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人魚姫は泡沫の初恋を歌う  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中


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第35話「三銭地へのお礼」

 寄るところがあると伝えられ、了承したヤエは渋谷町に来ていた。

 どうやら交通規制を行っているのは特務小隊の隊員達だったようで、環の顔を見ると明らかにほっとした表情をしていた。

 交戦中なのか建物の向こうで時折爆発音が響いている。

 車の傍で敬礼をする隊員の声を聞くため、そちらへ環が目を向けた。


「報告します!」

「あぁ」

「二班壊滅状態。三班のおかげで童話喰ライを逃がさずにすんでいます」

「三銭地か」

「はい」

「わかった。掃討に向かう。ヤエ」


 助手席へ目を向けた環の顔に、心配が滲んでいる。

 ヤエは直感的に彼が言いたいことが分かってしまった。


(あたしを危険な所に連れて行きたくないのね。でも……)


 崩れた建物や水浸しの道路を見ていると、背筋に嫌な予感が冷たく流れる。

 一度童話喰ライに襲われた際の環の強さを思えば、彼が負けることはあり得ないとも思う。

 しかし、妙に心が波立つ。


(このまま環を行かせちゃだめな気がする)


 交通規制を行う隊員達へ視線を移動させる環が、女隊員を見つける前に手を打たなければ。

 でなければ環はヤエを女隊員に任せて討伐に向かってしまう。

 ヤエは唾を飲み込み、渇いた喉を潤す。

 そろそろと手を伸ばし、環のシャツの裾を引っ張った。


「ん、どうした?」

「あたしも一緒に行く」

「駄目だ」

「お願い。これ以上遅くなったら申し訳ないし」


 真っ直ぐに環を見つめる。

 ヤエに迷いがないと理解したのだろう。

 動揺に揺らいだ濃藍色(こいあいいろ)の瞳が、真剣なものへと変わる。


「約束してくれ。車から出ず、大人しくしていると」

「わかった」

「いい子だ」


 口角をつり上げた環が、外の隊員と二言喋ると車が動き出す。

 先ほどよりも速度が出ているのは気のせいではないだろう。

 破裂音が次第に大きくなっていく。


(これは……)


 車が止まったのは、美しい街道だったはずの場所だ。

 見るものの心が浮き足立つような街灯も、西洋風の建物も、なにもかもが見る影もなくなっていた。

 隊員達がうぞうぞと(うごめ)く童話喰ライへ異能を放っている。

 顔色を悪くするヤエの頭を優しく撫でられた。

 環をみれば、緩んだ目元が大丈夫だと告げている。


「行ってくる」

「ご武運を」

「あぁ」


 車から飛び出した環を目で追う。

 環の到着を知った隊員達は目に見えて安堵しており、彼がどれだけ信頼されているのかが伝わってくる。

 雷鳴が鼓膜を震わせた。

 童話喰ライへ無数の稲妻が落ち、跡形もなく消し去った。


(……すごい)


 焦げ付いた街道から煙が上がる。

 すでに空に靡いていたそれと混じり合い、風に流されていく。

 視界から煙が消えると、戦況が分かりやすく変わったいた。

 環の視界に入っていたであろう童話喰ライはすべて塵と化し、無力化されたようだ。

 僅かに残った敵の排除へ動く隊員達の表情も目に見えて明るい。

 怪我一つ負わない環に、ヤエはほっと胸を撫で下ろした。


(よかった。嫌な感じがしたけど、気のせいだったのかも)


