第39話「終結」
ヤエが童話喰ライに呑み込まれた直後。
それはぐねぐねと姿を変え始めた。
耳のヒレと鋭い犬歯、出目金のような目をした姿から、一目で人魚姫だと分かる女性の姿、そしてヤエ。
入れ替わり立ち替わり三つの姿を模す水は、まるで主導権を争っているようだ。
「っ、どうして……!!」
ヤエを助けようと伸ばしていた右手を握り込む。
手のひらに爪が食い込み、血が流れることも気にならない。
地面にぽたりと何かが広がった。
それが自身の涙だと気がつかないほど、環の頭の中は真っ白に染まっている。
環が強ばる顔を上げた、その時。
童話喰ライの鱗にひびが入り、弾けた。
咄嗟に腕で顔を守る。
予想していた衝撃ではなく、辺り一帯が光に包まれた。
まばゆい光に目を開けていられない。
(いったい、なにが……)
困惑する頭の片隅で、童話喰ライの攻撃かもしれないと環は思う。
もし攻撃であったならすぐさま対応する必要がある。
しかし、ヤエを呑み込んだ童話喰ライを手にかけることができると断言できるほどの自信がない。
環の喉が鳴る。
嫌な想像に鼓動が早くなってしまうのは仕方のないことだろう。
周囲に広がった光が、徐々に収まっていく。
うっすらと目を開けると、光が一点へ収束していく様が見えた。
雷が落ちたときのように光と影が一体となり、それを浮かび上がらせている。
(まさか)
周りが呆然と立ち尽くす中、環だけは気付いた。
それが最愛の形をしていることに。
「ヤエ……?」
一つに集まった光が、また弾けた。
今度は目を焼くような光ではない。
飛び散ったはずのそれは、光の粒へと変わる。
光の粒が降り注ぐ中、童話喰ライに呑み込まれたはずのヤエが、環の目の前に立っていた。
一瞬の出来事とは思えないほど、ヤエはボロボロになっている。
環が貸したままの軍服の袖はすり切れ、襦袢の裾は破れて肌が見え隠れしていた。
もう一度彼女の名前を呼べば、黒曜石のような瞳が環を移す。
柔らかく微笑んだヤエが一歩踏み出そうとして体勢を崩してしまう。
地面にぶつかる寸前で抱き留める。
(ヤエ、だよな)
少し腕に力を込めれば、温かな体温が環に移りそうだ。
そっと手首を掴めば、脈を打つ鼓動が伝わってくる。
こみ上がってきたものを飲み込み、環は大きく安堵を吐き出す。
(生きてる……)
ヤエの首筋に顔を埋めば、彼女の匂いに包まれた気分になった。
荒れ狂う嵐のような心が凪いでいく。
真っ白になっていた頭が働き出した頃、ようやく疑問が首をもたげた。
いつもなら恥ずかしがって憎まれ口を叩くはずのヤエから苦情が飛んでこない。
おかしいと首を傾げながら彼女の顔を見る。
すると、これでもかと全身を真っ赤に染めたヤエと目が合った。
ぱくぱくと動かされる唇に、環はますます首を傾げてしまう。
通じないことに腹を立てたのか、ヤエは目をつり上げ、環を叩く。
「ヤエ、落ち着け」
胸を叩く力は弱いが、これでは話すことができない。
落ち着かせるように両手を掴めば、ヤエは余計頬を膨らませてしまった。
またぱくぱくと彼女の小さな口が動く。
「……まさか、声がでないのか?」
辿り着いた答えに、ヤエは目を輝かせた。
こくこくと頷く彼女に、まさかと環は目を見開いた。
「異能を使ったのか? あれだけ嫌だと言っていたのに……」
ヤエは環のような強気な笑みを浮かべ、胸を張った。
環は泣き笑いのような表情で「そうか」と呟くことしかできない。
二人の前にひらひらと降り続けていた光の粒が集まり、形を変えた。
上半身は女性だが、下半身は魚のヒレがついている。
典型的な人魚だ。
「ヤエちゃん」
聞こえた女性の声に、環は勢いよくそれを見上げる。
意思のあるそれを探るように見ていれば、ヤエに頭を叩かれた。
光の粒にくすくすと笑われたが知ったことではない。
「これ以上泡になる人を増やすぐらいなら眠ろうと思っていたのだけれど……」
光の粒が優しく微笑んだ気配がした。
「人魚姫ではない“貴女”の物語を見届けさせてもらうわね」
「は? それはどういう――」
環の問いへの答えが告げられることはなかった。
言い残すことはないと言わんばかりに、光る粒は消えてゆく。
意味を問おうと目を向けるがヤエは目を瞬かせている。
その様子だけで環の望む答えを持っていないのだと理解した。
光の粒すらなくなった街道で、環は呟く。
「なんだったんだ、今の……」
「それを聞きたいのは僕の方だっつーの」
背中を軽く叩かれ、環は後ろに目を向ける。
心底意味が分からないと言わんばかりの三銭地が腕を組んで仁王立ちをしていた。
「説明しろ」
「さっきのを説明しろっていうなら、無理だぞ。俺だってわからない」
「それはいい。ヤエちゃんが戻ってきた理由は?」
「ヤエが異能で童話喰ライを倒した」
「はぁ!? 呑み込まれた状態でか!?」
「代償を払った。意味は分かるな?」
「……はぁー。分かった。今はこれ以上追求しない。とりあえずヤエちゃん連れて帰れ。明日聞く」
「助かる」
環はヤエを抱き上げ、立ち上がる。
予想通り抵抗されるが、ヤエのか弱い力では環の腕からは抜け出すことができない。
異能を使った後であればなおのこと。
環が楽しげに笑えば、ヤエがげんなりした顔をした。
「ヤエはわかりやすくて助かるな」
「遊んでないで早く帰れよ。車、壊れてないだろ」
「あぁ。後は頼んだ」
「任された」
三銭地は頼もしい笑みで頷いた。
頷き返した環は、ヤエを助手席へと座らせる。
扉を閉めると、自身は運転席に回り込み、乗り込んだ。
エンジンをかけると、横から腕を引っ張られる。
「どうした?」
ヤエを見ると、手のひらを差し出される。
意味が分からずヤエのそれに手を重ねれば、彼女が吹き出した。
揺れる肩にじとりと目を向けると、ヤエは肩を震わせながら環の手を取った。
手のひらに指で何かを書く。
そこでようやく筆談かと思い至り、環は口元を和らげた。
「あ、り、が、と、う……であってるか?」
環に通じたことが嬉しいのか、ヤエは満面の笑みで頷く。
あどけない表情をこれ以上他の隊員に見せなくない心を隠しながら、環は静かに眉を下げた。
「礼を言われる筋合いはない。俺こそ守ってやれなくてすまなかった」
ヤエが環の手に返答を書く前に、車が走り出す。
返事はいらないと言わんばかりの態度だったが、ヤエが怒ることはなかった。
衣擦れの音すら聞こえない静寂が車内に広がる。
信号標板が止レになったことを確認し、そろそろとヤエへ視線を移す。
綺麗な瞳と目が合うかと思ったが、彼女の目は閉じられていた。
ぎくりと心の臓が強ばる。
よく見れば胸が上下しており、息をしている。
どっと冷や汗をかいた環は、ほっと肩の力を抜いた。
よほど疲れていたのだろう。
(初めて異能を使ったんだし、消耗して当然だな)
寝入ってしまったヤエに、環はそっと声をかけた。
「一人でよく頑張ったな。早く元気になって、声を聞かせてくれ」




