第31話 世界は思いのほか融通が利かない?
理科準備室に入った後、池中先生は内鍵を閉めた。
先生が視線だけで、いつものパイプ椅子に座るように促してきたので、わたしは無言でそれに従った。
「授業中だから手短に……というわけにもいかんよな……」
先生はわたしの正面の椅子に腰かける。スリッパを脱いで、椅子の上に胡坐を掻き始めた。
目をつぶり、「何から話そうか」と、頭の中を整理している。
そんな感じに見えた。
でも、別に説明なんてしてくれなくても良いです。
その顔を見れば、先生が犯人じゃないのはわかりますから。
でも――。
「スズメを返してください!」
それだけで良いので、すぐにスズメを返して……。
「残念ながら、私にはどうしようもないんだ」
先生はすまなそうに頭を下げてきた。
「謝られても……困ります……」
いろいろ手を回してくれているのは……想像に難しくないので……。
「どうやら世界が、南野を休ませることにしたらしい」
「スズメを、休ませる……? どういう意味ですか?」
出席停止? 公休?
「言葉通りだよ。世界の修復をしなくて良いようにした、ということだろうな」
「だろうなって、なんですか……」
推測?
「私にも、まだわからん。上も調査中とのことだ」
「スズメがどこに行ったかわからない、ってことですか……?」
「その質問に正しい答えを持っていないな。わからないが、わかっていることがある、というのが現在の答えだろうか」
もうちょっと詳しくお願いします。
「どこに行ったかは不明だ。しかし、現時点で……この世界には南野スズメは存在しない」
「ウソ……」
スズメがいない……?
そんなことって……。
「死んだ……の……?」
「違う、だろうな。死んだのではなく存在が消えた。あ、いや、それも違うかもしれない。だが、『南野を休ませたい』という願いを、世界は違った形で解釈した。ということなんだと思う」
つまり――。
「わたしの、せい……?」
「違うな。誰のせいでもない。自分を責めるな。そして、おかしなことを考えるなよ」
そんなきれいごと……。
だって、わたしがスズメを休ませたいって思ったから、そういうふうに世界が捻じ曲がったってことでしょう? わたしが願ったから……。
「ほんの少しだけ、南野の体を心配した。それだけだ。私にはお前の伝えたかった意図はわかっている」
はい。
「だが、世界は……思いのほか融通が利かなかったらしい」
休ませる=存在ごと消す。
そんな無茶苦茶なこと……。
「最近、柊が大したことを願っていないはずなのに、世界が過剰に暴走している様子が観測されていた。それについては、様々な仮説が立てられていたのだが――」
先生はそこまで早口でまくし立ててから、一瞬押し黙った。
「……仮説?」
「いや、忘れてくれ。南野が休ませられたこととは直接関係ないだろう」
「そこまで言ったら最後まで教えてくださいよ!」
なんですか、その困ったような顔は……。
「柊」
「……はい」
改まって、何……ですか?
「お前は、南野が戻ってくることを強く願っている」
「当たり前です!」
「だが、その願いは、すんなりとかなわないだろうと予想されている」
「なんで⁉」
わたしの願いをかなえるために、世界は捻じ曲がるんでしょう⁉
「お前は、南野を休ませたいと願った。南野個人の体を気遣ってな」
「……そうですけど」
ここ最近のスズメは、あきらかにオーバーワークだった。寝不足で、たまにテンションもおかしくなっていたし……。
「今、その南野が戻ってくることを願っている」
「はい」
「だが、南野は休めていない。今南野が戻れば、再びお前は願うだろう。『休ませたい』と。だから、その願いはかなわない」
「なんで⁉」
「私の予想では、世界は違う形で願いをかなえようとしてくるはずだ」
違う形?
「ああ、どうやら始まったらしい」
先生は、天井を見上げながら言った。
しずかに足を伸ばし、スリッパを履いて立ち上がった。
直後――。
先生の後ろにある薬品棚が、カタカタと音を立て始めた。
「え、なに……?」
地震でもなく、薬品棚だけが音を。
「南野の存在は、世界から消えている」
先生は、音を立てて揺れている薬品棚に近づいていく。
「この世界で、南野のことを記憶しているのは、ごくわずかな人間だけになってしまった」
わたしのお母さんも、クラスメイトたちも、誰もスズメのことを覚えていなかった……。
しかも、スズメの家も消えていて――。
「柊。お前の心が安定――というよりも、楽しみを覚えている状態でないと、世界は壊れていく」
不穏な音を立て続ける薬品棚の引き戸に手を掛けた。するとピタリと揺れが収まる。
「お前の心の安定のために必要なのは何か」
ゆっくりとした動作で、薬品棚からアルコールランプ型のボタンを取り出す。一度わたしのほうにそれを見せてきてから、ボタンを押し込んだ。
薬品棚は金属をこすり合わせて軋みながら、ゆっくりと動いていき――隠し扉を出現させた。
「それを世界は試している」
世界が、わたしを試す?
「南野個人ではないモノで、お前の心の安定は取れるのか?」
隠し扉が勝手に開く。
その奥から飛び出してきたのは――。
「スズメ人形⁉」
どうしてここに⁉




