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学園モブキャラな一代限りの騎士爵令嬢ですが、王都の商会はすべて支配しています。~前世知識で作る化粧品とポーションが規格外すぎて、王族も貴族も手放せません~  作者: はりねずみの肉球
第1章:モブ令嬢は、王都を止められる。

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シーン15:南街道の危機と、即断即決の流通手腕

五大商会の代表たちが退室し、重厚なガラス扉が完全に閉ざされる。

密閉された『円卓の間』には、微かに彼らが残していった冷や汗の匂いと、それぞれの商会が扱う香辛料や香水の入り混じった残り香だけが漂っている。


私は革張りの椅子の背もたれから身を起こし、両手で首の後ろを揉みほぐす。

コキリ、と硬く凝り固まった首の骨が小さな音を立てる。


「さて、ベルノ。南街道の件だったわね。報告書を見せてちょうだい」


私が声をかけると、ベルノは手元に控えていた数枚の羊皮紙の中から、一際新しいインクの匂いが立ち上る一枚を抜き出し、私の目の前へと滑らせる。

羊皮紙の表面には、細かい数字と南街道沿いの宿場町の名前がびっしりと書き込まれている。私は羽ペンを指先で弄りながら、その数字の羅列に素早く目を通していく。


「本日正午の時点で、王都の南に位置する『風の谷』周辺の関所にて、ポーションの触媒として使用する『陽炎草かげろうそう』の卸値が、急激に上昇を始めております。昨日からの二十四時間で、価格は実に三十パーセントの高騰です」


ベルノの冷静な、しかし事態の緊急性を孕んだ声が静かな部屋に響く。


「三十パーセント……。異常な上がり方ね。気象局の観測データに、南部の異常気象や魔物の大量発生の報告はあったかしら」


「いいえ。南部の天候は極めて安定しており、街道の安全も騎士団の定期巡回によって担保されております。物理的な供給不足を引き起こす要因は、何一つ見当たりません」


「なるほど」


私は手元の羊皮紙をテーブルの端に除け、代わりに王都全域とその周辺を網羅した巨大な流通地図を引き寄せる。

南街道。王都へ物資を運ぶ主要な三つの動脈のうちの一つであり、温暖な気候を利用した薬草栽培が盛んな地域だ。


(天候不順でも魔物の被害でもないのに、たった一日で三十パーセントも価格が跳ね上がる。……理由は一つしかないわね。誰かが意図的に在庫を買い占め、倉庫に隠して市場の流通量を絞っている人為的な価格操作マーケット・メイクよ)


前世の記憶が、鮮明な警告を発する。

特定の原材料の供給ルートを一つに依存しすぎると、そのルートの元締めが反旗を翻した瞬間に、生産ライン全体が完全に停止する。いわゆる『サプライチェーンの脆弱性』だ。


私は地図上の南街道に置かれた赤い駒を、羽ペンの先でコツンと弾く。


「ベルノ。南部の仲買人組合が、私たち銀花会議の足元を見てきているわね。『青の商会』が特級回復ポーションの増産に踏み切るという情報をどこからか嗅ぎつけて、触媒である陽炎草の需要が跳ね上がると見越したのよ。今、私たちが焦って高値で買い叩きに応じれば、彼らはさらに値段を釣り上げてくるわ」


「左様でございますね。しかし、特級ポーションの増産ラインはすでに来週からの稼働で調整が組まれております。陽炎草の納入が滞れば、市場への投入計画に致命的な遅れが生じます」


ベルノの銀縁眼鏡の奥の瞳が、鋭く光る。

彼が懸念する通り、ここで供給が止まれば、先ほど騎士団のテストルームで見せつけた『絶対的な信用』に初日から泥を塗ることになる。


「きゅぅ……」


地図の上を歩き回っていたルンが、私の険しい顔つきを見て、心配そうに赤い駒を前足でツンツンと小突く。


「大丈夫よ、ルン。こんな底の浅い盤外戦術、私の前では三分も持たないわ」


私はルンのふさふさとした尻尾を軽く撫でてから、視線を地図の『西側』へと大きくスライドさせる。


「ベルノ、南街道からの陽炎草の買い付けを、今すぐ『全面停止』しなさい」


「全面停止、ですか。一時的な凍結ではなく」


「ええ。一株たりとも買わなくていいわ。高値で売り抜けようと企んでいる南部の仲買人たちに、私たちが彼らの在庫に見向きもしなくなったという事実を突きつけてやりなさい」


私は羽ペンの先を、南街道から遠く離れた、王都の西に広がる渓谷地帯――『西の岩石地帯』へと突き立てる。


「代わりに、西の渓谷地帯で自生している『月影草つきかげそう』を緊急手配して。東部から回している空の荷馬車を五十台、西街道へ即座に振り向けるのよ」


ベルノが僅かに目を見張る。


「月影草、ですか。確かに陽炎草と同じ触媒効果を持つとされておりますが……あちらは岩肌に自生しているため採取に手間がかかり、通常の原価は陽炎草の二割増しになります。さらに、西街道からの輸送コストを加えれば、現在の高騰した陽炎草を買うのと、最終的なコストはさほど変わりませんが」


