シーン11:数字が語る真実と、的確な経営指示
「座りなさい。さあ、私を楽しませる数字を見せてもらうわよ」
私の静かな一声で、五大商会の代表たちが一斉に革張りの椅子へと腰を下ろす。
バサッ、バサリと。
彼らが手に持つ分厚い羊皮紙の報告書がめくられる音が、冷え切った円卓の間に響く。
部屋は完全に密閉され、魔力灯の人工的な光だけがテーブルの上を照らし出している。漂うのは、彼らが持ち込んだ高級な羊皮紙の匂いと、インクのツンとした香り。そして、大商人たちが発する極度の緊張が生み出す、微かな汗の匂いだ。
「まずは、わたくし『白百合の商会』からご報告申し上げますわ」
最初に沈黙を破ったのは、美容と香水部門を統括するマダム・セリアだ。彼女は王都の貴族夫人のような豪奢なドレスを身に纏い、扇を手にしているが、今はその扇を固く閉じ、手元の書類を両手でしっかりと握りしめている。
「今月の美容部門および香水部門は、先月比で百五十パーセントの純利益を達成いたしました! 特に、会長が監修された『真珠肌石鹸』と、夜用美容液『夜明けの雫』の売上が凄まじく、どちらも予約一年待ちという前代未聞の熱狂を生み出しておりますの。このままいけば、来月の決算は我が商会の歴史上、最高の数字になること間違いありませんわ!」
セリアの顔は紅潮し、声は歓喜に震えている。
他の代表たちも「おおっ」と感嘆の声を漏らし、自分たちの部門も負けてはいられないと前のめりになる。
(……百五十パーセントの純利益。確かに、パッと見の数字は美しいわね)
私は無表情のまま、セリアが差し出した詳細な売上報告書を視線だけでなぞる。
ズラリと並んだ黒字の羅列。
だが、経営者としての私の目は、その数字の奥に潜む『歪み』を瞬時に見抜き、警鐘を鳴らしている。
私は組んだ指を解かず、氷のように冷ややかな声でセリアの歓喜を断ち切る。
「……セリア。あなたが喜ぶのは勝手だけれど、私の目は誤魔化せないわよ」
「え……? か、会長? 誤魔化すなど、滅相もございません! 数字は全て正確なもので……」
セリアの顔から血の気がスッと引く。
「ええ、数字は正確でしょうね。だからこそ、最悪の事態が一歩手前まで来ていることがよく分かるわ」
私は報告書の一箇所を、真紅のルージュを引いた唇の先で示すように視線を落とす。
「石鹸と美容液の『予約枠』に対して、生産ラインの『稼働率』が完全に限界を超えているわ。数字を見てみなさい。第三工房の職人たちの残業時間が、先週から規定の三割増しになっている。……これはどういうことかしら?」
「そ、それは……需要が殺到しておりますゆえ、職人たちに少しだけ無理をさせて、生産ペースを上げようと……。もちろん、特別手当は弾んでおりますわ!」
セリアが額に脂汗を滲ませながら弁明する。
私は小さく、しかし決定的なため息をつく。
「愚かね。手当を出せば人間の集中力が無限に続くとでも思っているの?……職人の疲労は、ダイレクトに『品質の低下』に直結する。特に、あの石鹸は温度管理と熟成期間が命よ。疲れた職人が配合をわずか一グラムでも間違えれば、真珠パウダーの起泡効果が死んで、ただの油の塊になるわ」
「ひっ……!」
「一度でも品質の落ちた商品を顧客に渡せば、『奇跡の石鹸』というブランドは一瞬で崩壊する。利益を追うあまり、一番大切な『品質』を妥協しようとするなんて、商人として三流のやることよ」
私の冷酷な指摘に、セリアは言葉を失い、真っ青な顔でガタガタと震え始める。
「改善策を指示するわ。今すぐ、香水部門の第二工房のラインを止めなさい」
「こ、香水部門をですか!? しかし、香水も現在飛ぶように売れておりまして……」
「香水はこれからの季節、秋冬限定の熟成期間に入るわ。今の在庫で十分に回せる。その空いたラインと職人を、全て石鹸の生産に回しなさい。それで職人の負担は規定内に収まるはずよ」
「は、はいっ! かしこまりました、直ちに手配いたします!」
セリアが震える手でメモを取るのを確認し、私は視線を隣の男へ移す。
青い外套を着た、中年の男。薬品部門を統括する『青の商会』の代表、バルトだ。
「次はあなたよ、バルト。薬品部門の報告を」
「は、ははっ! 我が青の商会も、今月は絶好調でございます!」
