エピローグ
襖の向こうから遠慮がちに声がかけられる。
「環様。櫻子です。ヤエ様のお見舞いに……」
何事もなかったように環は体勢を立て直し、寝台に座り直す。
彼を見習いヤエも起き上がった。
火照った顔を手で仰ぐ。
ヤエの様子を柔らかな顔で見ながら、環は返事をした。
「あぁ、入れ」
「失礼いたします」
「隊長、僕も失礼しますね」
入室した櫻子の後ろから三銭地もひょっこりと顔を覗かせる。
きっちりと軍服を着込んだ彼に、ヤエは目を瞬いた。
軍服には似合わない風呂敷を両手に抱えていたからだ。
丸椅子へと座った櫻子の横に三銭地が立つ。
「ヤエ様。庇いたても出来ず申し訳ありません。せめてもと、こちらをお持ちいたしました」
三銭地が抱えていた風呂敷を解く。
あの日落としてしまった環への贈り物が姿を現し、ヤエは目を見開いた。
買ったことすら頭の片隅に追いやられ忘れかけていた。
雨に濡れ、潰れてしまった箱は見る影もなく、ヤエが買った時の綺麗な包装に戻っている。
ヤエは紙と万年筆を取り、慌てて文字を書く。
「これ、雨に濡れて」
「包み直していただきましたわ。中身は壊れていませんのでご安心ください」
胸を撫で下ろしたヤエは三銭地からそれを受け取った。
櫻子も三銭地も安心したように頬を和らげる。
どうやら中身を見られてしまったらしい。
唯一、不思議そうな顔をしているのは環だけだ。
「ありがとう」
「いいえ。これはわたくしなりの懺悔ですわ。ヤエ様を守れなかったわたくしの、自己満足」
「そんなことない。すごい嬉しい」
「ならよかったですわ。わたくし達、こちらを届けに伺っただけですの。すぐにお暇いたします」
ヤエの返事を見た櫻子は上品に微笑んだ。
立ち上がった櫻子が手を差し出すと三銭地が手を取る。
流れるような動作に目を丸くしていれば、櫻子は悪戯が成功したような顔で笑った。
「わたくしも、勇気を出してみようと思ったの。ヤエさんのおかげね」
唖然と櫻子を見つめる。
彼女のほんのりと色づいた頬が幸せそうに緩む。
ヤエより先に衝撃から返ってきた環が口を開いた。
「母君が怒り狂うんじゃないか?」
「いいんですのよ。立ち向かう勇気ならいただきましたから」
「そうか」
「えぇ。それでは」
退室するために櫻子達は廊下へと足を向けた。
三銭地が襖を開ける。
一歩廊下へと踏み出した櫻子が思い出したように振り返った。
日の光を浴びた金髪が輝く。
「わたくし、ずっと思っていましたの」
「?」
「人魚姫と王子が結ばれるお話があればいいのにって。願いが叶いそうで嬉しいですわ」
満面の笑みで告げると、櫻子は一礼をして襖を閉じた。
しばらく閉じられた襖を見つめていたが、環の声で我に返る。
「ヤエ。それは?」
直球に訪ねられ、ヤエは内心焦る。
動揺を隠しきれず、文字を書く手が彷徨ってしまう。
答えないヤエに何を思ったのか、環は言いにくそうに眉を下げた。
「言いたくなかったら答えなくていい。ただ、誰かに贈るのかと思っただけで……」
拗ねるような口調に、迷っている場合ではないと、ヤエは息を呑んだ。
震える手で環へそれを突き出す。
贈り物とヤエを見比べた環が気の抜けた笑みを浮かべた。
「俺に?」
必死に頷く。
「いつもよくしてくれるからお礼」
「あぁ、ありがとう。開けていいか?」
また何度も頷けば、優しく頭を撫でられた。
寝台に座り直した環が包装紙を解いていく。
気恥ずかしさに黙り込めば、紙の音だけが部屋に響いた。
大きく跳ね回る鼓動まで伝わってしまいそうだ。
包みを開けた環が中身の箱を開ける。
「これは……」
環が箱から取り出したのは、黒と薄水色の装飾が付いたネックレスだ。
自身で装飾の色を選べるという謳い文句に誘われ購入した一点物で、櫻子から遠い異国では愛する人の色に自分の色を贈る習慣がある聞き、これしかないと購入に至った。
装飾の色に気がついたのか、環が目尻を下げる。
環が異国の文化を知らないはずがない。
言い訳が頭をぐるぐると回る。
「意味を知って俺に渡すのか?」
困惑も、からかいの色も、なくただ問われた。
文字を書く手が震える。
羞恥心で指の先まで熱い。
「わかってる。代わりにトンボ玉返して」
「そうか。記憶が……」
穏やかに笑みを浮かべた環は、一度ネックレスを箱に戻し、自身の着けているそれを外す。
ネックレスを渡され、ヤエはふと思い出した。
トンボ玉へ口を寄せていたことを。
(ちょっと待って、ずっとこれに接吻をしていたの!?)
ますます体が熱くなり、ネックレスを握りしめる。
早鐘を打つ心の臓を落ち着けて、ヤエは息を吐く。
落としていた目を上げると、環はすでにヤエの贈ったネックレスを着けていた。
首元で輝くそれは、トンボ玉よりも彼に似合っている。
「どうだ? って、書かなくていい。聞かずともわかる」
環の手がヤエの頬にそっと触れ、撫ぜた。
息をすることも忘れ、ヤエは深海のような色の瞳を見つめる。
ヤエを見つめ返した環が心底嬉しいと言わんばかりに花を咲かせた。
「なぁ、俺がずっと、ヤエだけを想っていたと信じてくれるか?」
わかりきっているはずの問いを投げかけられる。
ヤエは頭の芯まで真っ赤に染めて、必死に頷いた。
満足げに目を細めた環が、ヤエに唇を寄せる。
「よかった。ヤエは俺の、俺だけの人魚姫だからな」
【了】
最後までお読みいただきありがとうございました。
運命から逃げ回る少女が、自らの足で立ち向かう物語はいかがでしたか?
童話×和風、面白いんじゃない!? と天啓を得てここまで突き進みました。
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