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17.査察官現る

「調査」という刃のように鋭い響きが、応接室の重苦しい空気の中にいつまでも残っていた。


アヴァリスの頭の中の計算機が、今度は怒りではなく、恐怖のあまり激しく煙を上げて非常警報を鳴らし始める。


もしここで感情に任せて衛兵を呼び、教会の上層部に事態の仲裁を委ねれば、当然、支払われた金貨二千枚という大金の出処に厳重な調査が入る。そうなれば、修道院の地下金庫から無断で教会の公金を横領した事実が、一発で、しかも言い訳の余地なく白日の下に晒されることになるのは明白だった。大騒ぎすれば、誰よりも先に自分が破滅するのだ。


(バレる……。私が公金を横領したことがバレたら、院長の座を追われるどころか、一生光の当たらない監獄行きよ……!)


アヴァリスの顔からみるみる血の気が引き、土気色へと変わっていく。唇は不自然に震え、先ほどまでの威勢は完全に霧散している。


それを見たギルバートは、気の毒そうに、しかし完全に勝者の余裕を持って、優雅にソファーに背を預けた。


「院長様、我が家はご覧の通り、二年前の災難以来、失うものなど何もない没落貴族です。法廷で争い、我が家の名が汚れることなど今さら恐れてはおりません。あなたが望むのなら、私どもはいつでも喜んでお付き合いいたしますよ?」


「う、うぅ……」


アヴァリスは握りしめていた拳を、ぶるぶると震わせながら下ろすしかなかった。サブリナの琥珀色の瞳は、アヴァリスの退路が完全に断たれていることをすべて見抜いているようだった。悔しさと屈辱で奥歯がガタガタ鳴るが、ここで引き下がらなければ、待っているのは本物の破滅なのだ。


「……今日のところは、これで引き上げてあげますわ。私の寛大な心に感謝なさい」


アヴァリスは精一杯の虚勢を張り、震える声でそう言い放った。


「ですが、神はすべてを見ておられます! あなたがたのような不誠実な人間たちに天罰が下ることを、私は修道院で夜通し祈り続けてあげますからね!」


負け犬の捨て台詞を残し、アヴァリスは体を引きずるようにしてスウィンデル邸を飛び出した。


帰りの馬車の中、彼女は座席に転がした白い木枠を呪わしげに睨みつけながら、爪を噛んでブツブツと呪詛のように呟き続けた。恐怖で凍りついていた胸の中に、少しずつ、無理やり作り出したような強がりが染み込んでいく。


「おのれ、おのれ……よくも私をコケにしてくれたわね」


震える声に、徐々に苛立ちの色が戻ってくる。


「でも、いいわ。今回は私の不手際だったけれど、幸いにもまだ教会の定期査察までは数ヶ月の猶予がある」


そう自分に言い聞かせるうちに、恐怖はいつしか根拠のない自信へとすり替わっていった。


「そうだわ……先週、告解に来ていたあの毛皮商人の未亡人。夫の遺産で持て余しているという話だったわね。まだ悲しみも癒えぬうちに『亡き夫の魂の救済のため』とでも囁いてやれば、二千枚くらいはすぐに用意してくれるはず。それに、隣街の醸造所を継いだばかりの若旦那も、成金特有の見栄っ張りだと評判だったわ。教会に寄進すれば貴族の称号に箔がつく、とでも吹き込んでやれば、競うように財布を開くでしょうよ」


自身の失脚への恐怖を必死にかき消すように、次なる獲物の名前を次々と頭の中で並べていく。暗く沈んでいた気分が、いつの間にか高揚に近い何かへと塗り替えられていった。


「それに……ギルバート。あの坊やも、私を虚仮にしたぶんの利子をきっちり払ってもらわなくては」


アヴァリスの唇に、昏い笑みが浮かぶ。


「サブリナがあれほど利口だということは、あの家にはまだ何か隠し財産があるということよ。今度は搦め手で行くわ。ヨハンナ夫人に『実はあの絵、贋作だったようですわよ』と耳打ちしてやりましょう。傷心のあの人が、ギルバートへの想いごと一気に冷めれば、スウィンデル家に転がり込むはずだった夫人の財産という当てもきれいさっぱり消えてなくなる。そのうえで、私が地道に築いた社交界の伝手を使い、『スウィンデル家は詐欺まがいの絵を掴ませようとした』という噂を、それとなく方々に流してあげるの。ふふ、王都の商人たちはとにかく評判に敏感だから、あの一家との取引をこぞって避けるようになるでしょうね。金貨二千枚を取り返すことはできなくても、せめてあの澄ました顔に泥を塗ってやらなければ、私の気が済まないわ」


まるでもう成功したかのように、口元にはうっすらと笑みさえ戻っていた。ついさっきまでの絶望が嘘だったかのように。


馬車は修道院の正門へと滑り込んだ。


「着いたわ。さあ、すぐに次の計画を立てなくては――」


アヴァリスが馬車の扉を開けたその瞬間、彼女の足がピタリと凍りついた。


前庭には、いつもいるはずの怯えた若い修道女たちの姿は一人としてなかった。代わりに佇んでいたのは、見上げるほどに立派な、王都の聖堂の紋章が入った重厚な黒い馬車。そして、そこから降りてきたのは、冷ややかな、一切の感情を排した目をした、王都の教会本部から派遣された三人の特別査察官たちだった。


「アヴァリス院長。随分とお忙しくお出かけのようですね」


中央に立つ最年長の査察官が、手にした分厚い監査帳簿をパタンと冷たい音を立てて閉じ、氷のような声を響かせた。アヴァリスの視界が、今度こそ真っ暗に染まっていくのだった。

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