3.導きの聖石
修道院の裏庭に続く、木漏れ日の差し込む回廊。アヴァリスはこれ以上ないほど神妙な面持ちで、小さなシドニーを見下ろしていた。その瞳は、獲物を前にした鷹のようにつやめいている。
「まあ、なんて健気な少年かしら。亡きお母様を天国でより幸せにしたいだなんて、神も深く感動しておられますよ」
声には涙さえ滲ませているのに、足元では靴の爪先が待ちきれないとばかりに小刻みに揺れていた。
「本当ですか、院長様! 街の人に、ここの院長様はとっても偉いお方だって聞いて、相談に来たんです!」
シドニーは目を輝かせ、アヴァリスの手元をじっと見つめた。そこには、彼女がさきほど裏庭の植え込みから拾い上げたばかりの、どこにでもある灰色の小石が載っている。
「ええ、本当ですよ。この『導きの聖石』は、祈りの力を何倍にも高めて天へと届ける奇跡の品なのです。本来なら、信心深い大貴族の方々にしかお分けしない特別なものなのですが……あなたのその純粋な涙に免じて、今回だけ、特別にお譲りしましょう」
アヴァリスは小石を両手で包み、目を閉じて拝むような仕草をした。心の中では「これ、さっき私の靴についた泥を落とした石よね」と思いながら。
「わあ……! ありがとうございます!」
「ですが、奇跡を起こすには、それ相応の『誠意』を神に示さねばなりません。あなたの手にあるその布袋……中身を全て、この聖なる箱へ捧げるのです。そうすれば、お母様の魂はすぐにでも天国の一番心地よい特等席へと案内されるでしょう」
アヴァリスが差し出した木箱を見つめ、シドニーは一瞬、姉の髪飾りのことを思い出した。しかし、アヴァリスの「今を逃せば、お母様が悲しまれますよ」という滑らかな追撃に、少年の心は完全に引きずられた。
「はい! お母様のためなら、僕のお小遣いなんて全然惜しくありません!」
チャリン、と小気味よい音が響き、シドニーが何ヶ月もかけて貯めた布袋が木箱へと吸い込まれていく。アヴァリスは内心で「大収穫だわ!」と快哉を叫びながら、少年の小さな手のひらに灰色の小石を恭しく載せた。
「さあ、これをお持ちなさい。あなたの家は、これで永遠に守られるのです」
「はい! ありがとうございます、院長様!」
シドニーは小石を両手で宝物のように包み込み、満面の笑みで修道院を駆け出していった。まさにその瞬間、アヴァリスの慈愛の表情はぴたりと消え失せ、彼女はすかさず木箱に飛びつくようにして布袋を取り出した。
袋の口を開き、中身を覗き込む。次の瞬間、両手で袋を掲げて小躍りしそうになるのを、なんとか堪えた。
「本当に可愛いお馬鹿さんね。お小遣い全額だなんて、一体いくら入っているかしら」
袋の重みを手のひらで確かめながら、にたりと口角を吊り上げる。
「今夜のワインは、もうワンランク上の銘柄に変えさせなくては。いいえ、いっそ二階級くらい上げてしまいましょうか」
その頃、スウィンデル家のリビングでは、サブリナが壁の時計を気にしながら、弟の帰りを待っていた。
「ただいま戻りました、お姉様! お父様!」
勢いよく扉を開けて入ってきたシドニーの顔は、達成感で満ち溢れている。だが、サブリナの目は、彼のズボンのポケットが不自然に軽くなっていることを見逃さなかった。
「おかえり、シドニー。ずいぶん早かったのね。……ねえ、その手にあるものはなぁに?」
「これね、修道院長様が僕のために特別に譲ってくれた『導きの聖石』なんだよ! これでお母様の魂が、天国の特等席に行けるんだって!」
シドニーは自慢げに、小石をサブリナの目の前に突き出した。
「……小石? 待って、シドニー。私への誕生日プレゼントのために貯めていたお小遣いはどうしたの?」
「神様に捧げたんだ! 院長様が、それでお母様が救われるって教えてくれたから。僕、お姉様のプレゼントも大事だけど、お母様の魂の方が優先だと思ったんだ。良いお買い物をしたでしょう?」
純粋にやり遂げたという表情の弟を前に、サブリナは言葉を失った。隣で話を聞いていた父親のギルバートも、持っていた新聞をゆっくりと下ろす。
「シドニー……君は、その院長にいくら渡したんだって?」
「布袋ごと、全部だよ! 院長様は本当に優しくて、僕の話を涙を流しながら聞いてくれたんだ。あそこには本物の聖女様がいるよ!」
嬉しそうに小石を抱えて自室へ走っていく弟の後ろ姿を見送りながら、サブリナの琥珀色の瞳からすうっと光が消え、代わりに冷ややかな火が灯った。
「……お父様」
「ああ、サブリナ。どうやら我が家の一番大切な宝物が、悪い狐に騙されてしまったようだね」
ギルバートは美しく整った眉をひそめ、困ったように微笑んだ。だが、その目は全く笑っていない。
「あの強欲院長、子供の純粋な心を踏みにじるなんて、ひどい話ですわ。お父様、私、明日修道院までお散歩に行ってまいります」
その声には、弟のために黙っていられない姉の芯の強さがにじんでいた。




