20.天使の道案内
金貨の山分けも無事に終わり、四人がこれからの計画について笑い合っていた、その時だった。
カチャリ、と静かに玄関の鍵が開く音が響き、元気な足音が廊下を駆けてくる。
「ただいま戻りました、お姉様! お父様!」
扉を勢いよく開けて入ってきたのは、何も知らない少年シドニーだ。彼は応接室に集まっているブラック伯爵やヨハンナ夫人を見て「あ、いつもの親切な人たちだ!こんにちは!」と人懐っこい笑顔を浮かべた。
「おかえり、シドニー。随分と遅かったのね。街で何かあったの?」
サブリナがいつもの優しい姉の表情に戻り、弟を迎え入れた。シドニーは帽子を脱ぎながら、身振り手振りを交えて話し始めた。
「うん! この前、修道院の前を通ったときのことなんだけどね。黒い馬車が停まっていてね。アヴァリス院長様が、怖い顔をした男の人たちに囲まれて、灰色の服を着せられて連れて行かれるのを見たんだ!」
「まあ、それは大変なことでしたわね」
ヨハンナ夫人がわざとらしく口元を押さえて驚いてみせたが、目の端は笑いを堪えるようにぴくぴくと震えていた。
「そうなんだよ! 修道女の人たちもみんなで院長様を指差して笑っていて……僕、なんだか可哀想になっちゃった。ずっと気になっていて、今日やっと皆に話せたよ。院長様は僕の話を涙を流して聞いてくれて、お母様のためにって『導きの聖石』を譲ってくれて、あんなに優しくて良い人なのに。 早く修道院に戻ってきてくれるといいね、お姉様!」
シドニーは本気でアヴァリスの身を案じ、その澄んだ大きな瞳を潤ませている。
どこまでも的外れな同情を前に、大人たちは一瞬言葉を失った。
ギルバートは口髭の下でこっそりと口元を歪め、必死に真顔を保とうとしていた。ブラック伯爵に至っては、明後日の方向を向いてワイングラスの中身をじっと見つめる演技に徹している。
サブリナはそっと椅子から立ち上がると、愛おしそうに弟の元へ歩み寄り、その小さな体を優しく抱きしめた。
「ええ、本当にね、シドニー。あなたの言う通りだわ」
サブリナは弟の背中を優しく撫でながら、彼の耳元で、しかし後ろの大人たちにはっきりと聞こえるような悪戯っぽい声で、静かに微笑んだ。
「あなたは本当に純粋で、世界一良い子ね。ねえ、シドニー。その綺麗な心のままで、ずっといて頂戴。そして……また街で、あのアヴァリス様のように優しい『良いお客様』を見つけたら、いつでも紹介してね?」
「うん? 良いお客様? よく分からないけれど、お姉様が言うなら分かったよ!」
キョトンとした表情で首をひねるシドニー。その無防備で天才的な「天使の道案内」の姿を見て、サブリナ、ギルバート、ダニエル、ヨハンナは、もう限界だった。
「――ぶはっ! あっはははは!」
我慢の限界を迎えたブラック伯爵が先陣を切って噴き出すと、それに釣られるようにギルバートも肩を震わせて笑い出し、ヨハンナ夫人は目に涙を浮かべながらハンカチで口元を押さえた。
「いやあ、シドニー君には敵いませんね! 世界で一番腕利きの『天使』ですよ、あなたは」
「え? みんな何で笑っているの? 僕、変なこと言った?」
シドニーだけがきょとんとした顔で、大人たちの笑いの輪を不思議そうに見上げている。その困惑顔がまたおかしくて、笑いはますます収まらなくなった。
シドニーは笑いの輪から少し外れると、ポケットに大事そうにしまっていた小さな灰色の石を取り出し、両手でそっと包み込んだ。
「ねえ、お姉様。僕、これ、ずっと大事にするね。院長様が『これを持っていれば、迷わず正しい道を歩けるようになる』って言ってくれたんだ」
シドニーは石を光にかざし、うっとりとした眼差しでそれを見つめた。
「だから、誰かに取られたりしないように、ちゃんとしまっておかなくちゃ」
その言葉に、笑いの輪が一瞬、ぴたりと止まった。
サブリナは束の間、口元を引き結んだが、すぐにいつもの優しい微笑みを取り戻し、弟の丸い頭をくしゃりと撫でた。
「ええ、そうね。それはシドニーだけの、大切な宝物だもの。誰にも渡しちゃ駄目よ」
「うん!」
裏庭で拾ったただの石ころに、これほどまでの価値を見出す弟の笑顔を前に、テーブルを囲む大人たちは、もう堪えることを諦めた。今度は先ほどよりもさらに大きな、けれど誰よりも温かい笑い声が、応接室いっぱいに広がっていく。
悪党の強欲さを逆手に取り、見事なコンゲームを成し遂げた「白鴉」の面々。
騙し取られた小遣いは、形を変えて数万倍の富となり、家族の元へと戻ってきた。スウィンデル家の夜は、澄み切った少年の笑い声とともに、かつてないほど賑やかに、そして愉快に更けていくのだった。




