シーン14:五大商会代表との会議。表向きは別会社。実際は全員がリリアへ報告
開発ラボの分厚い防音扉が背後で重々しく閉まると、再び静寂が私を包み込む。
先ほどの熱気と甘い香りは完全に遮断され、冷たく澄んだ空気が肺を満たす。私は漆黒のコートの襟を軽く正し、コツン、コツンと硬質なヒールの音を響かせながら、再び『円卓の間』へと向かって歩を進める。
私の背後には、青い顔をしたバルトと、まだどこか興奮冷めやらぬ様子のマダム・セリア、そして他の三大商会の代表たちが、まるで雛鳥のように一列になって追従している。
彼らの足取りは、ここに来る前よりも明らかに重く、そして従順だ。現場で見せつけられた圧倒的な技術力と、私の品質に対する冷酷なまでの執着が、彼らの商人としての本能に強烈な楔を打ち込んでいる。
ガラス張りの円卓の間へ戻ると、ベルノがすでに王都全域の精緻な流通地図を黒檀のテーブルいっぱいに広げて待機している。
赤、青、緑、黄、白。五つの色に塗り分けられた木製の小さな駒が、地図上のあちこちに配置され、各商会の現在の勢力図と物流の滞留ポイントを視覚的に示している。
私は自分の席――最も背もたれの高い革張りの椅子へと深く腰を下ろす。
私が座るのを確認してから、五人の代表たちもそっと、音を立てないようにそれぞれの椅子へとしがみつくように腰を掛ける。
「さて、現状の認識はこれで完全に一致したわね」
私は組んだ両手の上に顎を乗せ、円卓を囲む五人の大商人たちを順番に見据える。
王都アークレインの市民たち、あるいは王宮の貴族たちに『王都の経済を握る者は誰か』と問えば、誰もが口を揃えて彼ら『五大商会』の名前を挙げるだろう。
美容と服飾を牛耳る『白百合の商会』。
医療と薬品を独占する『青の商会』。
食料と日用雑貨を広く薄く、しかし確実に支配する『ガルド商会』。
鉄鋼、武具、そして建築資材を束ねる『黒鉄の商会』。
そして、それらの物流を馬車と船で繋ぐ『風切の商会』。
彼らは表向き、王都の覇権を巡って血みどろの派閥争いを繰り広げている犬猿の仲ということになっている。
ある区画では白百合と青の商会が店舗の場所を巡って価格競争を行い、ある街道ではガルド商会と風切の商会が物流の手数料で揉めている……。
そんな『激しい競争』を演出することで、王宮の監査の目を分散させ、新たな新興商会が入り込む隙間を完全に塞いでいるのだ。
だが、この密室の円卓の間に集う彼らの姿こそが、王都の経済の『真実』だ。
激しく対立しているはずの五大商会のトップたちが、冷や汗を流しながら、たった一人の十六歳の少女の指示を待って身を縮めている。
「ベルノ、王都南区の価格調整の進捗を報告して」
私が視線を動かすと、ベルノが音もなくテーブルの横へ進み出る。
「はい。現在、南区では『ガルド商会』の小麦の卸値を意図的に三パーセント引き上げ、『風切の商会』直営の小売店で特売を行わせております。市民の購買層は見事に風切の商会へと流れ、ガルド商会が表向きの打撃を受けているように見せかけています」
ベルノが地図上の黄色い駒を動かし、緑の駒の領地に食い込ませる。
「結構。それで、浮いた利益の補填は?」
「風切の商会が得た特別利益のうち、六割を裏帳簿を経由してガルド商会へ還元済みです。残りの四割は、銀花会議の共有基金へ組み入れました」
「完璧ね。南区の住民は『風切の商会が企業努力で安くしてくれた』と感謝しながらパンを買い、ガルド商会は在庫を余らせることなく裏で確実に利益を得る。そして、この激しい価格競争についていけない中規模の独立商会が、今週末には二つほど根を上げるはずよ。そこを、バルトの『青の商会』が資金援助という名目で吸収しなさい」
「ははっ! 承知いたしました、会長。表向きは救済措置として、恩を着せつつ流通網を丸ごと飲み込んでみせます」
バルトが卑屈な揉み手を作りながら、下卑た笑いを浮かべる。
(ええ、そうやってあなたたちは私の描いた台本通りに踊っていればいいわ。表向きは別々の会社。表向きは激しい競争相手。けれど、その全ての利益は最終的に私の手元で一つに集約され、次の商品開発と物流網の強化へと再投資される)
私は脳内で王都全体の資金の流れを立体的に構築し、一切の無駄がないことを確認する。
「お待ちください、会長」
不意に、円卓の右端から低く濁った声が上がる。
声を上げたのは、食料と日用雑貨を扱う『ガルド商会』の代表、ガストンだ。
彼は五人の中でも最も恰幅が良く、首の肉が厚く折り重なっている。その小さな瞳には、隠しきれない不満の光がドロドロと渦巻いている。
「南区の価格操作の件、利益の補填があるとはいえ、我がガルド商会の店舗に客が寄り付かない状況が続くのは、従業員の士気に関わります。それに、先ほどの薬品部門での『原価上昇を許さない』というお言葉。我々食料部門にも同じ制約を課せられると、正直なところ、割に合いません」
