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人魚姫は泡沫の初恋を歌う  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中


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第30話「隊長の責務」

 妙に心が波立つ。嫌な予感がよぎり、ふと顔を上げた。

 揺れた艶やかな黒髪が目にかかり、環は鬱陶しそうに前髪を払う。

 愛用の万年筆を机に置き、軋む体を伸ばせば、雨音が鼓膜を揺さぶった。

 外へ視線をやれば、窓硝子(ガラス)に雨粒が叩きつけられ、景色が滲んでいる。


「何か気になることでも?」


 声のした後ろを振り返れば、怪訝そうな三銭地(さんせんち)と目が合った。

 目元に疲れが滲んでいるのは朝から執務室に籠もっていたからだろう。

 三銭地と共に机仕事をしていた環の目にも僅かながら疲労が見てとれた。

 環は頭を振り、(さざなみ)のような胸騒ぎを払う。


「……いや、悪い予感がしただけだ」

「隊長のそれ、当たりますからね」


 苦笑する三銭地にそうだなと環はまた書類に目を落とそうとしたが、それは叶わなかった。

 荒々しく執務室の扉が開かれる。

 ノックもなしに入って来たのは沓守(くつもり)だ。

 焦りが滲んだ彼女の表情に、嫌な予感が当たったと環は苦い顔をした。


「隊長! 緊急事態です」

「そのようだな」


 狼狽の色を隠さない沓守を安心させるよう、環は心得たと頷いた。

 立ち上がり外套を羽織る。

 特務小隊の仕事は基本的に二つ。

 童話喰ライの掃討。そして、非人道的な行いをしている華族の取り締まり。

 後者の華族の検挙は、三銭地率いる諜報班の任務だ。

 沓守の管轄を思い出し、環は顔をしかめた。


(童話喰ライか)


 沓守の慌てように、童話喰ライとの交戦ののち、甚大な被害がでたのだろうと結論付けた。

 三銭地も同じ結論に至ったのか外套を羽織り、出撃の準備をしている。


「た、環様」


 か細い声に呼ばれ、沓守の後ろに櫻子(さくらこ)がいることに初めて気がついた。

 いつもの澄ました顔は見る影もなく、今にも泣き出しそうな、申し訳なさに包まれた表情をしている。

 よく見れば、着物も雨に打たれたのかぐっしょりと濡れており、袖や足下は泥にまみれていた。

 小刻みに震えているのは寒さからか、はたまた別の理由か。


「櫻子!?」


 三銭地が弾かれたように櫻子へ駆け寄る。

 彼は常備していた西洋手拭(タオル)を取り出していたようで、櫻子を抱きしめるように包む。

 櫻子は三銭地に寄り添われながら、おぼつかない足取りで執務室へ足を踏み入れた。


「ヤエ様が……」


 最愛の名に、鼓動が大きくなる。

 ヤエの今日の予定へ思考を巡らせ、思わず舌打ちが漏れた。

 びくりと肩を揺らした櫻子に、目だけで続きを促せば、真っ青な顔で唇を震わせた。


「拐かされて……!」

「っ!」

「わたくしは、ヤエ様に守られっ、申し訳ありません」


 執務室に戦慄が走る。

 ぴんっと張った糸のような緊張感。気を抜けば意識を失ってしまいそうな殺気が充満する。

 圧に耐えられなかった櫻子が三銭地の腕の中でくったりと意識を手放した。

 三銭地が櫻子を長椅子ソファーへ横たえる。

 彼女の前髪を優しく払った三銭地は痛ましげに眉を下げた。

 常備されている毛布を櫻子にかけると、三銭地は環に目を向ける。

 そして、ごくりと息を呑んだ。


(今、俺は取り繕う余裕もないのか)


