第23話「高鳴る胸」
環しか見えない視界で、いい子と微笑まれる。
「踊ろう、ヤエ」
「……へ?」
無理難題を押しつけられると思っていただけに拍子抜けしてしまった。
環の意図が読めず、ヤエは首を傾げる。
ヤエから離れた環が立ち上がり、女中へと声をかける。
「蓄音機と履き物を」
「かしこまりました」
女中が下がるのを呆然と見つめていれば、そっと手を差し出された。
見上げれば、楽しげな環と目が合う。
「俺と踊っていただけますか?」
「……あたしに拒否権なんてないくせに」
憎まれ口を叩きながらもヤエは環の手に自身のそれを重ねた。
環の手に支えられながら立ち上がる。
「ふっ。まぁそうだな。拒否されたらこのまま口づけしてしまおうかと思った」
流れるように手の甲に口づけをされ、ヤエは反射的に身を竦めた。
意外にもすんなりと手を離した環をじとりと睨んでいれば、蓄音機を抱えた女中が到着した。
縁側の前にある沓脱石に二足の靴が置かれる。
「用意もできたようだし、行こうか」
「うん」
先に靴を履いた環が傅き、仰々しくヤエの靴を取った。
童話に出てくる騎士のような動きに思わず見とれてしまう。
素足をそっと持ち上げられ、はっと我に返る。
「環、自分で履けるわ」
「いいから」
よくない、という言葉を呑み込み、真剣な環を見下ろす。
ヤエに靴を履かせる彼の顔に下心は感じられない。
(あたしばかり意識してるみたい)
耳の奥で響く大きな心臓の音も、わずかに熱い頬も、すまし顔の環も、気に食わない。
触れられたところが熱いと錯覚してしまいそうになる。
(……心臓に悪いわ)
食い入るように見つめていた視線を外し、息を吐いた。
呼吸さえ忘れて魅入っていたのか少し胸が痛い。
足から大きな手が離れると満足そうな声がかかる。
「よし、行こうか」
「う、うん」
一歩踏み出し――盛大につんのめった。
「きゃっ」
「っ!」
砂利のせいか上手く体重を乗せられず、体が傾く。
突然のことに傾く視界をどうにかすることができない。
ぎゅっと目を閉じるが、覚悟した痛みは訪れなかった。
代わりにあるのは、温かさだけ。
おそるおそる目を開ける。
質の良い着物が目に入り、ほっと力を抜いた。
上体を起こせば、同じく安堵を零した環と目が合う。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとう、環」
「ん。でもこれは予想外だったな。どうするか」
「どうするって言われても……」
玉砂利が邪魔をして上手く歩けないのは目に見えている。
歩き出したとてまた転んでしまうだろう。
顎に手を当て考えていた環だったが、にやりと笑った。
嫌な予感にヤエの顔が引き攣る。
「な、なにする――きゃっ」
浮遊感に思わず環にすがりつく。
首に回った腕に環は驚いた様子もない。
反応の薄さにヤエは少し頬を膨らませた。
「軽い」
「……勝手に抱き上げて、言うことがそれ?」
「軽すぎる、もっと食べろ」
「ここに来てからちゃんと食べてるわよ」
「そういう隠さないところ、好きだぞ」
「っ、そうやって軽々しくす、好きとか、言わない方がいいと思うわ」
「恥ずかしい?」
「べ、別に」
意地悪な声色に、ヤエはさっと視線を逸らす。
くつくつと笑い声が聞こえる。
しかしヤエは環へ視線を戻すことなく、彼の胸元へ頭を寄せた。
意地悪な環へ僅かでも反撃になれば、と。
高鳴る鼓動には知らないフリをして――。