 子爵の家での騒動の余韻がまだ心のどこかに残っていたのかもしれない。

 環の傍は安心感が違う。

 移動中もヤエを気遣い、一番に考えてくれていた。運転中だけでなく、これまでも。

 部屋に引きこもるだけのヤエを咎めることなく待っていてくれた。

 ヤエが本気で嫌がることはしなかった。

 それを思い出すだけでヤエの心はぽかぽかと温かくなる。

 環の後ろ姿を目で追っていると、こんこんと車の扉が叩かれた。

 そっと窓から覗くと、そこには三銭地(さんせんち)が立っていた。

 ヤエは慌てて助手席の扉を開ける。


「こんにちは」

「三銭地さん、どうされましたか?」

「隊長からなにか話があると聞いたのですが……」

「? あっ!」

「ん?」

「礼なら三銭地へって言ってたんですけど、あたしには意味が分からなくて……」


 目を丸くした三銭地が、一拍おいて笑い出す。

 けらけらと目に涙を溜める彼に、ヤエは唖然とするしかできない。


「ほんっとそういう律儀なところ、隊長らしいっていうか」

「えっと?」

「隊長、子爵の家に乗り込んでったんでしょ?」

「!」


 目を見開いたヤエの反応に、三銭地はやっぱりと笑った。

 何でも見透かすような彼の目は楽しげに弧を描く。


「俺と沓守(くつもり)が背中を押したんだよ。厄介なことに童話喰ライの多発とかぶってね。好きな女の所に向かおうにも、隊長の責任は重い」


 そう告げられ、ヤエはようやく合点がいった。

 甚大な被害がでている街道を見れば、どれだけの時間苦戦を強いられていたのか想像に難くない。

 環がいればもっと早くに制圧できていたはずだ。

 だというのに、環はヤエの元に来た。

 隊長の責任をかなぐり捨ててでも、ヤエを助けてくれた。


「っ」


 こみ上げてくる何かをのみ込む。

 隊員達が辛く大変だったと分かっていても、不謹慎だと咎められても、ヤエは心の底から湧き上がる嬉しいという感情をなかったことにはできなかった。

 ぎゅっと軍服を握る。


「隊長は俺が背中を押さなけりゃ、奥方の元にも行けない男だって嫌いになった?」

「っ、いいえ」

「ならよかった。これからも隊長を、環をよろしくお願いしますね」


 小さな男の子の風貌をしているというのに、三銭地はとても頼もしく見えた。

 ヤエは精一杯頷き返事をする。


「任せてください!」

「ならまずは隊長の所に行ってあげてください。もう童話喰ライはいませんから」

「いいんですか?」

「はい、もちろんです。たいちょ~!」


 三銭地が大声で環を呼ぶ。

 驚いたように濃藍色の目を丸くしながらも、環は振り返った。

 傾き始めた太陽の光を浴びた黒髪が煌めく。


「奥方、そちらへ向かわせますよ~」


 どうぞと手で示されてしまい、ヤエは困惑と共に足を踏み出した。

 足裏に伝わる冷たさにヤエは下へ視線を落とす。

 どうやら裸足のまま降りてしまったようだ。

 潜口(マンホール)が足下にあり、慌てて一歩下がる。


(今、あたし、だいぶ変な格好なんじゃ……)


 いくら環の軍服が長いとはいえ、足下までは覆い隠せない。

 つまりふくらはぎあたりは襦袢(したぎ)のままだということだ。

 環はやれやれと言わんばかりの顔をしていたが、ヤエの姿を思い出したのか慌ててこちらに向かってくる。

 必死な様子に三銭地はまたけらけらと笑っていたが、ヤエはそれどころではない。

 車の影のため他の隊員からは見えないのが救いだ。

 手を伸ばせば届く距離に駆けてきた環が呆れた顔をする。


「ヤエ、お前なぁ」

「すっかり忘れてたの、ごめんなさい」

「いや、いい。三銭地。忘れろよ」

「はいはい。邪魔者は退散しますよ~」


 三銭地は手を軽く振りながらヤエ達から離れていく。

 どうやら環に変わり隊員に指示を出しているようだ。

 すでに撤退準備をしているようで、隊員はすでに少なくなっていた。

 三銭地を見ていれば、突然浮遊感に襲われる。


「ひゃっ」

「三銭地とは話せたか?」


 また環に抱き上げられ、車に乗せられる。

 少し拗ねた声色に、ヤエはそっと笑った。


「うん。いい人だね、三銭地さん」

「あぁ」

「あ、足、払わなくていいから。自分で出来るよ」

「……そうか」

「環はまだやること残ってるんでしょ? あたしここで大人しくしてる」

「わかった」


 環に甘えてばかりでは駄目だと、ヤエは自身を律する。

 そもそもヤエの奪還で特務小隊の隊員達には迷惑をかけているのだから、これ以上は必要ない。

 不満げだがしっかりと頷いた環が後ろを向く。

 見送るために見つめていれば、視界の端でなにかが動いた。


(今、何か……)


