兵の手によって静かに開かれた。
コツ、コツ、コツ……。
大理石の床を叩く、静かで等間隔なヒールの音。
私が足を踏み入れると、ヴァルターは忌々しそうに振り返り、そしてその目を大きく見開いた。
「……貴様は、アルフェイドの小娘。なぜ、学生風情がここにいる。王妃殿下の御前だぞ!」
私は学園の制服の上に、商会主としての威厳を示す漆黒のコートを羽織っていた。
ヴァルターの怒声に一切動じることなく、私は彼の横を通り過ぎ、王妃の御前で優雅に、しかし堂々としたカーテシー(淑女の礼)を披露する。
「お呼びにより参上いたしました、王妃殿下。銀花会議代表、リリア・アルフェイドです」
「……銀花会議、代表、だと?」
私の名乗りを聞いた瞬間、ヴァルターの顔が痙攣したように引きつる。
「馬鹿な……。貴様のような小娘が、あの五大商会を裏で束ねていただと!? 冗談も大概にしろ! 殿下、このような虚言癖のある娘の言うことを……!」
「虚言ではありません。彼女が私に提示した証拠と、王都の危機を救った手腕。それは紛れもない『本物』でした。……ヴァルター、あなたが相手にしていたのは、烏合の衆でも、強欲な悪党でもありません。王都の経済の心臓を、自らの血を流してでも守り抜こうとした、誇り高き商人です」
王妃の絶対的な肯定。
その言葉が落ちた瞬間、ヴァルターの顔から完全に血の気が失せ、彼は幽鬼のように私を見つめた。
「……貴様が……私の完璧な監査を、一晩で……?」
「完璧な監査? 笑わせないでください」
私は立ち上がり、ヴァルターを見下ろすように冷たい視線を叩きつける。
「あなたは数字と法律しか見ていなかった。倉庫の扉を閉めれば物流が止まると、本気で信じていた。……でもね、経済を動かしているのは冷たい数字じゃない。人間よ」
私はコートのポケットから、一枚の分厚い羊皮紙を取り出し、ヴァルターの目の前の床へと無造作に落とした。
バサリ、という乾いた音が響く。
「な、なんだこれは……」
「『請求書』よ」
私が冷酷に告げると、ヴァルターは震える手でその羊皮紙を拾い上げた。
「あなたの不当な封鎖のせいで発生した、特級回復ポーションの臨時製造にかかった莫大な人件費。手押し車や小舟を裏ルートで手配した緊急輸送費。休業を余儀なくされた美容部門各店舗への休業補填金。……その総額、金貨十万枚」
「じゅ、十万枚だと!? ふざけるな、一商会が国に対してこれほどの額を請求するなど……!」
「いいえ、請求先は国ではありません。財務卿ヴァルター・グレイス。……あなたの『個人資産』に請求しています」
私の言葉に、ヴァルターの目が限界まで見開かれる。
「あ、あり得ない! 私の行動は国家の財務院としての正当な職務……!」
「越権行為による独断の武力行使は、国家の職務とは認められません」
王妃が、氷のような声でヴァルターの言葉を切り捨てる。
「バウマンの尋問により、今回の監査が十分な証拠に基づかない、あなたの個人的な功名心と焦りから出た暴走であることが判明しています。……国家の権力を私物化し、あわや王都の民を飢えさせるところだった罪。本来なら、死罪でも生ぬるい」
王妃の宣告に、ヴァルターはついに両手を床につき、崩れ落ちた。
彼の築き上げてきた『冷徹な財務卿』という仮面が、音を立てて砕け散った瞬間だった。
「ですが、あなたのこれまでの国庫への貢献に免じて、命と侯爵家の存続だけは保証しましょう」
王妃の言葉に、ヴァルターが縋るように顔を上げる。
「ただし。財務卿の地位は即刻罷免。そして、リリア・アルフェイドが提示したその『請求書』の額を、侯爵家の個人資産から全額支払うこと。……それが、あなたの犯した罪の代償です」
「…………っ」
ヴァルターは、もはや反論する気力すら失い、絶望に染まった顔で深く頭を床に擦り付けた。
私は、その屈辱に塗れた男の姿を、一切の同情を持たずに見下ろしていた。
(商売の邪魔をした代償は、きっちりと金で払ってもらうわ。……これで、銀花会議の共同基金から持ち出した補填金も回収できるし、何より『不当な権力には絶対に屈しない』という、最高の宣伝文句を手に入れた)
「リリア」
王妃が私に声をかける。
「ヴァルターは排除しました。これで王都の物流を脅かす者は、当分現れないでしょう。……約束通り、あなたの商会が持つその『力』、王家のために正しく使ってもらいますよ」
「はい、王妃殿下」
私は再び優雅にカーテシーを行い、不敵な笑みを浮かべる。
「王都の血管は、これからも私たちが止めさせません。王家の影の国庫として、最高の『信用』と『利益』をお約束いたします」
(ただし、利益の何割かは、ちゃっかり私たちがいただくけれどね)
心の中でそう付け足しながら、私は謁見の間を後にした。
重厚な扉が閉まり、王宮の回廊へと出た瞬間。
私はふぅ、と大きく息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いた。
「きゅん!」
ポケットの中で息を潜めていたルンが、ひょっこりと顔を出して私の指先を舐める。
「ええ、終わったわ。完全に私たちの勝ちよ、ルン」
私は包帯を巻いた手を優しく撫でながら、窓の外に広がる王都の景色を見下ろした。
眼下には、活気を取り戻し、荷馬車が行き交う平和な大通りが広がっている。
財務卿の理不尽な暴力は去り、私は王家の後ろ盾という、これ以上ない強力な『最強の盾』を手に入れた。
もう、誰も私たちの商会を不当に脅かすことはできない。
だが、モブ令嬢としての静かで目立たない生活は、今日を境に完全に終わりを告げた。
これからは、王家と直接取引を行う『裏の女王』として、貴族たちのドロドロとした権力闘争や、さらに巨大な経済のうねりの中に身を投じることになるだろう。
(でも、悪くないわ。私が作った商品を、誰もが笑顔で手に取るこの王都を守れるのなら……どんな困難でも、計算ずくで乗り越えてみせる)
私は漆黒のコートの裾を翻し、王城の回廊を真っ直ぐに歩き出す。
太陽の光が、私の進む道を明るく照らし出していた。




