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8.美貌の伯爵

トクン…

院長室の重厚な扉が開いた瞬間、アヴァリスは自分の心臓が一拍、余計に跳ねたのを感じた。


そこに現れたのは、噂に違わぬ絶世の美青年だった。


二十五歳のブラック伯爵は、流れるような漆黒の髪を揺らし、仕草の一つ一つが洗練された絵画のように美しい。彼は部屋に入るなり、驚いたようにヨハンナ夫人に目を留め――その一瞬、視線がわずかに強張ったのをアヴァリスは見逃さなかった。


(あら。今、何か……)


だがそれも刹那のこと。伯爵はすぐに完璧な微笑みを取り戻し、アヴァリスに向かって優雅な一礼を捧げた。


「突然の訪問、どうかお許しいただきたい、アヴァリス院長。それに、先客がいらっしゃったとは。私はブラック。美術品の目利きを少しばかり嗜んでいる者です」


低く、耳に心地よく響く声は、アヴァリスの違和感を瞬時に消し去った。


「お噂はかねがね、ブラック伯爵。こちらは王都からお越しのヨハンナ夫人ですわ。どうぞお気になさらず、お掛けになって。それで」


アヴァリスはソファーを勧めながら、値踏みするように伯爵を見つめた。仕立ての良い上着、磨き抜かれた靴。金の匂いがする。


「名高き伯爵が、このような場所へ一体どのようなご用件かしら?」


伯爵は優雅に着席すると、美しい眉を少し曇らせてみせた。指先が、膝の上でほんの少し落ち着きなく動いている。


「実は、非常に差し迫った事情がありましてね。街で耳にしたのですが……こちらの院長は、困窮した信者のために慈善の援助を惜しまない、大変慈悲深いお方だと」


「ええ、まあ。神の教えに従っているまでですわ」


アヴァリスは調子よく微笑んだ。実際は金を絞り取ることしか考えていないが、美青年に褒められて悪い気はしない。むしろ、これほどの美貌に見つめられて平静を装うのは、思ったより骨が折れた。


「それを聞いて安心しました。実は、私の古い友人であるスウィンデル家のことで相談に参ったのです」


「スウィンデル家……!」


アヴァリスの耳がピクリと動いた。声に出さないよう堪えたつもりだったが、喉の奥から勝手に零れてしまう。ヨハンナ夫人が、何事かしらと興味深そうに伯爵を見つめる。その視線が一瞬、伯爵と交差した――ように、アヴァリスには見えた。気のせいだろうか?


「ご存知ですか? かつては大富豪でしたが、今は見る影もない。彼らは本当に困窮しており、明日のパン代にも事欠く有様だとか。そこで、彼らの応接室に唯一残された、古い肖像画を売却したいと私に相談があったのです」


伯爵は小さくため息をつき、言葉を続けた。


「私は美術の専門家として、あの絵に大した市場価値がないことは分かっています。しかし、彼らにとっては先祖から伝わる家門の魂。できるだけ高値の即金で買い取ってくれる奇特な客を探してほしいと泣きつかれましてね。その時、ふと思い出したのです。以前、院長がスウィンデル家のお嬢様に『美術品の寄進と引き換えに、修道院から援助ができるかも』と仰っていたと」


アヴァリスの脳内で、バラバラだったパズルのピースが一気に噛み合わさった。


(やっぱりそうだわ! サブリナが必死に隠そうとし、ギルバートが毎日泣き暮らし、シドニーが「魂が吸い込まれる」と怯えていたあの古い絵! ブラック伯爵は「価値がない」と言っているけれど、彼は道楽が高じた程度の目利きに過ぎないわ。没落貴族が死守したお宝の本当の秘密を、見抜けていないのよ!)


心臓が早鐘を打つ。両手が、スカートの上でぎゅっと握られていた。この興奮を悟られてはいけない!アヴァリスは長年の演技力を総動員して、表情を取り繕った。


「まあ、スウィンデル家がそこまで……。ですが伯爵」


一拍、間を置く。焦っていると思われたくない。


「私も聖職者とはいえ、実物を見ないことには、修道院の貴重な資金を出すわけにはいきませんわ」


「ごもっともです。ならば今から、私と共にスウィンデル邸へ足を運んでいただけませんか? 今ならギルバート氏も在宅のはずです」


やけに早い。アヴァリスの頭の片隅で、小さな警鐘が鳴った――こんなに都合よく、話が進んでいいものだろうか?


すると、横で静かに話を聞いていたヨハンナ夫人が、パッと美しい顔を輝かせて手を挙げた。


「まあ、美術品のお話かしら? 楽しそうですわね。院長様、私も絵を見るのが大好きなのです。もしよろしければ、お散歩がてら同行させていただいてもよろしいかしら? 夫を亡くして以来、退屈しておりましたの」


その言い方は、あまりに自然すぎた。まるで、最初からこの話を知っていたかのように。


チラリと目に入ったヨハンナ夫人の指に輝く指輪の真珠が、違和感を瞬時に忘れさせる。ほくそ笑む。


(大富豪の未亡人を同行させれば、私の威光もより輝くわ。それに、夫人に私の慈善活動の素晴らしさを見せつければ、さらに寄付金を絞り取りやすくなる!)


「ええ、もちろんですわ、ヨハンナ様。ご一緒しましょう」


アヴァリスは立ち上がり、伯爵とヨハンナ夫人を交互に見た。二人はまるで初対面のように、当たり障りのない微笑みを浮かべている。だが、その完璧すぎる無関係さこそが、かえって奇妙だった。


(今日はどうも考えすぎだわ。絶好の幸運日がたまたま今日だった、ただそれだけのことよ)


「伯爵、案内していただけるかしら? 迷えるスウィンデル家を救うため、このアヴァリス、一肌脱ぎましょう!」


強欲な院長、大富豪の未亡人、そして美貌の伯爵。三人はそれぞれの胸に、まったく異なる思惑を隠しながら、奇妙な三人連れは、スウィンデル邸へと、意気揚々と馬車を走らせるのだった。


馬車の窓越しに、アヴァリスはちらりと後ろを振り返った。伯爵とヨハンナ夫人は、窓の外の景色を眺めながら、何やら小声で言葉を交わしている。何を話しているのかまでは、聞き取れなかった。

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