第21話「縁側にて」
太陽が沈み、月明かりが仄かに辺りを照らす夜。
ヤエは寝心地の良い布団の中で寝返りを繰り返していた。
昼間の出来事が棘のように頭の片隅に埋まっている。
眠気の飛んだ脳内でぐるぐると回るのは、角山子爵のことだ。
(あたし、子爵に嫁がされるところだった……?)
ぞわりと寒気が這い上がってくる。
ヤエぐらいの年頃の女性を愛していると明言している子爵に嫁げば、有無を言わせず求めてくるだろう。
そう確信するほど、子爵は情欲を隠さなかった。
環の父と同い年の男へ身を捧げるなど考えたくもない。
そっと息を吐けば、喉の渇きに気がつく。
(このままじゃ寝られないものね)
布団から抜け出せば、夜の寒さが身にしみる。
手近な羽織を肩にかけて襖を開ければ、冷たい風が薄水色の髪をさらった。
廊下に素足を踏み出せば、体の芯まで冷えてしまうような冷たさが足の裏を刺す。
ゆっくりと足を進め、日本庭園を一望できる縁側でヤエは歩みを止めた。
初めて晴嵐家に連れたこられた日は、家の規模に驚かされたものだ。
静寂が包む庭園を眺めていれば、ざらついた心が落ち着いていく。
「……環」
「呼んだか?」
後ろから聞こえた声に肩が跳ねる。
勢いよく振り返れば襖の隙間から眠そうな濃藍色が覗いていた。
どうやら環の部屋の前で足を止めてしまっていたらしい。
「な、なんでもない」
「待て」
顔を逸らし足早に離れようとしたが、呼び止められてしまった。
動きを止めたヤエに「そこに座っていろ」と言い含め環は部屋に顔を引っ込めた。
襖の奥で衣擦れの音が響く。
ヤエはなぜか大きく跳ねた心臓を無視して、縁側に座る。
足を投げ出しパタパタと振れば、早鐘を打つ胸も落ち着いてきた。
「待たせてすまない」
「大丈夫」
数分もしないうちに羽織を着た環が部屋から出てきた。
縁側に座った環が首を傾げ問いかける。
「それでこんな時間にどこに行くつもりだったんだ?」
「水を飲みに行こうと思って」
「そうか。だがまだ夜は寒い。こういう時は女中に頼め」
環が隣に座るとどこからともなく女中が現れ、ヤエへと湯飲みを差し出した。
ヤエが驚きに言葉も出せずにいれば、環が受け取る。
環から渡された湯飲みに口を付けヤエはそっと息を吐く。
(いつからいたのかしら……)
すでに姿の見えない女中に気を取られていたからか、環が距離を詰めたことに気がつかなかった。
腰に手を回されてしまえば、ヤエに逃げる術はない。
ほんの僅かに重なった体に、ヤエの心臓はまた大きく跳ねた。
「た、環」
「なんだ」
「手、離して」
「嫌だ、と言ったら?」
からかうような濃藍色の奥に、ほんの少し熱が籠もっている。
その熱さは、昼間見たような子爵のそれと酷似していた。
足下から品定めするような目を思い出し、思わず体が強ばる。
「冗談だ」
「あ……」
絡んでいた視線が解かれ、温かな手も腰から離れていく。
体ごと離れた環は表情こそ崩していなかったが、笑みを貼り付けたようだった。
庭へと向けられた海の底のような瞳が悲しげに揺れる。
普段であれば強引に距離を詰めてくるというのに、環は瞬く間にヤエから拳四つほどの距離を取っていた。
(あたしが、拒んだから……?)
ちくりと、胸が痛む。
なにか言わなければとヤエは口を開くが、頭の中がこんがらがり言葉が上手く出てこない。
「ゆっくりでいい。最後までちゃんと聞いてやる」
柔らかな声に環を見れば、先ほどまでの憂いが嘘のように優しげな目がヤエに向けられていた。
ヤエは大きく深呼吸をし、環との距離を詰めた。
腰に手を回されていた時ほどではないが、初めてヤエから縮められた距離に、環が目を見開いた。
後ろへ逃げられる寸前、ヤエは制止をかけるように早口に言葉を吐き出す。
「ごめんなさい!」