「分かっているわ。目の前の電卓を弾くだけなら、あなたの言う通りね」


私は立ち上がり、テーブルに両手をついて地図全体を見下ろす。


「でも、これは単なる算数の問題じゃない。物流という『神経』を誰が握っているのかという、支配権の戦いよ」


私は西街道を指し示したまま、言葉に力を込める。


「ここで私たちが多少の追加コストを払ってでも西から代替品を調達すれば、南の仲買人たちはどうなる? 彼らは高値で売れると信じて溜め込んだ陽炎草の在庫を抱えたまま、完全に市場から干し上がるのよ。薬草には鮮度がある。一週間もすれば、彼らは腐りゆく在庫を前にパニックを起こし、今度は原価割れの大赤字で私たちに泣きついてくるわ」


物流の真の力は、物を運ぶことだけではない。

『どこからでも運べる』という選択肢を常に持ち、相手に依存しないこと。それこそが、市場をコントロールする最強の武器なのだ。


「なるほど……。南部の組合に『我々を脅すことは不可能だ』という強烈なメッセージを刻み込むわけですね」


ベルノが感嘆の息を漏らし、手元の羊皮紙に猛烈な勢いで指示を書き込み始める。


「その通りよ。多少の初期投資は、南の組合を完全に屈服させるための『教育費』だと思いなさい。西の領主には、私名義で特急の親書を送るわ。関所の通過税を通常の三倍払う代わりに、今夜中の無審査通過を要求して」


「承知いたしました。直ちに手配用の伝書鳩を飛ばし、西街道の各宿場に馬の交換ポイントを増設させます」


「頼むわ。明日の朝までに、西からの第一陣が王都の門をくぐるようにスケジュールを組み直してね」


ベルノは一礼し、即座に円卓の間を出て行く。

彼の足音がフロアに響くと同時に、外で待機していた数十人の情報伝達係が一斉に動き出す気配が伝わってくる。

魔力通信機が鳴り響き、王都中の馬車留めに向けて新たな指令が怒涛のように発信されていく。


(たった一つの判断ミス、たった一時間の遅れが、王国全土の経済を麻痺させる。これが、巨大な物流網を回すということ。私の指先一つに、数千、数万の人間の生活が懸かっている)


私は一人残された円卓の間で、静かに目を閉じる。

極度の集中力を切らした途端、ズシリと重い疲労感が全身の筋肉にのしかかってくる。


「きゅんっ」


ルンが私の手首にすり寄り、冷たくなった私の指先を温めようと小さな身体を押し付けてくる。


「ありがとう。……さて、今日の『銀花会議・会長』としてのお仕事はこれでおしまいね」


私は漆黒のコートのボタンを外し、ふわりと脱ぎ捨てる。

重い鎧を脱いだような感覚とともに、冷徹な経営者の顔がゆっくりと溶け落ち、元の『十六歳の少女』の顔へと戻っていく。


鏡を取り出し、真紅のルージュを丁寧に拭き取る。

ピンと張り詰めていた髪を解き、いつもの地味なリボンで緩くまとめ直す。

鞄の底に押し込んでいた、学園指定の紺色のブレザーに袖を通し、シワを手で払い伸ばす。


再び鏡を覗き込む。

そこにいるのは、王都の経済を掌握する冷酷な女王ではなく、どこにでもいる、少し疲れた顔をした一代限りの騎士爵令嬢だ。


(よし、完璧なモブ令嬢のいっちょ上がり)


私は鞄にルンを忍ばせ、分厚い書類の束をデスクの上に残したまま、円卓の間を後にする。

フロアを歩く私に向けられる視線は、行きとは全く違う。誰もが作業の手を休めることなく、けれどその瞳の奥には、圧倒的な危機を即座に回避してみせた私への、絶対的な信頼と畏怖が揺らめいている。


私は彼らに向かって小さく手を振り、錆びついた裏口の扉を開けて外に出る。

すっかり日の落ちた王都の空には、薄暗い紫色の雲が広がり、冷たい夜風が街路樹を大きく揺らしている。


待機していた質素な馬車に乗り込み、御者台のトマに声をかける。


「トマ、お屋敷に帰ろう。お腹がペコペコよ」


「承知いたしました、お嬢様。本日は、旦那様がお好きなお肉の煮込み料理が用意されているはずですぞ」


トマの口調も、商会の幹部から『アルフェイド家の老御者』へと完全に切り替わっている。


ガタゴトと、馬車が王都の石畳を走り出す。

私は窓枠に寄りかかり、夜の闇に沈んでいく王都の街並みをぼんやりと見つめる。


(今日の増産指示と西街道ルートの開拓で、来週には王都の市場がさらに大きく動く。……私の作ったシステムは完璧だわ。誰が相手でも、どんな危機が来ても、物流の選択肢を握っている限り、私たちは絶対に負けない)


そう。

私には無数の手札があり、無数の道がある。

だからこそ、この王都の経済は私の思い通りに回り続けるのだと、私はこの時、少しの疑いもなく信じ切っていた。


――だが。

その『無数の道』の全てを、国家という絶対的な暴力によって物理的に塞がれるという最悪の事態が、すぐ足元まで迫っていることに、私はまだ気づいていなかった。


温かい夕食の待つ家へと向かう馬車の揺れに身を任せながら、私はただ、明日の学園でいかに目立たずに過ごすかということだけを、暢気に考え続けていた。

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