バルトはセリアの惨状を見て引きつった笑いを浮かべながら、慌てて書類を差し出す。
「特級回復ポーションの王立療養院への納入は計画通り。一般向けの中級・下級ポーションも、王都中の薬局で品切れが続出するほどの売れ行きです。利益率は驚異の八割! 粗悪な他商会のポーションなど、もはや市場から完全に駆逐いたしました!」
バルトが自慢げに胸を張る。
しかし、私は彼の報告書の一つの数字――『原料仕入れの項目』を見た瞬間、眉間に深いシワを刻む。
バンッ! と。
私は手のひらで円卓を強く叩く。
その乾いた破裂音に、五人の代表全員がビクッと肩を跳ね上がらせる。
「バルト。この『月白根』の仕入れ原価……先月比で二パーセント上昇しているわね。どういうこと?」
「あ、ああ、それですか。大したことではございません。北部の天候不順で、少しばかり収穫量が落ちたとかで、仲買人が値を吊り上げてきたのです。ですが、ポーションの売価が高いので、二パーセント程度の原価上昇など、利益には全く影響いたしません!」
バルトは額の汗を拭いながら、必死に取り繕う。
私は呆れ果てて、深く、重い息を吐き出す。
「……バルト。あなたはまだ、私の商売の基本を理解していないようね」
「え……?」
「二パーセントの原価上昇を『大したことがない』と切り捨てる。その思考の鈍さが、いずれこの商会連合全体を致命的な危機に陥れるのよ」
私は椅子から立ち上がり、両手をテーブルについてバルトを鋭く睨み下ろす。
「月白根は、ポーションの命とも言える主原料よ。その価格が上がるということは、北部の生産地で何らかの異常が起きている証拠。天候不順? 違うわね。気象局のデータでは、北部の今年の降水量は平年並みよ」
私は馬車の中で読んでいた別の報告書の記憶を引っ張り出し、容赦なく事実を突きつける。
「これは、北部の領主が流通を意図的に絞り、価格を操作しようとしている兆候よ。このまま放置すれば、来月には五パーセント、再来月には十パーセントと原価は跳ね上がる。利益率が削られるだけじゃない。最悪の場合、供給そのものがストップして、私たちのポーションを頼りにしている患者や騎士たちを見殺しにすることになるのよ!」
「な、なんだって……!?」
バルトの顔色が一瞬にして土気色に変わる。
「目先の黒字に胡座をかいて、サプライチェーン(供給網)の危機を見逃すなんて、経営者失格よ。今すぐ北部の仲買人との契約を一時凍結しなさい。代わりに、南方の山岳地帯から代替となる薬草の買い付けルートを至急構築すること。初期投資が多少かかっても構わない。調達ルートを複数化して、リスクを分散させなさい」
「は、はいぃぃっ! すぐに動きます!」
バルトが転がるようにして椅子から降り、深々と頭を下げる。
私は再び椅子に座り直し、静かに告げる。
「いいこと? 私が求めているのは、一時的な莫大な利益じゃない。絶対に途切れない供給と、絶対に裏切らない品質。それがもたらす『永続的な信用』よ。数字は嘘をつかないけれど、数字の裏に隠された真実を見抜けない者は、商人として生き残る資格はないわ」
私の言葉が、重い楔のように円卓の間に打ち込まれる。
五大商会のトップたちは、もはや一言も発することができず、ただ額の汗を拭いながら、私という絶対的な存在の前に平伏している。
「……さて。数字の報告はこれくらいにしておきましょうか」
私は手元の報告書を乱暴に閉じ、部屋の隅に控えていたベルノへ視線を向ける。
書類上の経営判断は終わった。ここからは、現場の『実物』を見る時間だ。
「ベルノ。次の予定へ移るわ。試作品のテストを行う場所へ案内して」
「承知いたしました、会長。開発部のテストルームにて、騎士団の協力者たちがすでにお待ちです」
ベルノが恭しく頭を下げ、円卓の間のガラス扉を開け放つ。
私は立ち上がり、漆黒のコートの裾を揺らしながら、まだ震えている代表たちを一瞥する。
「あなたたちも来なさい。机の上の数字だけでなく、現場で何が起きているのか、その目でしっかりと焼き付けておくことね」
ヒールの音を高く響かせながら、私はフロアの奥へと歩き出す。
背後から、慌てて立ち上がり私に追従してくる大商人たちの足音が、まるで私の足跡をなぞるようにバタバタと続いていた。




