19.白鴉の乾杯
場面は変わり、スウィンデル邸。
先日の騒動が嘘のように、邸内には温かで美しいランプの光が優しく灯っていた。応接室の大きな丸テーブルの上には、見事なローストビーフや色鮮やかなサラダ、そして上質なワインが並べられ、その周囲を囲むように、四人の男女が集まっていた。
「それでは皆様、悪徳院長アヴァリスの完全なる自滅と、我が『白鴉』の輝かしい大勝利に、乾杯!」
漆黒の髪を無造作にまとめ、動きやすい上質な衣服に着替えたブラック伯爵が、華やかにワイングラスを高く掲げた。
それに合わせて、いつもの上品な黒い喪服を脱ぎ捨てて、鮮やかな真紅のドレスをまとったヨハンナ夫人、そして優雅に微笑むギルバートとサブリナが、満面の笑みでグラスを合わせた。チリン、と小気味よい音が夜の応接室に響き渡った。
彼らは、権力を笠に着て弱者を虐げる悪党の不当な財産を奪い取るコンゲームグループだ。
「いやあ、今回は上手くいきましたね。ギルバートさんのあの涙の演技、あまりに迫真すぎて、後ろで見ていた私は笑いを堪えるのが本当に大変だったんですよ」
ブラック伯爵が楽しそうに笑うと、ギルバートは綺麗に整えた髭をなでながら、誇らしげに胸を張ってみせた。
「失礼な。私は、本当に先祖のことを想って全力で泣いたのだよ。まあ、あの肖像画は骨董市で買った安物だけどね」
「それに、あの誇らしげな啖呵。『我が家の魂とも言える大切な絵を!』って、ご自分で言ってて笑いそうになりませんでしたの?」
サブリナがからかうように尋ねると、ギルバートは大真面目な顔で「あれくらいの覚悟がなくては、名優とは呼べないよ」と言い返し、テーブルを囲む一同から笑いが零れた。
「それにしても、あの院長の食いつきっぷりといったら、私の狙い以上で本当に傑作でしたわ」
サブリナは琥珀色の瞳を愉快そうに細め、柔らかく焼かれたローストビーフをナイフで上品に口に運んだ。
すべての発端は、数ヶ月前。純粋なシドニーが何ヶ月も貯めた大切なお小遣いを、あの院長に「導きの聖石」などと、裏庭の小石で言葉巧みに騙し取られたことだった。激怒したサブリナが修道院を調べたところ、アヴァリスが若い修道女たちを日常的に虐待し、信者からの寄付金を着服している事実を突き止めたのだ。
「お小遣いをすんなり返してくれたら良いのだけれど。子供の純粋な心を踏みにじるような悪党には、それ相応の罰が必要でしょう?」
サブリナのその強い提案に、グループの仲間たちが一斉に動いた。
まず、サブリナが修道院を訪れ、「何の価値もない古い絵」を頑なに隠す素振りを見せることで、アヴァリスの強欲な直感を刺激した。次に何も知らないシドニーを悲しませ「父親が絵の前で毎日泣き暮らしている」という嘘の情報を吹き込んだ。
さらに、噂の大富豪の未亡人「ヨハンナ」と、王都の美術の権威「ブラック伯爵」を順番に投入し、アヴァリスの目の前でその絵に大金を提示することで、彼女の焦りと独占欲を極限まで煽り立てたのだ。
「極めつけはウルトラマリンの仕掛けね。気付いてくれて良かったわ」
ヨハンナ夫人が悪戯っぽくウインクをした。
あらかじめ、絵の端の目立たない剥げかけた部分にだけ、ブラックが手配した本物のラピスラズリの絵の具をほんの数ミリだけ仕込んでおいたのだ。アヴァリスが欲に駆られてそれを自分の爪で削り取り、王都の鑑定院(もちろん、仲間が経営する偽の鑑定機関だ)へ送るよう指示した時点で、彼女の敗北は決まった。
「今回の作戦の経費は、お菓子代、ウルトラマリン代、肖像画の購入費、それと偽の報告書の印刷代で、合わせて金貨十枚ですね。ああ、でも偽の鑑定料で五枚を回収したので、金貨五枚が経費です」
ブラックが手帳を開いて、一覧表を一同に披露する。
「対するこちらの収入は、アヴァリスが地下金庫から大慌てで横領して我が家の机に置いていった金貨二千枚。つまり……一九九五枚の大儲けですわ!」
サブリナがパチパチと嬉しそうに手を叩くと、テーブルの上に、あの重厚な麻袋から溢れ出た本物の金貨が、ランプの温かい光を浴びてキラキラと眩しく輝いた。
「しかし、一番の傑作は」と、ギルバートがくつくつと笑いを堪えながら口を開いた。「教会からの査察官が来たと分かった瞬間のアヴァリスだ。修道院内の協力者が先程知らせてくれたが、幽霊でも見たような顔だったそうだよ」
「あら、でもあの査察官、私は一切関わっていませんのよ」
サブリナが肩をすくめてみせた。
「教会本部はもともと数年おきに定期査察を行っているそうで、たまたま今年がその年に当たっていただけ。皮肉なものね、こちらは何も仕掛けていないのに、勝手に震え上がってくれたんだから」
「それに」とギルバートがくすりと笑う。「聞くところによると、あそこの教会は帳簿の管理がとにかく杜撰らしい。査察官が見るのも表向きの寄付台帳くらいで、地下金庫の中身まで一枚一枚数えて突き合わせるような几帳面さは持ち合わせていないそうだ。だから、アヴァリスが横領したことなんて、未来永劫、誰にも気づかれないだろうね」
「 じゃあ、あの人が怯えているのは……?」
「ああ。本人だけが勝手に怯え続けるんだ。」
「まあ、ふふっ」
サブリナはワイングラスをくるりと回しながら、肩を揺らす。
「ところで――」とヨハンナ夫人が身を乗り出す。「あの人、今頃どうしているのかしら。あの南の修道院、確かスウィンデルの遠縁が管理しているところよね?」
「ああ、それなら手紙が届いていますわ」
サブリナがくすくすと笑いを噛み殺しながら、懐から一通の手紙を取り出した。
「修道院長からの近況報告。読み上げましょうか」
一同が身を乗り出す中、サブリナは咳払いをひとつして読み上げ始めた。
「『新しく赴任されたアヴァリス様は、大変熱心に鶏小屋の掃除に取り組んでおられます。当初は「私を誰だと思っているの」と鶏を相手に怒鳴り散らしておいでで、鶏たちも随分驚いておりましたが、最近では鶏たちの方が慣れてしまい、彼女の怒声を聞いても顔色一つ変えなくなりました』」
テーブルを囲む四人が、揃って噴き出した。
「『また、毎晩ワインを所望されますが、村には安いエールしかなく、大変残念そうにしていらっしゃいます。先日は井戸端で洗濯物を絞りながら、誰へともなく「見ていなさい、いつか必ず王都に返り咲いてやるわ」と呟いておられるのを、若い修道女が目撃したそうです』」
「あはは、鶏相手に啖呵を切っているのね、あの人」
ヨハンナ夫人が涙を拭うほど笑いながら、優雅にワインを口に運んだ。
「王都に返り咲く前に、まずは鶏に舐められないようにならなきゃね」
サブリナが手紙を丁寧に畳みながら言うと、一同は再びグラスを掲げた。
「それでは、改めて。次に狙うターゲットの算段でも立てようか」
ブラックがそう締めくくると、四人はグラスを合わせ、朗らかな笑い声が、スウィンデル邸に響き渡っていくのだった。




