第20話「手紙」
弁当を食べ終わった環が残念そうな顔でソファーに背中を預けた。
愁いに満ちた濃藍色の瞳が伏し目がちにヤエへと向けられる。
「ヤエ、もう少しだけ待てるか?」
「? どうして?」
首を傾げればヤエの薄水色の髪が揺れる。
軍部へは車で送迎してもらった。だが帰宅時はどうすればいいのかを聞き忘れていたなと思い出した。
歩いて帰るには些か遠い。
「沓守も言っていたが、今、ヤエを守れる人員がここにいない。だから俺の傍にいろ」
「……」
「すぐに終わらせるから、いい子で待っていてくれ」
「……わかった」
執務机へと移動する環に頷けば、明らかにほっとした表情で微笑まれる。
思わず顔を逸らせばくすくすと小さな笑い声が聞こえた。
火照る頬を誤魔化すように視線を落とす。
椅子へ置いたままの風呂敷が目に入り、ヤエはもう一つの目的を思い出した。
「環」
「ん? どうした」
「これ、家に忘れていたから持ってきたんだけど」
執務机へ近づき、環の邪魔にならないよう机の端で風呂敷を広げる。
それから出てきた手紙の山に、環は心底げんなりとした顔で口を開いた。
「燃やしていい」
「へ? 燃やすの? 子爵からでしょ?」
予想外の言葉にヤエは目を丸くしてしまう。
疑問で動けないヤエを横目に、環は立ち上がり風呂敷をひょいと持ち上げ、中身をゴミ箱へ捨ててしまった。
入りきらなかった手紙が床へと散らばる。
「そ、そんな豪快に……」
ヤエは慌てて拾い上げる。
それは走り書きのような、人に読ませることを一切考慮していない便箋だ。
(海凪ヤエ、結婚、約束?)
ぎりぎり解読できてしまった文字に血の気が引いていく。
風呂敷に入っていた手紙は全て角山子爵からのものだ。
もちろん子爵と結婚の約束をした覚えはない。
事実を知ることを拒絶する気持ちとは裏腹に、頭の中は一切の疑問が櫛の歯で梳すくように解かれていく。
(そういえば、環のお父様と同い年に娶られなくてよかった、って……。まさか)
夜の闇よりも深い怯えを宿した瞳から手紙を引き離すように、大きく、温かな手のひらがヤエの視界を隠す。
抱きしめられるように後ろへと引かれ、環の肩口へ頭がぶつかった。
「た、環?」
「見たか?」
「え? な、なにも……?」
「……ならいい」
するりと手をなぞられ、持っていた便箋を優しく取られる。
視界が開けると、びりびりと便箋を破る環が目に飛び込んできた。
細切れになった便箋がゴミ箱へ降り注ぐ。
彼の徹底ぶりにヤエの口から呆れが漏れた。
「そんなに見せたくなかったものなの?」
「あぁ」
「角や……」
「ヤエの口からその名は聞きたくない」
口に出そうとするも、環に阻まれ最後まで喋ることができなかった。
唇に触れる指先が気恥ずかしい。
ヤエが抗議の目を向ければ、環は首を竦めて離してくれた。
「ヤエは俺の名だけ口にしていればいい」
「いや、無理でしょ」
「ふっ冗談だ。まぁ色々問題のある一門でな。軍部で調査中だ。いい子だから誰にも言うなよ」
「言わないわよ」
「あぁ、信じている」
環が頷いた拍子に艶やかな黒髪が揺れる。
釣り上がった口元と一欠片の疑いを持たない濃藍色には期待が込められているのだろう。
ヤエは信頼に応えようと心に決め、背筋を伸ばした。




