シーン14:王妃との取引、モブ令嬢の真の顔
甘い香の匂いが漂う、王妃イザベラの豪奢な私室。
無数の蝋燭が揺らめく中、私は単刀直入に、財務卿ヴァルターが仕掛けた不当な監査と、王都の物流網の封鎖、そして今まさに私の実家であるアルフェイド家が武力で包囲されようとしている事実を、一切の感情を交えずに理路整然と説明した。
王妃はソファに身を沈めたまま、私の言葉を静かに聞いていた。
その表情には驚きも焦りもない。ただ、底知れぬ深淵のような瞳で、私の言葉の真偽を測り続けている。
「……なるほど。財務卿が独断で特務監査隊を動かし、不当に物資を差し押さえた。そして、それに反発したアルフェイド家を反逆罪で潰そうとしている、と」
王妃は小さく息を吐き出し、紅茶のカップをソーサーに置く。
「ですが、リリア。あなたの話には一つ、致命的な矛盾があります。……なぜ、一介の騎士爵家に過ぎないアルフェイド家が、王都の物流を巡って財務卿と対立しているのですか? そもそも、あの強固な財務院の包囲網を抜け、今日一日、王都の市場を平穏に回し続けたのは、一体誰なのですか?」
王妃の鋭い問い。
当然だ。表向きのアルフェイド家は、ポーションの開発に少し関わっているだけの、ただの没落しかけた下級貴族に過ぎない。そんな家が、国家の経済を回せるはずがない。
私は深く息を吸い込み、学園のブレザーのポケットから、もう一つのアイテムを取り出した。
それは、銀花会議のトップのみが持つことを許される、純金の『商会主の印章』。
私はそれを、王妃の目の前にある大理石のローテーブルの上に、コトリと置いた。
「……王都の物流を回し続けたのは、私です」
「あなた、が?」
「はい。私は、王都の裏で五大商会を束ねる『銀花会議』の会長を務めております。ポーションの増産も、孤児院への食料配給も、裏ルートを使った今日の緊急供給も、全て私が設計し、指示を出しました」
私の告白に、王妃の瞳が初めて大きく見開かれた。
「十六歳の……しかも学園に通う令嬢が、あの五大商会を裏で統括していると? ……にわかには信じがたい話ですね。ガイウスが裏で糸を引いているのではなく?」
「お父様は剣の腕は立ちますが、帳簿の数字を見ると五分で眠りにつく人です。商会の実務は、全て私が取り仕切っております」
王妃は私の顔と、テーブルの上の純金の印章を交互に見つめる。
そして、フッと口元を緩めた。
「面白い娘ですね。ガイウスの愚直さとは似ても似つかない、底知れぬ野心と知数を感じます。……ですが」
王妃の声が、急に一段階低く、絶対的な冷たさを帯びる。
「私が財務卿を止める理由にはなりません」
「……!」
「ヴァルターは確かに冷酷で、やり過ぎるきらいはありますが、彼が国庫を潤し、王国の財政を支えているのは事実。彼が『不当な利益を貪る悪徳商会』を潰すと言うのなら、王家としてはそれを黙認する方が利益になる。……違いますか?」
王妃の言葉は、為政者として極めて冷徹で正しい。
一人の騎士爵令嬢の命と、国庫を潤す優秀な財務卿。天秤にかけるまでもない。
「それに、あなたが本当に五大商会のトップだと言うなら、あなたは王家にとって『危険な存在』です。王都の経済を裏から操れるほどの力を持つ組織を、野放しにしておくわけにはいきません。……ここであなたを捕らえ、ヴァルターに引き渡すのが、王家の最も正しい選択だとは思いませんか?」
王妃の背後に控えていた近衛隊長が、チャキ、と剣の柄に手をかける音が響く。
部屋の空気が、一瞬にして殺気に満ちた。
(試されている。私がただの『助けを求める哀れな少女』なら、ここで終わりよ。でも、私は『商人』だわ)
私は一切怯むことなく、むしろ不敵な笑みを浮かべて、王妃の冷たい眼差しを真っ直ぐに射抜いた。
「……王家の利益、とおっしゃいましたね」
私は包帯を巻いた両手をコートのポケットから出し、自分の胸の前でしっかりと組む。
その痛々しい手が王妃の目に入っても、私は気にする素振りも見せない。
「では、王妃殿下。私は助けを乞いに来たのではありません。商会のトップとして、王家に対して『取引』を持ちかけに来たのです」
「取引、だと?」
「はい。もし殿下が私をヴァルターに引き渡し、銀花会議を解体すればどうなるか。……王都の物流は完全に崩壊します。明日から、平民たちはパンを買えず、患者は薬を得られず、貴族の令嬢たちは夜会のドレスも香水も手に入らなくなる」
私は一歩前へ踏み出し、言葉に力を込める。
「ヴァルターは、数字しか見えていません。彼が新しい流通網を整備する前に、王都は暴動の渦に飲み込まれます。その時、民衆の怒りの矛先はどこへ向かうか。……財務卿だけではありません。彼を重用し、暴走を黙認した『王家』へも必ず向かいます」
王妃の眉が、微かにピクリと動く。
「それは脅しですか?」