 酷い顔をしている自覚がある。

 額に青筋が立ち、眉間には怒りを滲ませている。

 濃藍色(こいあいいろ)の双眸には獰猛さがありありと浮かび、視線だけで人を殺せそうなほどだ。

 握り込んだ手から血が垂れるのも気にならない。

 激情に身を任せられたらどれだけ楽だっただろう。

 今にも弾け飛びそうな憤怒は矛先を見つけられず、ぐつぐつと煮えたぎっている。

 荒れ狂う嵐のような心とは裏腹に、頭は嫌に冴えていた。


「狙いは?」

「ヤエ様でしょうね。でなければ、櫻子様もこちらへ向かう道中で拐かされているはずです」

「沓守の言う通りだと思いますよ、たいちょー。仮に櫻子が狙われたとして、顔が割れてるんですからヤエちゃんを連れいてく意味がありません」

「あぁ」

「問題は、どこに連れて行かれたかですが……」


 沓守の言葉に、環は大きなため息を押し出した。

 頭に浮かぶのは大量の手紙と、好色家のにやついた顔だ。

 海凪家の夫人からヤエを買おうとしていた男。

 個人の趣味嗜好に口を出す気はさらさらない。

 だがそれは、真っ当な生き方をしていればの話だ。


「ヤエを連れていって利のある奴なんぞ、決まっているだろ」


 吐き捨てるように言えば、三銭地から同意が返ってくる。


「まぁそうっすね」

「出撃準備は?」

「もちろんできています。いつでも出られますよ」

「僕の班もいつでも」


 頷いた沓守と三銭地へ指示を出そうと口を開いた途端。

 慌ただしい軍靴の音と共に執務室の扉が開かれた。

 雨粒を払わずに屯所に入ってきたのだろう。

 濡れ鼠となった女隊員が肩で息をしながら叫ぶ。


「隊長!」

「今度はなんだ」

童話喰(どうわぐ)ライが多数出現! 応援に向かっていますが、出現場所がまだらで手が足りません!」

「なんつー折の悪い(タイミング)……」


 三銭地の頬に冷や汗が垂れた。

 童話喰ライが現れなければ、環はすぐにでもヤエの元へ駆けつける事ができただろう。

 しかし、特務小隊の任務は童話喰ライの掃討。

 隊長でもある環は強力な戦力だ。

 投げ出すわけにいかない。


「くそっ」


 抑えていたはずの憤りが堰を切る。

 ぎりっと奥歯が鳴った。

 びくりと肩を震わせた女隊員を気遣う余裕はない。

 苛立ちのまま足を進め、廊下に出た。

 環の後ろから複数の足音が追いかけてくる。


「出現地点は?」

「京橋区と渋谷町、牛込区です!」

「見事にばらけているな……」


 小隊の名の通り、お世辞にも人手は足りてるとは言えない。

 だが、疲弊しきった隊員で立ち向かえるほど童話喰ライは甘くなかった。

 女隊員へ目を向ける。


「お前はここに残れ。執務室にいた女性の警護を頼む。汚した床は拭いておけよ」

「承知しました」


 自身の疲労と実力を理解しているのか、女隊員はあっさりと頷いた。

 彼女は敬礼をして方向転換をする。

 元いた執務室へ向かった女隊員の気配を後ろに感じつつ、環は歩みを進めた。


(警邏に出ているのは二班と五班。車はあと何台残っているか……)


 最悪徒歩で向かうことを想定しながら車庫へと辿り着く。

 すでに応援に出払っているのか、すでに車庫は閑散としていた。

 雨音だけが響く車庫は、空虚で、ぽっかりと空いた胸の内を見透かしているようだ。


「残っているのは整備中の物だけのようですね」


 沓守の声に我に返る。

 残っている車は童話喰ライの戦闘で使い物にならなくなった二台のみ。

 整備が必要で使用許可を出していない車両だ。

 全員で各方面に向かうには足りない。


「整備は今朝方終わったって言ってなかったですっけ?」

「あぁ。明日から使用許可を出すつもりだった」

「なら大丈夫そうですね」


 力強く背中を叩かれ、環は振り返る。

 三銭地から押しつけられたのは、車の鍵だ。

 手のひらのそれと三銭地の顔を見比べる。


「……何のつもりだ」

「環。お前、ヤエちゃんのところに行けよ」

「は?」


 三銭地を見れば、部下ではなく幼馴染みの顔をしていた。

 悪戯っぽく口角を吊り上げているが、彼の目はいつになく真剣だ。


「童話喰ライは僕の班に任せろ」

「私の班もいることをお忘れなく。晴嵐隊長にしごかれた隊員達を信じてください」

「……お前ら」

「僕の班、車がなくても高速移動可能だって忘れてるだろ。そんな視野の狭くなった幼馴染みを前線に連れてけるか」


 小さな体で精一杯胸を張る三銭地に、環は自身が冷静じゃなかったのだと知った。

 真っ赤に染まっていた眼前がようやく正常に戻ったようだ。


「……情けないな、俺」

「まぁ僕だって焦るわ、こんな状況。だから、行け。童話喰ライは僕たちがなんとかしてやる」


 男前な幼馴染みに、ささくれ立っていた感情が落ち着いていく。

 沓守を見れば、三銭地と同じような顔をしていた。

 覚悟を宿した二人に、環は車の鍵を握りしめる。

 環の心が傾いたのが分かったのか、三銭地はにやりと笑う。


「ほら、早く行け。あ、その顔はどうにかしろよ。ヤエちゃんに怖がられるぞ」

「っ、恩に着る」


 三銭地に背を押され、環は車に飛び乗った。

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