11.秘密の鑑定
スウィンデル邸からの帰り道、馬車の座席に揺られながら、アヴァリスは握りしめたハンカチの感触ばかりを気にしていた。
その中には、先ほど肖像画の端から掠め取った、あの深く鮮やかな青い粉末が眠っている。
(もしこれが本物のウルトラマリンなら、あの古ぼけた横顔の下には、世界を揺るがすような歴史的名画が眠っていることになるわ。頼りないブラック伯爵や、恋に目を眩ませているヨハンナ夫人には、まだ悟られてはならない……! ふふ、この私だけが真実に気づいているのね)
すでに勝利を確信した口元が、緩みそうになるのを堪えるのに苦労した。
翌日、アヴァリスは朝一番でブラック伯爵を修道院の私室へと呼び出した。
伯爵は相変わらず、朝の光の中で絵画のように美しい姿で、優雅に紅茶のカップを傾けている。
「お呼び出しとは珍しいですね、院長。昨日のスウィンデル家の件で、何か進展でも?」
アヴァリスは周囲を気にするように部屋の扉が閉まっていることを確認すると、声を極限まで潜めて伯爵に顔を寄せた。優越感で、自然と背筋が伸びる。
「いいえ伯爵、昨日の件ではないわ。別でね、あなたに極秘でお願いしたい専門的な調査があるのです。美術界に広い人脈を持つあなたにしか頼めない、とても重要なお仕事ですわ」
アヴァリスは、懐からそっと小さな紙包みを取り出し、机の上に置いた。慎重に紙を開くと、昨日削り取った、あの神秘的な青い粉末がほんの少しだけ顔を出す。
伯爵は一瞬、その青い粉に視線を落としたが、すぐに興味深そうに片方の眉を上げた。
「おや……これは?」
(ほうら見なさい、伯爵ですら気づいていないのだわ! 天下のブラック伯爵が「価値がない」と太鼓判を押した絵に、これほどの秘密が隠れていたなんて。自称目利きより、元公爵令嬢たるこの私の審美眼の方が、よほど確かということね)
「ある肖像画の端から、偶然剥がれ落ちた絵の具の破片ですわ。私は元公爵令嬢として、一流の芸術に触れて育ちました。私の目が確かであれば、これはただの青い絵の具ではありません。ラピスラズリを原料とする、貴重な群青――ウルトラマリンではないかと思うのです」
「ウルトラマリン、ですか。確かに、この独特の深みは一見の価値がありますね……しかし、あの高価な絵の具がそうそう使われているとは考えにくいのですが」
伯爵は困ったように微笑み、首を振ってみせた。
(これだから若輩者は。所詮あなたも、趣味程度の目利きというわけね。この程度の眼しか持ち合わせていないから、本物の宝を前にしても素通りしてしまうのよ)
アヴァリスは憐れむような視線を伯爵に向けながら、内心で盛大に見下した。だがその顔には、慈悲深い聖職者らしい、余裕たっぷりの微笑みだけを浮かべてみせる。
「だからこそ、鑑定が必要なのです。伯爵、王都で最も信頼できる専門の鑑定士に、この粉を今すぐ送ってちょうだい。そして、これが本物のウルトラマリンであるか、下地に別の手による名画が隠されている『二重絵』の可能性がないか、徹底的に調べさせてほしいのです。もちろん、費用の請求は私に、この件はヨハンナ夫人にも絶対に秘密でね」
自分の指示ひとつで、王都最高峰の鑑定機関すら動かせる。そう思うと、指先まで力がみなぎるようだった。
「……なるほど。院長の周到さには恐れ入ります。分かりました、それなら、私の信頼できるルートで最高峰の鑑定機関へ極秘で手配しましょう。おそらく鑑定料は金貨五枚程度かと思います」
「そう、それくらいの端金、どうということはありませんわ」
アヴァリスは鷹揚に手を振ってみせた。金貨五枚など、これから転がり込む数万枚に比べれば、道端の小石にも等しい。
ブラック伯爵は、紙包みと鑑定料を丁寧に受け取ると、コートのポケットへと仕舞い込んだ。
「結果が出るまでに一週間ほどかかりますのでご了承ください」
「ええ、構いませんわ。期待して待っています。神の導きがあらんことを」
余裕たっぷりに微笑みながら見送るその姿は、まさに全てを掌握した支配者そのものだった。
伯爵が部屋を去ると、アヴァリスは我慢できずに自室の鏡に向かって、満面の笑みを浮かべた。
「おーほほほほ!」
鏡に映る自分に向かって、アヴァリスは両手を広げてみせた。
「見なさい、この私を。ブラック伯爵ほどの目利きすら見抜けなかった宝を、この私だけが見出した。神は、やはりこの私にこそ真実を見せてくださるのだわ! もし本当に二重絵なら、あのギルバートが要求している金貨五千枚なんて、タダ同然の安値だわ。それをさらに安く買い叩いて転売すれば――」
鏡の中の自分に向かって、アヴァリスは優雅に一礼してみせる。まるで、王都の社交界で喝采を浴びているかのように。
「私は王都で再び、女王のように返り咲くことができる。いいえ、女王どころではないわ。美の女神そのものよ!」
鏡越しに自分自身へ投げかけた流し目に、アヴァリス自身がうっとりと酔いしれた。
強欲な院長は、まだ見ぬ数万枚の金貨の山と、社交界での栄光を思い描き、まだ午前中だというのに、隠し棚から上等なワインを取り出した。グラスに並々と注ぐと、誰もいない部屋の中、鏡に映る自分自身に向かって高らかにグラスを掲げる。
「乾杯!この私、アヴァリス様の、輝かしい未来にね」
彼女の頭の中では、王都中から羨望の眼差しを浴びる自分の姿が、確定した未来として輝いていた。




