シーン2:封鎖地点の赤い印と、内部情報の漏洩
「ベルノ、中央倉庫の現在の正確な封鎖状況と、人員の被害を報告して」
私の指示を受け、ベルノは手元の革製バインダーからさらに詳細な一枚の羊皮紙を取り出し、円卓の中央へと広げる。
ザラリ、と乾燥した羊皮紙が黒檀のテーブルを擦る音が、静まり返った部屋にやけに大きく響く。
「はい。先ほどの暗部からの追加報告によりますと、監査隊は倉庫の正面ゲートと四つの裏口を完全に物理封鎖。全ての扉の鍵、計七十二本を管理室から押収し、独自の魔力錠を上乗せして施錠しています。……現在、中から商品を一箱たりとも運び出せる猶予は一切残されていません」
ベルノの声は極めて事務的だが、その額にはじっとりと冷や汗が浮かんでいる。
「鍵だけじゃないわよね。荷物を運ぶための『足』はどうなっているの」
「……最悪です。倉庫の搬入ヤードに待機していた六十台の大型荷馬車は、全て車輪に鉄の鎖を通され、係船柱に固定されました。さらに……」
ベルノはそこで一瞬だけ言葉を区切り、重苦しい息を吐き出す。
「ヤードで待機していた御者、ならびに隣接する仮眠施設で休息を取っていた非番の御者も含め、計八十五名が全員、監査隊によって拘束されました。現在、倉庫内の空き区画に集められ、外部との接触を完全に絶たれています」
その報告を聞いた瞬間、私の背筋を氷の塊が滑り落ちるような悪寒が走る。
円卓を囲む五大商会の代表たちが「御者まで全員だと……!?」と息を呑む声が聞こえるが、私の頭の中ではそれ以上の深刻な事実が警鐘を鳴らしている。
(荷馬車を止めるだけなら、ヤードを封鎖すれば済む話よ。でも、わざわざ仮眠施設にまで踏み込んで非番の御者まで一網打尽にした? しかも、深夜のシフトで動いている八十五名という正確な人数を、監査隊はどうやって事前に把握していたの?)
私は漆黒のコートのポケットから、先が鋭く尖ったガラスペンを取り出す。
真鍮のインク壺の蓋を開け、どろりとした真紅のインクにペン先を浸す。
「ベルノ。監査隊は、御者たちを拘束する際、何か名簿のようなものを確認していなかったかしら」
私が静かに問いかけると、ベルノは目を丸くして頷く。
「おっしゃる通りです。暗部の報告によれば、監査隊の指揮官は手元の羊皮紙と御者たちの顔を一人ずつ照らし合わせ、名前を読み上げて拘束していったとのことです」
ピキッ、と。
私が無意識にガラスペンを握りしめたせいで、ペンの軸が微かな悲鳴を上げる。
(……間違いない。私たちの商会の中に、財務卿に情報を流している『ネズミ』がいるわ)
銀花会議が抱える専属の御者名簿は、他商会への引き抜きを防ぐために厳重な暗号化が施され、毎週金曜日にシフトと共に更新されている。
その最新の名簿が、財務卿の直属部隊の手に渡っている。
ただの監査院の役人が、外から調べて分かるような情報ではない。五大商会の幹部クラス、あるいはそれに準ずるアクセス権限を持った内部の人間が、意図的に名簿を横流ししたのだ。
「か、会長……名簿が漏れているということは、我々の内部に裏切り者が……!」
バルトが顔を青ざめさせ、隣に座るガストンやセリアを疑心暗鬼の目で見回し始める。
「静かに。今は犯人探しをしている時間はないわ」
私は冷徹に言い放ち、ペン先から滴る真紅のインクを、円卓の上の王都の流通地図へと落とす。
カリカリ、カリカリカリ……。
ガラスのペン先が羊皮紙を引っ掻く、硬質で冷たい音が部屋に響く。
私はベルノの報告と暗部の情報をもとに、現在監査隊が配置されているポイントに、次々と真っ赤な×印を書き込んでいく。
「中央倉庫の正門に、二個小隊。裏口四箇所にそれぞれ半小隊。……さらに、倉庫から続く主要な三つの大通り全てに、検問所が敷かれているわね」
私のペンが動くたびに、王都の心臓部である第三区画が、まるで血を流しているかのように真っ赤に染まっていく。
「きゅぅ……」
インクの鉄錆のような匂いに反応したのか、ルンが私の肩からテーブルに降り立ち、地図の上に増えていく赤い×印を不安そうに前足で触ろうとする。
「触っちゃ駄目よ、ルン。手が赤く染まってしまうから」
私は左手でルンの小さな身体をそっと制止し、右手のペンの動きを止めずに地図を睨み据える。
「……見事なまでの完全包囲ね。アリの子一匹、いや、ルンのような小さなリス一匹ですら、正規のルートを通って中央倉庫から抜け出すことは不可能だわ」
私が引き終えた赤い包囲網を見て、代表たちの口から絶望のうめき声が漏れる。
「鍵を奪われ、荷馬車を鎖で繋がれ、さらに動かすための御者まで拘束されている……。仮に強行突破して倉庫の扉を開けたとしても、重い物資を運ぶ足が何一つ残されていませんぞ!」
「お終いですわ! これでは、明日必要なポーションも、孤児院への消毒液も、指をくわえて見ていることしかできません!」
ガストンとセリアが、頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
財務卿ヴァルター・グレイスのやり口は、徹頭徹尾、冷酷で完璧だ。
彼は私たちが武力で反発することも、裏からこっそりと物資を持ち出すことも、全てを予測して『足』を完全に奪いにきた。
商人の最大の武器である『物流網』を、物理的な鎖と人質の拘束によって完全に殺しにきたのだ。
(内部にネズミを飼い、私たちの手足を縛り、王都の真ん中で兵糧攻めにする。……いいわ。国家権力という暴力の強さを、これでもかというほどに見せつけてくれるじゃない)
私はインクの切れたガラスペンを、コトリと真鍮の壺の横に置く。
指先に僅かについた赤いインクを、白いハンカチでゆっくりと拭き取る。
「……ベルノ。監査隊の指揮官の名前は分かるかしら」
「はい。指揮を執っているのは、財務院特務監査局の局長、バウマンという男です。財務卿ヴァルター侯爵の右腕とも呼ばれる、極めて冷酷で計算高い男だと聞いております」
「バウマンね。覚えておくわ」
私はハンカチをポケットにしまい、真っ赤に染まった中央倉庫の地図を見下ろす。
「足が奪われたなら、新しい足を作ればいい。道が塞がれたなら、道なき道を行けばいい。……絶望するのは、私が『無理だ』と言ってからにしなさい」
私の低く響く声に、テーブルに突っ伏していた代表たちがビクッと顔を上げる。
まだゲームの盤面はひっくり返っていない。
彼らが封鎖したのは、あくまで『表の巨大な倉庫』一つだけなのだから。
私は漆黒のコートのポケットの中で、次なる裏の手を放つための強烈な一手へと、すでに指先をかけ始めていた。