「事実に基づく予測です。……ですが、もし殿下がここで私の手を取り、ヴァルターの暴走を止める『勅命』を下してくださるなら」
私は組んだ手を解き、王妃に向かって手のひらを上に向けて差し出す。
「私は、銀花会議が持つ全ての物流網と、莫大な『共同基金』を、王家の『影の国庫』として全力で支援することをお約束いたします」
「共同基金……?」
「はい。五大商会が裏で蓄え続けてきた、莫大なプール金です。……お聞きしております。来年、王家は東部辺境の魔物討伐のために大規模な遠征軍を組織される予定だと。しかし、ヴァルターの厳しい徴税をもってしても、その遠征費用は全く足りていないはずです」
私の指摘に、王妃の瞳の奥で驚愕の光が瞬く。
国家の最高機密に近い遠征の予算不足を、一介の商会主が正確に把握していることに驚いているのだ。
「私が生み出す利益は、ヴァルターが暴力で奪い取る税収よりも遥かに巨大で、そして『平和的』です。民衆から恨みを買うことなく、王家の財政を潤すことができる。……王家の利益を第一に考える殿下にとって、どちらの『財布』を持つ方が有益か、計算するまでもないはずです」
私は言葉を切り、静かに王妃の返答を待つ。
暴力と恐怖で国庫を埋める財務卿か。
信用と物流で莫大な富を生み出す影の商会主か。
王妃の私室に、再び重苦しい沈黙が落ちる。
蝋燭の炎がジリッと音を立てて揺れ、甘い香の煙が真っ直ぐに天井へと立ち昇っていく。
やがて。
王妃はソファからゆっくりと立ち上がり、私の目の前まで歩み寄ってきた。
その圧倒的な美しさと威厳に、私は思わず息を呑む。
王妃は私の顔を見下ろし、そして、私が胸の前に差し出していた『包帯だらけの手』を、両手でそっと包み込んだ。
「……王妃殿下?」
「酷い火傷と擦り傷ですね。……帳簿にペンを走らせる商会主の手には見えません。まるで、泥にまみれて働く職人の手のようです」
王妃の冷たかった声に、ふわりと温かい温度が混じる。
「昨夜、王立療養院に届けられた『特級回復ポーション』。……あれは、あなたがこの手で、一から抽出し直したものですね?」
「……はい。中央倉庫が封鎖され、原料が不足していたため、私が自ら臨時設備で手作業で絞り出しました」
「利益を度外視し、自分の手を焼いてまで、平民や患者の命を優先した。……ガイウスが命を懸けてこの国を守ったように、あなたもまた、商売という名の剣で、この王都の民を守ろうとしているのですね」
王妃の瞳が、深く、優しく細められる。
「……あなたがただの強欲な商人なら、私は迷わずあなたを切り捨てていました。しかし、あなたは民の命を最優先に動いた。その事実は、ヴァルターの冷酷な数字よりも、私にとって遥かに価値があります」
王妃は私の手からパッと手を離し、背後に控える近衛隊長を振り返った。
「マーガレット。羊皮紙と、王家の封蝋を用意しなさい。……『勅命』を発布します」
「っ! ははっ!!」
近衛隊長が弾かれたように動き出し、侍女が即座に机の上に羊皮紙を広げる。
王妃は流れるような所作で羽ペンを握り、スラスラと美しい文字を書き連ねていく。
「財務院監査部隊による、第三区画中央倉庫の封鎖を即時解除すること。特務監査局長バウマンを越権行為で拘束すること。……そして、財務卿ヴァルター・グレイスを、王妃の御前に強制出頭させること」
王妃が読み上げる勅命の内容は、ヴァルターの包囲網を木端微塵に粉砕する、まさに絶対の『光の剣』だった。
ドサッ、と。
王家の紋章が刻まれた真紅の封蝋が押され、絶対の効力を持つ勅命書が完成する。
「リリア・アルフェイド」
王妃は勅命書を丸めて銀の筒に収め、それを私に向かって差し出した。
「この勅命書を、あなたに託します。近衛隊の一個中隊を同行させなさい。……今すぐアルフェイド邸へ向かい、ヴァルターの監査隊を蹴散らして、あなたの父親を救い出しなさい」
「……王妃殿下」
私は銀の筒を両手でしっかりと受け取り、深く、深く頭を下げる。
「ありがとうございます。このご恩は、必ず銀花会議の総力を挙げて報いてみせます」
「ええ、期待していますよ。王都の『裏の女王』さん」
王妃の悪戯っぽい微笑みを背に受けながら、私は王妃の私室を後にする。
大理石の廊下を、今度は五十名もの重武装の近衛兵たちを従えて、私は風のように駆け抜ける。
ポケットの中の『緊急通行証』はもう必要ない。私の右手には、王国の最高権力を物理的に叩き潰すための、本物の『勅命』が握られているのだから。
(待っていて、お父様、トマ。……そして、ベルノたち。今から私が、この盤面を完全にひっくり返してあげる!)
王宮の巨大な正門が開き、夜の王都へと私は飛び出していく。
モブ令嬢の静かなる反撃は、ついに国家を巻き込む直接対決の最終局面へと雪崩れ込もうとしていた。




