第40話「告げる想い」
童話喰ライの中から生還した日から一週間経った。
いつも使わない筋肉を酷使していたのか、最初の二日間は地獄だった。
布団からでられないほどの筋肉痛で、起き上がることもままならない。
そのため、女中が色々手伝ってくれたが、介護がしにくいと療養用の部屋が用意された。
襖を開けると西洋風の部屋が広がっていた時は、別の意味で頭が痛くなったものだ。
本を閉じ、寝台の上でヤエは大きく伸びをする。
折良くノックの音が聞こえ、様子を窺うように環が顔を出す。
ヤエが手招きすると、安心したように入室した。
「声、出るようになったか?」
首を横に振れば、環は眉を下げた。
代償を伴う異能を使ったため、ヤエの声がいまだに戻らない。
(こういうところだけ人魚姫と同じにしなくていいのに)
彼曰く、異能の代償は二つのパターンがあるらしい。
代償を払うと異能が使えるパターンと後で代償を払うパターン。
環は前者でヤエは後者だと説明を受けた。
前者の場合、払った代償が元に戻ることはないが、後者は違う。
基本的に時間はかかるが戻ることの方が多いようだ。
寝台を叩けば、環は心得たと言わんばかりに座った。
心配そうな環に手を伸ばす。
彼は目を瞬きながらもヤエの手にすり寄った。
(声が出ればちゃんと話せるのに)
筆談で会話をしているが、何かをしながら話せないのは思っている以上にストレスが溜まる。
じっと伏し目がちな長いまつげを見ていれば、視線に気がついたのか環と目が合った。
憂いを帯びた目は、ヤエと共に帰ってきた一週間前から変わらない。
すぐに逸らされた瞳にヤエはむっと頬を膨らませる。
普段であれば真っ直ぐに見つめてくる濃藍色が、ヤエを映さないことが腹立たしい。
手元に置いてある紙に万年筆を走らせる。
「返事、聞いてない」
「……返事?」
「あたし好きって言った!」
頬に熱が集まるが、知ったことではない。
環の目がこれでもかと見開かれる。
じっと見つめていれば、彼は居心地が悪そうに身じろぎをした。
「だが……」
「あたしが勝手に手を離しただけ。環はちゃんと助けてくれた」
「ヤエが助かったのは、ヤエ自身の力だ」
今にも消えてしまいそうな環に、ヤエはぶんぶんと首を振る。
ヤエは異能を使い生還したが、童話喰ライに立ち向かおうと思えたのは、間違いなく目の前の男の影響だ。
むしろ環がいなければ異能を使おうとも思わなかっただろう。
むっとした気持ちのまま文字を書いたからか、字が崩れるが構っていられない。
紙を突き出し、環を見上げる。
視界がぼやけるが、しっかりと彼の目を見つめた。
「環を思えば異能を使うのだって怖くなかった。環の隣にいるために戻ってきたのに、素っ気ないし、すぐ目を逸らすし」
「……悪い。だから泣くな。泣かれると、どうしたらいいか分からなくなる」
はらはらと零れる涙を指の腹で拭われる。
ようやく真っ直ぐにヤエを映した瞳を見つめ返す。
思わず緩んだ口元をそのままに、ヤエは目を和らげた。
筆談用の道具を寝台の横に置く。
(はしたないって思われるかもしれないけど……)
両手を広げれば、環は一瞬固まってしまう。
しかしヤエの意図が理解できたのか、存在を確かめるように掻き抱かれた。
勢いのあまり寝台へ倒れ込んでしまう。
普段であれば力任せに抱きしめることがない行動に、余裕がないのだと初めて気がついた。
かすかに震えている背中に、手を回す。
ぎくりと強ばった体をほぐすように、大きな背を撫ぜた。
「生きた心地がしなかった。ヤエを失うかと……」
肩口に顔を埋められ、首筋に髪が当たる。
空いた手で柔らかな黒髪を梳けば、環はすり寄ってきた。
好きな女の前では格好付けたいと豪語していた彼が、ヤエに弱みを晒している。
(これは……喜んだらいいのか、分からないわ)
環本来の姿を見ているようで心がそわそわする。反面、取り繕う余裕すらないのだと何とも言えない感情が渦巻く。
ぐりぐりと顔を動かされ、くすぐったい。
大きな猫のような行動を受け入れていれば、落ち着いたのかのそりと起き上がった。
天井が環の顔で見えなくなる。
「俺はヤエがいなければ生きていけない。一緒にいてくれ」
環は眉を八の字に下げ、声を上擦らせた。
自己嫌悪や安堵、悲しみ、困惑が一度に訪れたような顔だ。
今にも泣き出しそうな環の頬へ手を伸ばす。
濃藍色の瞳をじっと見つめ、音の出ない声で告げた。
童話喰ライに呑み込まれる寸前に告げた、同じ言葉を。
「ははっ、ほんっと……敵わないな」
嫌な記憶は上書きしてしまえばいい。
その一心で選んだ言葉だったが、意図は伝わったようだ。
泣き笑いのような複雑な顔で笑った環は、そっとヤエの頬を撫でる。
物足りなさを覚えたヤエは彼の首に両手回した。
環の喉仏が上下する。
「っ、いきなり積極的すぎるだろ」
嫌いかと首を傾げれば、目で違うと訴えられた。
環にはしたないと思われたわけではないとヤエは安堵する。
そこではたと熱の籠もった視線に気がついた。
一気に恥ずかしさがこみ上げてきて、ヤエは目を伏せる。
頬はもちろん、耳までも紅を落としたのかと思うほど紅潮させた。
「ったく、無防備な姿は俺だけにしか見せてくれるなよ」
そう静かに笑った環がヤエへ唇を寄せる。
「愛している」
と告げた言葉は、互いの唇へと消えていった。