 ヤエが目を凝らすよりも先に、側溝からうねうねとした何かが湧き上がった。

 ぼこぼこと形を変えるそれに気がついた環が、振り向きざまに風を起こした。

 かまいたちの如く、童話喰ライは切り裂かれる。

 四散した水滴のようなものがまた形を変えようと(うごめ)いた。


「ちっ。やっぱり蒸発させるしかないか」

「環」

「ちょっと目と耳を押さえてろ」


 そう言うやいなや雷が童話喰ライを焼く。

 音が鳴り止んだ頃を見計らい、ヤエは目を開けた。

 あっという間に制圧した環が今度こそ移動しようと踏み出した瞬間。

 巨大な魚の口のようにかぱりと開いた水が、環に迫る。

 大きな巨体が雷を落とされる直前に軌道を変えた。

 急な方向転換に環は舌打ちをする。

 童話喰ライの一部は蒸発したものの、光と影か一体となった視界では敵の位置が把握できない。

 環の後ろから童話喰ライがにたりと笑った。

 しかし退路を断ち、唯一の逃げ場で待ち構えるのはよくある戦法だと環は知っている。

 彼が童話喰ライを殲滅し、潜口(マンホール)の上に降り立つ。と同時にヤエは車から飛び出した。


「環っ……!!」


 思わず飛び出してしまったヤエは、環を押しのける。

 途端、ヤエの体は童話喰ライに体を包まれた。

 潜口(マンホール)の穴から飛び出してきたそれは、寸秒の間にヤエだけを呑み込まんと(うごめ)く。


「ヤエ!?」


 環の手がヤエの右手を掴んだ。

 水のようだと思っていたが、ヤエの体にまとわりついている童話喰ライは泥のように重い。

 もがけばもがくほど呑まれていくため、下手に動くことができない。

 撤収作業をしていた隊員達の元にも童話喰ライが出現したようで、慌てた様子で交戦している。


「今助ける、絶対離すなよ」


 右手を握る環の手に力がこもる。

 見たことのない悲痛な顔にヤエは眉を下げた。


「ごめん、つい」

「俺も認識できてなかった。助かった。だから今度は俺が助けてやる。もっとちゃんと握ってくれ」


 腕ごと引っ張り上げようと童話喰ライの中に手を入れた環だったが、不可解な現象に眉間へシワが集まった。

 僅かに見えているヤエの顔と右手の位置からして、そこに腕があるはずだ。

 しかし、環はなにも掴むことができない。


「くそっ」

「環、話があるの」

「帰ったらいくらでも聞いてやる。だから――」


 日だまりのような気持ちを押し出すように、ヤエは手から力を抜く。

 汗で濡れた手は環の意思とは反対に、ヤエの手を滑らせた。

 焦りと意地が入り交じった表情の環へ、ヤエは精一杯の笑顔を作ってみせる。


「好きよ。環」


 瞬間。

 かろうじて触れ合っていた手が離れた。

 引き上げる者がいなくなった体が童話喰ライの中へと沈んでいく。

 環は弾かれたように童話喰ライへと手を突っ込むが、すでに手応えは何もなかった。

 環の顔から表情が抜け落ちる。取り返しのつかない絶望に顔は酷く青ざめていた。

 彼の後ろから叱咤の声が響く。


「環! しっかりしろ!」

「三銭地」

「悪い。また童話喰ライが出現しはじめて、こっちに来る余裕がなかった。ヤエちゃんは?」


 環の目が童話喰ライへと向けられる。

 それだけで察したのか、三銭地が奥歯を噛み締めた。

 動揺を隠せない二人をあざ笑うように、童話喰ライがうぞうぞと揺らめく。


『アハ』『アハハハハハ!』『ヨウヤク』『ヨウヤク人魚姫トヒトツニナレタ!!』

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