第5話 夜道
夜、ユウカは机の前で何をするわけでもなく、スマホをいじっていた。家の中にいるのはユウカ一人。
残業時間に制限はなく、働けば働くほどいいとされているので、父は毎日終電にのれるギリギリの時間まで働いている。残業代はでない。大昔はこういう会社が批判されたこともあったらしいが、今はどこもそんな感じだ。
母はパートだが、家計を助けるために数年前に働きだし、やはり夜遅くまで帰ってこない。
ユウカは高校3年だが、受験があるわけでもなく、就職活動の準備といっても大してすることはない。就職先の選択肢はどうせたいしてない。学校が推薦してくれるところ、だ。
いいところに就職していい結婚相手を見つける。そんなことを語っている野心的な女子もたまにいるけれど、いずれにせよ、就職先は結婚するまでの何年間か、お世話になるだけの場所。結婚したらやめて、子どもを産んで産んで、産めなくなったらパートで働く。
女子は気楽でいいよな、と男子は言ったりもするけど。
選択肢を与えられないことをうらやましがられても困る。
弟の幸太からのメッセージがスマートフォンに入っていた。
今は、豊かな国ではスマートフォンなんて使っている人はほとんどいなくて、主流はウェアラブルらしいけれど、日本自治区では、そんな高価なデバイスを買える人はほどんといないから、まだスマホが主流だ。
「やべっ、かさ忘れた」
2つ下の弟は大学受験のために塾に通っている。男子は高卒より大学を出た方が良い就職先がみつかるから。両親は無理をして、弟には塾に通わせている。
たしかに、いつのまにか窓の外から雨の音が聞こえていた。夜になって突然雨が降り出したようだ。
本当は私も塾に行って受験勉強とかしてみたかったな。
ユウカはそんな風にたまに思うこともある。成績は弟よりユウカのほうがずっといい。でも、口にだして親に言ったことはない。
女子が何を言っているのだと笑われて終わるだけ。
あるいは、両親は悲しそうな顔をするだろうか。
それはそれで、つらい。
女子が入れる大学もあるにはあるが、そういうところに行く女子は、特別なお金持ちだけ。
うちにそんなお金がないことはよくわかっている。
父も母も毎日夜遅くまで働いて、贅沢をしないで食費も切り詰めて、それで弟の塾代と大学のお金を準備するので精一杯だ。
ユウカは弟へのメッセージを打ちこんだ。
「駅まで傘持っていってあげようか?」
「ありがと!」
まだ午後7時をすぎたばかり。駅まで歩く程度なら危険なこともないはず。ユウカは傘を持って家を出た。
家から駅に向かう道、ところどころで街頭が不気味に点滅していた。この辺りで、ちゃんとついている街灯の数は少ない。メンテナンスの費用も人手も足りていないから。
点滅する光のせいか、歩きなれた道でもすこし不気味に思えた。
雨雲に隠され月がでていないせいもあって、夜道は暗い。道のわきにたつアパートや古いビルには明かりがついていないところが多い。
三級市民地区は戦時に崩壊した建物がそのまま残されているというが、さすがに二級市民地区のこの辺りでは、崩壊しかけたまま放置されている建物はない。それでも誰も住んでいない建物は多いし、建物が撤去された後の空き地がぽかんと開いているところも多い。
戦争で多くの人が亡くなった後、偉大党は、二級市民に対しては産めよ増やせよという政策をとり続けている。だが、日本自治区の人口は増えるどころか減少し続けている。
三級市民に落とされた人々は子孫を残せない上に、どんどんと死んでいく。
二級市民も重たい税金が払えなくて三級市民に落とされたり、志願兵になって死地へと出て行く。
昔、日本が豊かな国だった頃は、外国から移住してくる人がいたらしいが、今はもうそんなこと信じられない。今はもうここは人を送り出す地だ。
みんな口にはしないが、知っている。お金と兵士を差し出し続けることで偉大党は日本の統治を認められているのだ。
だから日本自治区の税金は他の地区より高いし、戦場で死んでいく人もすごく多い。
誰もそれに文句は言わない。
そんな畏れ多いことをすれば、生きていけなくなるから。
ごくわずかなレジスタンスの他は、偉大党政府が何を決めようと、誰も文句は言わず、家畜のように義務付けられた労働と出産に黙々と従事し続ける。
だけど、そんな人生に意味があるの?
暗い雲に閉ざされた夜空を見ながら、ユウカはふと思ってしまった。
好きな人といっしょに生きることもなく、いやいや結婚して、できるだけたくさん子どもを産んで、子どもがちょっと大きくなったら、パートでいっしょけんめいに働いて。
あたり前にそうやって生きるものだと思ってきた二級市民の暮らしが、いつのまにか今日の夜空のように暗澹たるものに思えるようになっていた。
でも、他に生き方なんてないでしょ?
その時、夜をつんざくような激しい音が響いた。
一発鳴ったあと、すぐに数発続いた。
戦時中の記憶がないユウカには、それが銃声だと気がつくまでにしばらく時間がかかった。
サーチライトの光が何もない夜空をまさぐっていた。
照らし出される人の姿を見つける前に、ユウカは夜風に運ばれてくる匂いに気がついた。
この匂い……
いっしゅん、ライトに照らされ、廃墟と化したビルの上を走る人影が見えた。
ビルとビルの間を跳躍して移動していく。
ライダースーツのようなボディスーツで全身を覆い、顔も仮面で隠されていた。強化スーツを着ているのだとしても、その動きは人間離れしていた。まるで人間ではないように思えた。
だが、それが誰なのか、流れてきた匂いをかいだあの瞬間にユウカは悟っていた。
(林さん……? まさか)
ビルの上を走り続ける人影はそのまま暗闇の中へと消えて行った。
駅は光で満ちていた。駅の改札口の外のベンチで弟が待っていた。
「姉ちゃん!」
弟が手をふっている。
「どうしたの? 姉ちゃん。ぼーっとして」
「べつに。銃声聞こえなかった?」
「え? 銃声? そんな音した?」
心臓の鼓動がまだおさまらないのは、途中で聞いた銃声のせいかもしれない。
だが、弟に傘をわたしながら、ユウカは今でも目の前に夜空を駆ける彼女の姿が浮かび続けているように感じていた。




