第31話「洋装を望むのは」
目が覚めると、西洋のお姫様が寝起きするような寝台にいた。
(いや、なんで?)
起き上がろうとして、ずきりと腕が痛む。
袖をまくり上げると腕に青い痣ができていた。
力任せに車に引き上げられたことを思い出し、ヤエはため息をつく。
(乙女の腕を強引に引っ張るって意味分からないわ。いえ、そもそも誘拐を企てる輩の思考なんて分かるはずもないわ)
幸い拘束はされていないようで、ヤエは遠慮なく寝台から降りた。
西洋風の部屋にはあまり良い記憶がない。
ぐるりと見回すが渡来品がギラギラと自己主張している。
趣味の悪い小さな部屋に、ヤエは不快感を眉へ募らせた。
板張りの床や白色の内壁がパーラーと同じだといささか信じがたい。
よくもここまで品をなくせたものだと逆に感心してしまう。
うろうろと足を彷徨わせていたヤエだが、小さな部屋ではすぐに一周回り終えてしまった。
落ち着ける場所を探すように視線を彷徨わせ、窓を見つけた。
カーテンの隙間から漏れる木漏れ日がヤエの心へじんわりと広がった。
吸い寄せられるように窓へと近づく。
(二階……)
窓の外を見下ろせば、水を溜めた大きな施設が目に入った。
最近流行の水泳場だろうとヤエは一人納得する。
(ここからなら、飛び降りても問題なさそうね)
逃走経路を確認し、改めて自身の体へ目を向けた。
雨で濡れてしまっていたはずの着物はすでに乾いており、長い時間気を失っていたと窺える。
少し乱れただけの服装に、ヤエは心の底から安堵した。
(無体を働かれたわけじゃない、大丈夫)
息を吐くと同時に足音が聞こえてくる。
跳ねた肩をそのままに振り返ると、丁度重そうな両開きの扉が開いた。
身構えていたヤエだったが、入室してきた人物に目を丸くする。
ヤエよりも小さな身長と幼さの残る顔立ち。十五、六だろうか。肩よりも少し伸びた色素の薄い髪が儚げだ。
服装は女中というよりも、異国の侍女やメイドと呼ばれるそれに近い。
彼女の手に抱えられているのはドレスだろうか。
まるで流行のウエディングドレスのようなそれに、ヤエは嫌なものを見てしまったと視線を外した。
「お目覚めですか。それではお召し物を替えましょう。旦那様は洋装がお好みです」
抑揚のない声色で告げられる。
着替えるための洋装は、侍女の手の中にしかない。
ヤエの頭の中で警鐘が鳴り続ける。
(どういうつもりなの? いや、それよりも気になるのは……)
侍女へ目線を戻す。
やはりというべきか、何度観察しても奉公に出るような年齢ではない。
しかし、彼女は雇い主に命じられてヤエを着替えさせようとしている。
ちぐはぐな現象にヤエは眉を寄せた。
「……嫌だと言ったら?」
初めて侍女の表情が揺れる。
しかし、瞬く間に無表情へ戻ってしまった。
壊れたラジオのように、侍女は同じ言葉を繰り返す。
「お着替えを」
「……嫌よ。これは環がくれたものだもの」
着替えてしまえば、二度とヤエの手に戻ってこない予感がしていた。
じりじりとにじり寄ってくる侍女と無言の攻防をしていると、またしても扉の外から足音が聞こえてきた。
今度の足音はずかずかと無遠慮で、ヤエは思わず顔をしかめてしまう。
厚かましくも了承もなしにまた扉が開く。
小太りで、似合いもしない洋装を着た男が我が物顔で部屋に入ってきた。
「なんだ、まだ着替えていなかったのか」
見覚えのある男に、ヤエは合点がいった。
品定めするような目に晒され、嫌悪感が背筋を這い上がる。
あの時と同じ目つきに、ヤエは今度こそ負けじと睨み返した。
「これはどういうことですか、角山子爵」
努めて冷静に問う。
だが、子爵はげすびた笑みを浮かべて、ヤエを舐め回すように見るだけ。
まとわりつくような視線に尻込みしそうになる。だがそれでは子爵の思うつぼだ。
意のままに動かせると思われても癪だと、ヤエは眉を吊り上げた。
少しでも情報を引き出せなければと頭を回す。
「あたしを攫った目的は、そのふざけたドレスと関係が?」
「ふざけただと?」
子爵の眉がぴくりと反応する。
ヤエは寸秒で消えてしまった子爵の変化に、内心ほくそ笑んだ。
少しでもにやついた表情を歪ませられたのなら上々。そうでなくとも子爵を苛立たせられたのであればこれ以上ない収穫だ。
「えぇ。あたしは晴嵐環の妻よ? 人妻に白いドレスを着せる意味は何かしら?」
「わしと結婚式をするからに決まっているだろう」
「……は?」
思案していたはずの思考が、ごとりと抜け落ちた。
ヤエは取り繕うこともできず、子爵を凝視する。
いくら見つめても子爵は表情を変えない。
それは、その言葉に嘘がないと告げていた。
本能的な拒否反応だろうか。
口から漏れ出しそうな不快感をぐっと呑み込んだ。
理由を訪ねられても、生理的な、としか言いようのない嫌悪感がヤエを撫で回す。
「早く着替えるんだな。それともなにか? わしに着替えさせてほしいと?」
「嫌に決まっているでしょう」
にたにたと笑う様に、ヤエは全身から血の気が引いていく。
思わず半歩下がってしまったことに気を良くしたのか、子爵が乗り気になってしまった。
子爵が侍女からドレスを奪い取る。
彼の頭の中はピンク色の妄想で埋まっているのか、先ほどよりも鼻息が荒い。
小さな部屋の中ではどこに逃げようとすぐに捕まってしまう。
子爵が一歩進めば、ヤエは一歩下がる。
それを繰り返していれば、すぐに決着がついてしまった。