ガストンは太い指でテーブルの上の地図をトントンと叩く。
「現在、東の穀倉地帯で微かな不作の兆候が出ております。この機に乗じて、王都全域で小麦粉の価格を一割ほど吊り上げれば、莫大な利益が転がり込んでくるのです。我々は商人です。儲けられる時に限界まで絞り取るのが、正しいやり方ではありませんか」
円卓の空気が、一瞬にして氷点下まで冷え込む。
他の四人の代表たちが、息を呑んで私とガストンの顔を交互に見比べる。
「きゅるぅ……」
ルンが私の肩の上で低く唸り、毛を逆立てる。
私は組んでいた指をゆっくりと解き、肘掛けに腕を預けて深く椅子にもたれかかる。
そして、極寒の吹雪のような視線をガストンへと突き刺す。
「……ガストン。あなたは、私が一番嫌う言葉を口にしたわ」
「なっ……私はただ、商会全体の利益を最大化するための提案を」
「限界まで絞り取る、と言ったわね」
私の低い声が、部屋の壁に反響する。ガストンの額から、ダラリと冷たい汗が流れ落ちるのが見える。
「小麦は、贅沢品じゃない。王都の平民たちが明日を生きるための命綱よ。それを、不作の『兆候』が出た程度の不確かな理由で一割も吊り上げれば、何が起こるか本当に想像がつかないの?」
私はテーブルの上に身を乗り出し、ガストンの小さな目を逃さず射抜く。
「貧民街ではその日のパンを買えない人間が溢れ、治安が悪化する。治安が悪化すれば、私たちの商会の荷馬車が襲われるリスクが跳ね上がる。護衛の増員コストがかさみ、物流が遅延する。物流が遅れれば、他の全ての部門の利益が連鎖的に崩壊するのよ」
「そ、それは……」
「それに、一度『困窮に乗じて値段を吊り上げた悪徳商会』という烙印を押されれば、二度と平民たちの信用は戻らない。他所から少しでも安い小麦が入ってきた瞬間、彼らは躊躇なく私たちを裏切るわ。……目先の金貨の束に目が眩んで、王都という巨大な『市場の健康』を自分たちで破壊しようとしているのよ、あなたは」
ガストンは言葉に詰まり、厚い唇をパクパクと開閉させる。
「いいこと、ガストン。私の銀花会議に所属している以上、市民の命綱を人質に取るような粗悪な商売は絶対に許さない。東の穀倉地帯の不作の件は、すでに私の手元に正確な気象データが届いているわ。単なる局地的な霜の被害よ。西の農地の備蓄を回せば完全に吸収できる。……価格は、据え置きよ。一分の銅貨たりとも値上げは認めない」
「……っ! か、かしこまり、ました……」
ガストンはギリッと奥歯を噛み締める音を立てながら、深く頭を下げる。
その背中から立ち上る、強烈な不満と反発の気配。私はそれを完全に察知しながらも、あえて力でねじ伏せる。
(……この男、いずれ必ず問題を起こすわね。忠誠心が薄く、目先の利益に弱すぎる。監視のレベルを『特級』に引き上げるよう、後でベルノに指示しておかなければ)
私は心の中でガストンの危険度を再計算し、対処の準備を整える。
今はまだ切り捨てる時ではない。彼の持つ物流倉庫のネットワークは、現在の計画には不可欠だからだ。
「さて、本日の全体会議はこれで終了よ。各員、持ち場へ戻って私の指示通りに動くように」
私が告げると、五人の代表たちは一斉に立ち上がり、深々と一礼して円卓の間から退室していく。
重厚なガラス扉が閉まり、部屋の中には私と、控えているベルノ、そして肩の上のルンだけが残る。
ふぅ、と。
私は誰にも見せない深い疲労の溜息を吐き出し、椅子の背もたれに頭を預けて天井の魔力灯を見上げる。
学園の教室の隅で、上位貴族の令嬢たちに嘲笑われながら、ひたすらに息を潜めていた昼間の自分。
そして今、王都の経済を牛耳る大商人たちを怒鳴りつけ、国家の血流たる物流と価格をたった一言で操作している自分。
あまりにも極端で、あまりにも滑稽な二重生活。
私は天井の光に向かって、自嘲気味に口角を吊り上げる。
(本当に、笑ってしまうわ。……学園では教養も財力もないと見下される、モブキャラな一代限りの騎士爵令嬢。でも、彼女たちが買い漁る化粧品も、彼女たちの実家が頼り切っているポーションも、毎日の食卓に並ぶパンの値段すらも……王都の商会は、すべて私が支配しているのだから)
私は手元の流通地図に目を落とし、王都の中心にそびえ立つ王城の印を指先でなぞる。
私の支配は、今はまだ『裏側』にとどまっている。
誰も、アルフェイド騎士爵家の長女が、この巨大な経済ネットワークの主だとは知らない。
私は静かに商売を続け、人々の生活を豊かにしながら、父が守ったこの家を誰にも見下されない絶対的な存在へと押し上げる。その目標のためなら、どんな労力も惜しまない。
「きゅっ」
ルンが私の頬に冷たい鼻先を押し当て、労うように擦り寄ってくる。
「ありがとう、ルン。……さて、ベルノ。南街道の薬草ルートに不穏な動きがあるって言っていたわね。詳細を聞かせてちょうだい」
私は再び冷徹な経営者の仮面を被り直し、ベルノが差し出す次なる危機の報告書へと手を伸ばした。




